38.「地殻変動か」
「……どうしてこうも、極端なんだろうな」
「知らんよ。魔女の趣味ってやつなんじゃないのか」
珍しく愚痴をこぼしたミルサークに気の無い返事をくれてやると、彼女は大きく息をついて肩をすくめた。
「それにしても、熱いな」
「口に出さないでくださいよぉ。ますます、熱くなるですぅ」
そう。暑いでなく、熱い。6層の暑さとは異なる熱さ。その原因は、8層全体が火山帯で構成されている事だ。アイシャが『冷却』をかけてくれてはいるが、気休め程度にしかなっていない。
視界に入る山の殆どは真っ赤な溶岩か真っ黒な噴煙を噴き上げ、足元は溶岩が固まった跡か、火砕流が流れた跡のどちらかだ。地面が熱を持ち、熱せられた空気が周囲を渦巻いている。下手をすると喉を焼かれかねないので、粉塵防止も兼ねて全員マスクをしているが、それが熱さに暑さを加えて不快さを加速させる。
「ドナホゥさん、足元。気を付けて下さい。赤くなってます」
アイシャの言葉にヒェッ、と悲鳴を上げてドナホゥがたたらを踏む。そう。油断していると、水溜りならぬ溶岩溜りに足を突っ込みかねない。
「氷の巨人を連れて来たいな。どうなるか、見ものだ」
夜、食後の紅茶を淹れながらミルサークが言った。
「やっぱり溶けちゃうんでしょうかねぇ? でも、あいつの再生能力はヤバかったですよ?」
「多分ですけど、最終的には溶けちゃうんじゃないでしょうか。溶解と再生を繰り返して、全身から湯気を出しながら」
と、アイシャがいかにもらしいクソ真面目な回答をする。
「やっば、そうですかねぇ。あの再生能力も、あの環境だからって事かぁ。……ま、考えても仕方ないんですけどね。魔物は、階層をまたげないんですから」
言いながらドナホゥは敷物の上に寝転ぶ。「うん、これくらいの熱さなら大丈夫ですね。気持ちいいですぅ」
地面からの熱をできるだけ避ける為、拠点は高台の上に設営していた。それでもじわりとした熱さが尻から伝わってくる。
俺はドナホゥの言った言葉を胸の内で反芻する。魔物は、階層をまたげない。俺の、俺達の知っている知識ではそうなっている。しかし7層に現れた焔硝鳥。あれがアイシャの言う通り、フオフアという同一個体だとしたら――常識が、ひっくり返ってしまう。考えても仕方が無いと分かっていても、つい考えてしまう自分に苦笑する。
それにしても――。
俺は紅茶をすすりながらカップ越しに3人の姿を見る。昼間は遮熱の為に皆マントを纏っていたが、多少なりとも地熱の影響が薄いこの場ではむしろ暑くなるため、皆マントを脱ぐのは勿論、できる限りの薄着となっていた。ミルサークは言わずもがな、アイシャも5層で再会した時のようなあられもない格好になっていて、非常に目のやり場に困る。となると――。
「んん? 何かエロい視線を感じますねぇ。ようやく、このドナホゥさんの魅力に気付いてしまった、という感じでしょうかぁ?」
ドナホゥが眼鏡を光らせながら、涅槃のポーズで空いた方の手の指をこちらに向けてくゆらす。
「いやまぁ、一番安心して見れるからな。エロくは見てないが」
ドナホゥは眠いのか、トロンとした目つきで呟いている。
「はぁ、そうですかぁ。安心、いい言葉ですねぇ。安心、これすなわち安らぎ。安心、これすなわち母性! そうですよぉ。ネジドさんもやぁっと、このあたしの魅力ってやつが分かってきたんですねぇ。いいですよぉ。安心して、見てください。安心して――安心?」
突如目が見開かれ、体がバネ仕掛けのように跳ね上がる。
「ど、どうした?」
「何ですか! 『安心して見れる』って!」
「お前も言ってたじゃねぇか。――そのままの意味だよ」
流石に馬鹿正直に「色気を感じないから安心して見れる」などとは言えない。
「お前さんの包容力に甘えさせて貰ってるってことさ」
「フン、うるせぇですぅ! 分かってんですよぉ。どーせ男なんてみぃんな、おっぱいとお尻好きの権化なんですぅ。アイシャちゃんも、気を付けないとですよ!」
「――え? あ、はい」
アイシャがどこか生返事のような言葉を発する。……少し気になっていた。この層に来てからアイシャの様子が少しおかしい。集中力に欠けるというか、気付くと立ち止まって宙の1点を見つめていたりする。その先には――少なくとも俺には――何も無いとしか見えなかった。
最下層に近付いているからか? だが今は――。
「……客人のようだぞ」
「ああ」
ミルサークの声に頷くと、俺は剣を片手に立ち上がる。振り返ると同時に、岩陰から2人の人影がゆっくりと姿を現した。
「……マタハットか」
フードを被った頭が少し揺れたのは、肯定の意なのだろう。
「これまで何処に居たんだ?」
「ずっと近くにいましたよ」
片方の少し体型がずんぐりした方が言った。「氷の巨人を倒すとは、驚きました。――戦う必要があったのかは疑問ですがね」
「手伝ってくれれば、もっとスムーズだったんだけどな」
「貴方がたの実力を見られたのは、良かったと思っています」
その声に、少し笑いが含まれたように聞こえた。
「……で? このタイミングで姿を見せて、一体何の用だ?」
俺は抜きかけた剣を収める。
「いえ、単なる挨拶ですよ。この辺りでは拠点設営に適した場所が、ここしかありませんのでね。――それと、釈迦に説法かもしれませんが、警告です」
「……地殻変動か」
再び、フードが揺れる。
「魔物の数が極端に少ない事には、気付いておられるでしょう。この階層での地殻変動は、特に危険度が高い。火山活動にも影響が及ぶと、宙に浮くだけでは被害が避けられない可能性もあります。準備は万全に願います。……『シビルの子』といえども、全能ではないでしょうから」
地殻変動はその名の通り地面が波のようにうねって変動し、その形を全く違うものにしてしまう。平原だった所が山脈になったり、湧き出した水が巨大な湖となる事も珍しくない。運悪くそれに遭遇した時の鉄板の対応は、『飛翔』を使って宙に浮くことだ。そうすれば少なくとも地面の変化は避ける事ができる。
昔、『飛翔』を使えずに地表に取り残された冒険者を見た事がある。まるで液体のようにうねる地面に飲み込まれ、助ける間もなく姿を消してしまった。その瞬間の断末魔の表情は、今でも忘れない。
「了解だよ」
「では」
2人は揃ってフードを揺らすと、岩陰に姿を消した。
「――だ、そうだ」
俺は振り返り、肩をすくめた。
「まぁ、そろそろだろうとは思っていたがな。懸念としては『飛翔』を使えるのが地殻変動未経験の2人だという事だ。そこは我々でフォローしないと」
と、ミルサークが言う。ドナホゥは当然だが、アイシャも?
「……私、ずっと5層にいましたから」
そういえば、そうだったか。地殻変動の起こらない唯一の階層。俺は魔符の残量とその種類を頭の中で思い描く。5層で補充はしたが、万全とは言い難い。アイシャに頼れるならば、頼りたいというのが本音だ。
「どうした?」
ドナホゥが珍しく押し黙っているのに気付いて声をかけると、彼女は妙な顔をしつつ首を傾げる。
「何だよ?」
「うーん。いやまぁ、勘違いですよねぇ。マタハットに知り合いなんていないですし」
「知ってる奴らだってのか? 顔なんか見えなかったけどな」
「いえまぁ、喋らなかった方のなんですけどね。佇まいというか、動きに何となく見覚えがあるような無いような」
……そう言われてもな。俺は顎をさする。長老が送り込んできた人材なのだから、かなりの実力者なのだろう。実際、俺達に殆ど気配を察せられる事なくここまで来ているのだ。
「5層で戦った時に、居たんじゃないのか?」
「そうかもですねぇ」
適当に言った俺の言葉に、ドナホゥは頷いた。
いずれにしてもアイシャの様子が気がかりな中で、この上ドナホゥまでもとなると正直たまったものではない。
「とりあえず、もう休めよ。見張りは俺からでいいから」
「そうですかぁ? じゃ、お言葉に甘えるですぅ」
ドナホゥはあっさりと俺の言葉に従って横になり、マントにくるまった。が、その瞬間ドン。という空気を震わす爆発音がして、再び飛び起きる。
「な、なんですかぁッ!」
「見ろ、あそこだ」
ミルサークが指した方を見やると、夜空に真っ赤な火柱が上がっているのが見えた。
「噴火したんだ。灰が降ってくるかもしれんぞ。寝る時もマスクを忘れるなよ」
「で、でも、結構遠いんじゃあないですか?」
「肺をやられると、死ぬほど辛いぞ」
マスクを付けながらのミルサークの言葉に、ドナホゥも慌てて従った。
「アイシャも休めよ。マスクを付けてな」
俺もマスクを取り出しつつ声をかける。「……アイシャ?」
彼女は無言で、遠くで立ち上る溶岩の赤い光を見つめていた。大きく見開かれた金色の瞳に、空に飛び散る紅い光点が映り込む。その横顔は、何故かゾッと感じるほどに美しかった。




