四
「ここまで来れば・・・大丈夫か」
冷たいと思っていた夜風は、もはや自分の体温を冷やしてくれる天然のクーラーだった。
抱えていた少女は以前、沈黙したまんまだった
首に回された腕からはまるで力を感じない。
「お、おい。生きてる?」
「・・・はい、生きてますが」
良かった。
まるで生気を感じないから心配していたけれど、どうやらちゃんと生きてはいるらしい。
「降ろしてもいいか?」
「いいですよ」
姿勢を低くすると、女の子は自分からスルスルと俺の背から離れていく。
「ふぅ・・・。なんとか、助かったな」
「どうして」
振り返ってこの無事を伝えると、少女は俯いていた。
──それに、俺は驚愕した。
「何だそれ・・・」
煤の様な黒いモヤが少女の傷口を纏っている。
それは次第に、傷を塞いで瞬く間に切り裂かれた肌を元に戻していた。
「だ、大丈夫なのか?」
「それはこちらの台詞です」
「え?」
忌々しそうにこちらを見つめて、今度は詰め寄るかの様に近づいてきた。
「逃げてと言った筈です。それなのに、なぜ私の元に帰ってきたのですか」
「だって、君が・・・」
「だってじゃないです。貴方は人間なんですよ、命を失ってしまったら終わりなんです」
「それは・・・君だってそうだろ」
ごく自然にそう言いのける浩に、少女はより一層顔を顰めてしまう。
今の光景を見てもなお、人間と言われる。
「私は、違います。貴方も薄々気づいてますよね」
「・・・それでも、俺は君を助けたかった」
「だから、どうして──」
理由を知りたかった。命を賭した理由を。
聞いてみれば、男は少し考えた素振りを見せて
おどけて笑って見せた。
「夢の中で、君の声が聞こえてた」
それだけだと、男は言う。
「助けて、って言われたから」
「そんなの・・・」
「充分じゃないかな。それだけで」
そう言って、男は背を向けて歩き出す。数歩歩いて、少女に振り返る。
「さ、行こう。君には色々と聞きたい事があるんだ」
「・・・わかりました。夜界を出たら、全て教えます」
「約束だからな」
この約束を果たす為、2人は並んで歩き出──
「言った筈だ、2度目はないとな」
「!!?」
その声に振り向く。
それと同時に、小さくか細い誰かの声が聞こえた。
「ぁ、が・・・」
少女の腹から、鋭い爪が飛び出ていた。
それが化け物の手に生えていた爪だと理解するのに数秒を費やしてしまった。
「なっ、どうして──っ」
「まさか、俺が不意を突かれるとはな・・・」
「う、うぅ・・・ゴホッ」
ぴちゃり。
地面に勢いよく血が飛び散る。それは少女の口から飛び出した、命の痕跡。
「だが、お前達の匂いは覚えている。残念ながら、逃げる事は出来ないぞ」
「──お前ッ」
「ふは、ふはははははっっ!!!いいぞ、やはり人間のその表情は面白いな。もっとだ、もっと俺に見せろ!!!」
恐怖はない。
むしろ、怒りでどうにかなってしまいそうだった。全身の血液が燃えたぎる様に熱い。
もはや、夜風なんて感じない。炎に包まれたと錯覚してしまうぐらいだ。
どうして?
どうして、こんなにも自分は怒っているのか。
目の前の少女は知人ではない。赤の他人で、先程出会っただけなのに。
いや、理由はある。
「面白い小僧だな。なんだ、この小娘とは知り合いだったのか?」
「違う」
「じゃあ何故だ?どうしてそこまで感情を露わにする?」
簡単な事だ。
「命を掛けて、俺に逃げろと言ってくれた」
「く、くく・・・」
「何が可笑しい!!!!」
「いや、人間はどこまでも弱い存在だな。だからこそ、俺は好きなんだ」
「あぁぁぁ──ッッッッ!!!」
「やめろ!!」
ぷらぷらと、少女の身体を浮かせる。
白装飾はもはや、本来の純白を失って赤く黒く染まってしまっている。
許せない。
悉く命を弄ぶ残酷な行為と、愉しそうに笑って見せる獣に。頭の血管がはち切れそうになる。
「ほぉら、助けて見せるがいい。許せないのだろう?人間よ」
どうすればいい。
何をしたって、奇跡が起きたって俺に少女を助ける手段はない。
どうする事も俺には出来ない。
「・・・し、え、て」
頭の中で思案していると、爪に貫かれながらも少女は口を開いた。
「貴方、の・・・名前、を教えて、ください」
急にそんな事を言った。
「名前・・・そんなの、今は!」
「大事な、事なんです・・・」
血を吐き出しながらも、少女はそれを貰おうと顔を強張らせる。
「──貴様、まさかっ!!!!」
化け物が急に狼狽える。そうはさせるかと言わんばかりに、大きな口を開いて噛み砕こうとするが──
「<黒縛>」
「う、これは・・・っ!!」
黒い影の様なものが化け物の身体を縛り付ける。
「ひ、浩!!」
急かされるまま、俺は伝えた。
「藤乃、浩!!!」
その名前を聞いて、初めて少女は穏やかに笑ってくれた。
「浩・・・。覚え、ました」
「<共鳴>するつもりか!!!愚かな!!こいつはただの人間だ!!」
「違います」
少女の瞳が、赤く染まっていく。
先程見たそれとは違うぐらいに鋭く。
次第に、額から一本の角が生え始める。
「私の助けに答えた。・・・藤乃浩、です」
不敵に、化け物を嘲笑うために振り返ると
化け物は憎々しげに顔を歪めた。
焦点が合わずにいた瞳が、やっと合う。
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「手遅れですよ」
たちまち、少女は鬼と化していた。
影に縛られたままの化け物は逃れようと身体を動かすが、まるで意味をなさない。
そして、少女は華奢な片手を伸ばして何かを掴む。
「<閻魔>」
現れたのは、一本の刀だった。
黒く染まった刀身は、熱を持つかの様に赤く燃えていく。
「<灼熱地獄>」
「あ、あぁぁ、うぐぁあ、ぁぁぁぁぁ!!」
その一振りは、正に地獄の業火。
罪を許さない浄化の炎は、化け物を斬りつけ
燃やしてしまう。
「く、あ、熱い・・・!!貴様!!」
熱に蝕まれる化け物は、貫いていた少女を振り払った。
それに反応した浩はすぐに身を動かして少女を受け止める
「おい!大丈夫か!?」
「・・・はい、無事です」
貫かれていた腹は先程みたいに黒い煤が包んでいた。
なら、時間が経てばきっと完治するのだろう。
「ぐぁぁぁ、鬼よ・・・。何故、ただの人間を・・・!!」
「何故と、問うのですね」
浩の身体に自分の身を委ねて、今を噛み締めて
少女は言った。
「お前にはわかりませんよ。獣に堕ちた畜生には」
その言葉で、化け物は炎に包まれ、消えてしまった。




