61(最終話).エピローグ「お墓、だね」
迷宮の中、10層への階段を、男女2人の冒険者がゆっくりと扉へと向かって降りていた。
「——長いわね」
「ああ」
気のせいでなく、明らかに他の階層とは異なる。
「今まで10層までたどり着いてから、戻った冒険者っているんだっけ?」
「何十年か前に、一人だけいたらしい。……随分、叩かれたみたいだけどな」
女の問いに、男は以前ギルドで読んだ書籍の内容を思い返す。
「どうして?」
「さあ」
男は首を振る。「仲間を見捨てたとか、そういう事だろうさ。昔は、瞬時帰還も支給されなかったっていうしな。今は、全員に支給されるのが当たり前だけど」
「……気の毒に」
女は少し肩をすくめる、「残される方が、辛い事だってあるのにね」
「まぁな。——それより、知ってるか? 」
「何よ?」
「噂話さ。この迷宮に、もう魔女は居ないって」
「えぇっ⁉ 何よそれ。初めて聞いたわ」
「だから噂だよ。酒場でオッサン冒険者が話していたんだけどな。――昔に比べて、迷宮探索がヌルくなったって。その理由が、魔女が居なくなったからっていうのさ」
「……それって、若手冒険者をバカにしてるだけなんじゃないの?」
「言ったろ。噂話さ。単なる、ね」
扉が見えてきて、男は唇を舐める。他愛のない会話。こういうのが案外、重要だ。迷宮最下層。緊張しない訳が無い。中身の無い会話をして、今が日常の続きである事を自身に再認識させる。女も分かっていて、付き合ってくれている。それでも時々、唾を飲み込む音が聞こえてくる。
2人は魔素対策のマスクを着け、改めて装備を確かめる。最後にそれぞれの腕輪に付けた瞬時帰還を確認し、拳を合わせた。
「我らに、幸運を」
「幸運を」
男は取っ手に手をかける。特に、嫌な雰囲気は感じられない。だがそれが逆に、恐ろしい。女に視線で合図を送ると、彼女は若干青ざめた顔で頷く。
「~~いくぞっ!」
思い切って、扉を押し開けると、眩しい光が差し込む。いや、さほど強烈ではない。眼が慣れていないせいだ。既に発動済の『探知』の魔法に集中しながら、身を低くして身構える。
「……何、これ」
女の声に、視線を上げた。
「綺麗……」
そこには、彼らが生まれて初めて見る景色が広がっていた。地平線まで続く草原、眼下に佇む湖。柔らかな日差しを風が揺らし、草木の香りが鼻腔をくすぐる。かつてネジド達も見た、風景。
魔物の気配は全く感じない。鳥のさえずりにビクッとするが、あれも魔物ではないようだ。
「何だよ、ここ……」
「もしかして、御褒美ってヤツじゃない? 最下層まで辿り着いた、さ」
……そんなバカな事があるのか?
「油断するなよ。幻影かもしれない」
言いながら、その可能性を否定したくなる。心が、安らぎたがっている。その気持ちは否定出来ない。男は剣を握り直すと、ゆっくりと歩き出す。とりあえず、湖の方へ
「……何か、あるぞ」
湖のほとりに、人の頭程の大きさの石があった。いや、置かれていた。それも2つ。明らかに人の手による物である証拠があった。それぞれの石の前に置かれたモノ――剣の、柄?
「お墓、だね。……冒険者のかな、やっぱり」
「だろうな」
やはりここは危険、という事なのだろうか。いや、危険な場所に墓をつくるというのも、違う気がする。男は剣の柄に手を伸ばす。
「やめときなさいよ。罠だって可能性も——」
「いや、大丈夫さ。ほら」
その場の雰囲気、というと曖昧すぎるが、柄の供えられ方――といえばいいのだろうか。そこには純粋な敬意を感じて、安全であると判断した男はゆっくりとそれを取り上げた。女の顔が一瞬緊張するが、特に何も起こらない事を確認して、力を抜く。
冒険者の墓に、愛用の武器を供えるのは珍しく無い。おそらくこれも、そうなのだろう。少し埃を被っているが、素材の分からない 金属で造られた円筒形 のそれは、さほど時間の経過を感じさせない。……いつから、ここにあるのだろうか。
「刀身は、折れたのかしら。柄だけお供えするってのは、珍しいわね」
表面を擦ると、何やらスイッチのようなものがあった。少し迷ったが、思い切って押してみる。が、何も起こらない。——これは既に役割を果たした。そういう事なのだろう。
男はマントで全体の埃を拭い、元の場所へ戻した。もう片方も同様にする。それから、改めて祈りを捧げた。片膝を付き、左の拳を地面に突いて頭を下げる。冒険者としての祈りの形。女もそれに倣った。
それにしても、静かだ。どこまでも、穏やかな空間。迷宮、それも最下層だという事を忘れてしまいそうになる。
「……ねぇ、水浴びしてもいいかな」
無心に景色を眺めていた男は、女の言葉に我に返る。女の視線を追うと、岸辺の水面を優雅に泳ぐ、白い数羽の水鳥。水に問題は無い、という事だろう。しかし――。
「大丈夫よ。『探知』に全く反応無いし。あなたも、見張っててくれるでしょ? それとも、一緒に水浴びする?」
馬鹿言うなよ、と男は苦笑を浮かべる。
「手短に頼むぜ」
「やったぁ!」
叫んだ直後には、荷物だけが残されていた。
「ほら、鳥さんおいで! 友達になろうよ!」
突然水に駆け込んで来た見知らぬ生物に水鳥達は一斉に飛び退いたが、やがて何も無かったかのように女の近くを泳ぎはじめた。白い肌着を着てるから、仲間だと思ったのかな?
「まさか、ね」
少し離れた場所から、彼らの水浴びとも水遊びともつかぬ戯れを見つめる。何かが起こるかも、と心配したが、杞憂だったようだ。水鳥に突かれた女か笑っている。地上で、あんな表情をしたことがあるだろうか。少なくとも、自分の記憶には無い。穏やかな、平和な光景。
もしかしたら――。
男は2つの墓を振り返りふと、思った。
もしかしたらあの2人は、自ら望んだのかもしれない。迷宮の中で死ぬ事を。ここに残る、事を。
女が手招きをしている。
「……何だよ?」
近づいた男に向かって、女はいきなり両手ですくった水を浴びせた。思わず上げた悲鳴に驚いたのか、水鳥が一斉に飛び上がり、男に向って飛び掛かるかのように近くをかすめ飛んだ。羽根の先が頬を叩く。尻もちをついて茫然とする男の耳に、女の底ぬけな笑い声が聞こえてきた。上空を一回転して、いつの間にか水面に戻っていた水鳥達も、囃し立てるかのように鳴き声を上げる。
「~~やりやがったな!」
駆けだして、派手な水しぶきを上げて湖に飛び込む男の顔にも、いつの間にか笑みが浮かんでいた。女が嬌声を上げて飛んできた水を避ける。
水鳥達はしばらく彼らの周りで声を上げていたが、やがて1羽が声を上げたかと思うと、水面を駆けて飛び上がる。他の鳥も、それに続いた。舞い上がった彼らは岸辺で戯れる男女を見守るかのように上空を一周すると、向きを変えてさらに上空へと舞う。先頭の1羽が一際甲高い声を出し、その声が風に乗って響く。
迷宮最下層には、いつまても心地良い風が吹き続けていた。
「シビルの子」ーFin-




