37.「……冗談か、何かですか?」
突然の激しいベルの音に、アブラはぎょっとして顔を上げると立ち止まった。
《開門警報、開門警報。総員所定の位置に付け。歩行者用通常ゲートは一時閉鎖する》
スピーカーからの声が終わると同時に、止まっていたベルが再び音を轟かせた。
……そうか、あたしは今、門の前にいたんだ。
まだ動悸が収まらない胸をおさえて、アブラは1つ息を付く。街のどこからでも目に入る、入ってしまう、こちらとあちらを隔てる巨大な石壁。できるだけそれを見ずに済むように、下を向いて歩くのがいつの間にか常になっていた。いつもと変わらない道を歩いていれば、門の前を通るのは分かっていたはずなのに。
歩行者用の門が閉じられる。壁の直下と、その外側にある鉄製のもの。前者は重低音を響かせながら地面を押し潰し、後者は鋭い金属音を周囲の空気に突き刺しつつ最後に大音響響かせる。それぞれの門の脇についている信号が一斉に青から赤に変わり、再度ベルが鳴る。
《通常ゲート閉鎖完了。移送用ゲート、開門。移送用ゲート、開門。魔動機関車の排出魔素粒子に留意せよ》
歩行者用ゲートの横に設えられた大きな門がゆっくりと上昇し、その手前で待機していた巨大な鉄の塊が姿を表す。魔動列車。魔石を燃料として動く巨大な鉄塊。その先頭の機関車のヘッドライドが、生き物が獲物を狙うかのように明るく光る。短く、鋭く空気を切り裂く警笛。周囲に魔素粒子を撒き散らしながら、ゆっくりと動き出す。何両もの貨車を引き連れながら。……いや、貨車では無い。窓一つ無く、暗闇に支配されたその車体の中には椅子も無く、立ったまま子供達が寿司詰めになっている筈だ。人を運んでいる車両が、貨車である筈が無い。あっていい筈が無いのだ。
『魔女の落し子』を壁のこちら側へ送り込む為の魔動列車。かつて自身も乗せられてきたそれを、アブラはゆっくりと進むそれが通り過ぎるまで見つめていた。線路は今自分がやってきた方向へと敷かれ、列車はそれを辿って離れていく。小さくなっていく赤いランプを見ながら、アブラはそっと息をはき、再び脚を動かした。
「――おや、アブラじゃないかぇ」
商店街の中を歩いていると、横合いから声をかけられた。
「サマル・マム?」
大柄な体の老女がのっそりと横の店のドアから出てきたのを見て、アブラは脚を止めた。
「――喫茶店なんて、珍しいですね?」
一歩下がって店の全景を眺める。といっても、こちら側の建物は自由に建築する事は禁じられており、同じ規格の建物が並んでいて看板が無ければそこが喫茶店とは気付かない。
「……ここはサ店なんかじゃあないよ」
サマル・マムはそっとドアを閉じて言った。
「喫茶店じゃないって、それはどういう……」
問いかけて、思い出した。以前店でサマル・マムが愚痴っていたのを。
「ヤミ、ですか」
老女は返事代わりに葉巻を取り出してくわえ、アブラはほぼ条件反射でそれに火を付ける。サマル・マムは肺の奥底まで吸い込んだ煙を勢いよく吐き出すと、
「見た目は普通の喫茶店なのさ。でも、席には女の子が同席する。サービス係、という名目でね。何をサービスするのかはまぁ、お察しさね。さらに気に入ったら別料金で個室も用意してるってんだから」
サービス……まさから給仕するだけ、という事は無いのだろう。
「こういうのをのさばらしとくと、ロクな事になりゃあしない。ギルドに通報したって動いちゃくれないから、組合で手入れをしたんだよ。……その後始末さ。もう、終わったがね」
サマル・マムが吸い殻を指で弾き飛ばすと、その瞬間に炎が上がり、灰燼となって地面に落ちた。
「……丁度いい。あんた、時間あるかい。今日は非番なんだろう?」
「時間、ですか? 大丈夫ですけど……」
外でサマル・マムに会うのも珍しいが、誘われるというのはもっと珍しい。店の嬢に対して何か話しがある時は基本的に他者を介してであり、自ら話す、という事はこれまで見たことが無い。――何だろう。何か問題のある事でもあったのだろうか。だとすると、余程重大な事なのだろう。
「そんなに緊張しなくても平気さね。単に、世間話をしようってだけさ」
……ますます怪しい。が、特に断る理由がある訳でも無い。返事も待たずに歩き出した彼女についていくと、すぐにとある店の扉を開いて中に入った。店員の案内も待たずに人気のない店内にズカズカと踏み込むと、奥の角席に飛び込むかの勢いで腰をおろす。唖然としつつ初老の店員の顔を見ると、全く動ずる事無く無表情でどうぞ、というように手だけを動かした。サマル・マムが再び葉巻を取り出すのを見て、足早に移動する。葉巻に火を付けて、失礼します、と口の中で言いながら正面の椅子に音がしないようゆっくりと腰をかけた。
「――また、施設へ行ってたのかい」
吸い終えた葉巻を灰皿に押しつぶしてから、おもむろにサマル・マムが口を開いた。「週に1回、欠かさず行ってるらしいじゃないか」
アブラが頷くと同時に先程の店員がティーカップとポットを持ってきて、テーブルに並べた。トレーを隣のテーブルに置くと、慣れた手つきでポットからそれぞれのティーカップに紅茶を注ぐ。
「遅いんだよ、全く。そんなグズだから、客が寄り付かないのさ」
サマル・マムは言うが、おそらく彼女が葉巻を吸い終わるのを待っていたのだろう。店員の一連の所作の美しさから、アブラはそう感じた。店員は無表情で頭を下げると、奥に引っ込む。サマル・マムはティーカップを持ち上げるとそのまま一気に――かと思ったら、その鷲鼻の下でくゆらせて香りをかぎ、満足げに目を細めた。
「ま、腕は変わらずだね」
「紅茶、お好きなんですか」
あんたも飲みな、と促されてカップを手にしながら尋ねる。
「ああ。最初は飲めりゃあなんでも同じだろうって思ってたんだがね。ギルド長がいるだろう。あのデッカイ娘っ子に勧められて色々試してみたら、すっかりハマっちまったのさ」
娘っ子、ね。ギルド長――ミルサークの存在は、アブラも知っていた。それなりの歳だったかと思うが、まぁサマル・マムにとってはこの街の女性の殆どが娘っ子、という事になるのだろう。
紅茶の知識など皆無だったが、驚くほど爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。一口口に含むとその香りが一気に広がり、思わず声を上げていた。
「――美味しい」
「そうだろう」
サマル・マムは満足気に頷き、紅茶を口に含む。「――で?」
一瞬分からなかったが、自身の話しがまだ終わっていなかったのだろう、と気付く。
「施設は――変わらず、ですよ」
「フン、良くも悪くも、だね。けど今日も新しい子達が送られてきたっていうし、またぞろ厳しくなるだろうね」
魔動列車のこちら側の終点は、収容施設だ。子供達はそこで集団生活を送る。その環境は、「劣悪」の一言だ。収容限界を越えた空間に詰め込まれ、衛生状態は悪く、食料も常に不足している。さらに子供達の間でも争いが起こる。貴族出身の子供などはこの時点で絶望し、自ら死を選ぶ者も少なくない。アブラが行っているのは施設への寄付と食料の差し入れ、それに自身が使える魔法――『清浄』をかけることのボランティアだ。始めてからもう何年経つだろうか。
その事をサマル・マムが知っているのは不思議では無い。花街の嬢は、壁のこちら側の職業の中ではかなりの高収入を得られる。本来自由な筈のその金の使い道に、サマル・マムの店は積極的に口出しをする事で有名だった。曰く、
「心と体を削って稼いでるんだ。その期間だって長かぁない。稼げなくなった後の事を考えてやってるんだから、文句を言われる筋合いなんざ、無いさね」
口は悪いが、要は嬢の引退後の就職支援だ。――引退。その言葉を思い浮かべる度に、アブラは身震いする。自分が一番、それに近い事は分かっている。分かっているが――。
サマル・マムはしゅっと紅茶を飲み干し、アブラはポットからおかわりを注いだ。
「あんた、ウチの店、継ぐかい」
「……はい?」
何かを聞き間違えたかと思った。それ程にあっさりと、サマル・マムは言ったのだ。
「……冗談か、何かですか?」
「冗談なもんかい」
サマル・マムは葉巻を取り出し、アブラが動く間もなく自分で火を付ける。
「あたしも随分長い事やってきたが、そろそろ引退さ。いい加減、後継ぎを決めなきゃあとは思うけど、中々難しくてね。なにせホラ、あたしは嫌われモンだからさ。それを含めて引き継いでもらわんといけないしねぇ。わざわざババを引きたがるモンは、そうそういないもんさね。ま、あんただって本音はそうだろうけどさ」
老女は灰皿で一度葉巻を叩くと、「けど、あんたにとっても悪い話しじゃあ、無いはずさ。少なくとも今まで通り、施設に援助する事はできるさね」
アブラは思わず息をのんだ。言葉だけを聞くと悪党の交渉のようだが、いかにも超現実主義のサマル・マムらしい。もし、このまま自分が引退したらどうなるか。手に職は無く、貯金も無い。稼いだ金は、その殆どが施設への寄付へ消えているからだ。
格下の店に拾って貰えれば御の字だが、それすらも叶わなかった場合は、それこそヤミで客を取る生活を送るしかない。あげく、病気で孤独に野垂れ死ぬのだ。そういう末路を辿った嬢を、何人も見てきた。だが、サマル・マムの提案を受ければそのような未来は無くなる。勿論、自分次第ではあるが。
花街の組合が人材確保の名目で、施設に援助をしている事はアブラも知っていた。ひょっとしたら、サマル・マム個人も、何らかの援助をしているのかもしれない。この申し出は、間違いなくそれを踏まえてのものだろう。気がつくと涙がこぼれそうになっていて、アブラは慌ててそれを拭った。
「……ありがとう、ございます」
「勘違いされちゃあ困るね」
サマル・マムは眉根にシワを寄せて、改めて盛大に煙を吐き出す。「あたしは別に、お涙ちょうだいであんたに声をかけたんじゃあないよ。――あんたならできる。任せられる。そう思ったからさ。もし受けるなら、それなりの覚悟を持ってもらわんと困る。ウチの店だって、いつどうなるかなんかわかりゃしないんだからね」
アブラの両眼から、堪えきれず大粒の涙が流れる。――はい、と半ば言葉にならない返事を確認して、サマル・マムは温くなった紅茶を含む。
「お湯が冷めちまったよ! グズグズしないで、取っ替えな!」
奥に怒鳴り付けると、店員は急ぐでも無く新しいポットに交換する。
「……全くネェ。何をするにもカネ、金、金さ。世知辛いよねぇ。いっその事、魔石の闇取引にでも手を出したくなるさね」
「まさか――」
涙を流しながら目を丸くするアブラに手を振る。
「そこまではしてないよ。ま、あたしも清廉潔白ってワケじゃあないけどね。……けどこのままじゃあ、いい加減厳しいさね」
施設に入った子供達は、素質や能力でその後の道を振り分けられる。その殆どが、冒険者という名の口減らしだ。施設だけでなく、壁のこちら側は既に人口が飽和状態だ。人口を減らし、魔石を得る。冒険者というのは最も過酷な職業と言っても良いのかもしれない。
――冒険者、か。
アブラはネジドの顔を思い浮かべる。最後に会った時、仕事に行くと言っていた。――仕事。冒険者にとっての仕事とはすなわち、迷宮に潜る事。禁じられていた筈だが、彼は迷宮へ行ったのだ。アブラはそう確信していた。
また、会えるだろうか。
胸の奥が疼く。胸をおさえてうつむくアブラをサマル・マムは見つめ、そっとため息を付いた。
――女を泣かせんじゃないよ、唐変木が。
心の中で罵りつつ、サマル・マムは熱い紅茶をすすった。




