01.ある少女の記憶【一】
【私】は、オリア魔法学園の廊下に居た。夕暮れ時で、橙色の温かな光が窓から差し込んでいる。
そして、目の前にはリアが居る。彼女は眦を釣り上げ、【私】を睨みつけているのだ。
憎しみに表情を歪めたリアを見て、胸がツキンと痛くなった。
今、目の前で起きている出来事を、ウィザラバで見たことがある。
だから、これから訪れる悲しい結末を知っているのだ。
――これは、リアがエリシャに嫉妬して、嫌味を言っていたシーンだ。
リアの兄がエリシャを週末の外出に誘ったから、リアは兄を盗られたと思っているのだ。
「平民のくせに、お兄様に馴れ馴れしく近づかないでくださる?」
「で、ですが、この学園では身分に関係なく――」
「口答えするなんて見苦しいわ!」
リアが声を張り上げると、周囲にあるガラスが大きな音を立てて割れる。彼女の魔力が暴走したらしい。
「――っ」
【私】は頬に手を当てた。ゆっくりと頬から離すと、掌に血が滲んでいる。
先程の魔力の暴走で割れた窓ガラスの破片で、頬を切ってしまったのだ。
「あ……わ、私は、怪我をさせるつもりなんて……なかったのに……」
その言葉は本心のようで、リアは【私】の怪我を見て怯んだ。そして、両目を大きく見開き、小さく震えている。
こんなつもりではなかったと、何かを恐れているようなか細い声で、何度も何度も呟いた。
「ルーセルさん、私は大丈夫ですので……」
「いや……こんなつもりではなかったのに……また、魔力が暴走した所為で――」
力なく座り込むリアに、【私】が近づこうとした時、不意に、誰かが【私】たちに近づいて来る足音が聞こえてきた。
「――何をしている?」
地を這うような低い声が聞こえると、リアが肩を揺らした。怯えたような眼差しで、【私】の背後を見つめる。
振り返ると、私の背後にリアの兄――ナルシスが立っている。
ナルシスは燃えるように赤い髪が特徴的な美形で、蜂蜜色の瞳には甘さを感じさせられる。
その金色の瞳は【私】には甘く優しいが、リアには凍りつくような冷たい一瞥を向けた。
「お、お兄様。違います。私はただ――」
「エリシャ、頬から血が出ているよ。すぐに医務室に行こう」
ナルシスはリアの言葉を遮り、【私】の手を取る。まるで、彼女の声なんて全く聞こえていなかったかのように、無視した。
「お兄様! わざと怪我をさせたのではありません!」
「だろうね。お前のような出来損ないが、つまらない感情に振り回されて魔力を暴走させたことくらい、容易に想像できるよ」
必死で弁明しようとするリアを、ナルシスは一蹴する。
「今後、私の大切なエリシャに近づかないでくれ」
「……っ!」
ナルシスは【私】の手を引いて、その場を後にした。
残されたリアがすすり泣く声が、廊下に響く。
それなのに、ナルシスは一度も振り返らず、【私】を気遣う言葉を掛け続けたのだった。
◇
目が覚めると、ノエルの顔が視界いっぱいに飛び込んできた。
朝から至近距離で美形の顔を拝むと心臓に悪く、脈が速くなる。
「あ、の、ノエル……おはよう」
「レティ、また魘されていたよ。怖い夢を見たのかい?」
「怖くはなかったわ。……悲しい夢を見たのよ」
前世でプレイしたウィザラバの続編の夢を見たのだと伝えると、ノエルの表情がさらに曇る。
そして、私を労わってくれるような、優しいキスをしてくれた。
「なるほど、レティの夢は予知夢のような性質を持っているから気になるね。よからぬことが起こる前触れかもしれない」
「そうね。よりによって、ルーセル家のパーティーに行く日にこんな夢を見るなんて……」
丁度、今日はルーセル家のガーデンパーティーに行く日だ。
ルーセル師団長から招待状が届いてからずっと楽しみにしていたけれど、先程の夢の事を思い出すと気が重くなる。
ノエルが言う通り、これが不吉な予兆になってしまうのではないかと、不安になるのだ。
「レティ、一人で抱え込もうとしているね?」
「え、えっと……」
「レティ一人に抱えさせないよ。どんなことでも力になるから、不安なことがあればすぐに話してくれ」
心配性の夫は、私が魘されているのを見て、かなり心配したのだろう。
私を腕の中に閉じ込めてしまい、放してくれそうにない。
今日は早く起きて、ガーデンパーティーに行く身支度をしなければならないのに。
このままでは、準備をしてくれる使用人たちを困らせてしまうかもしれないと思った私は、一先ずノエルを安心させることにした。
「心配してくれてありがとう。何かあったら、すぐにノエルに相談するわ」
「約束だよ。もし約束を破ったら、私の願いを何でも一つ、叶えてもらうからね?」
「わ、わかったわ。何でも聞こうじゃないの」
この時、一瞬だけ、ノエルが黒幕っぽい不敵な笑みを浮かべたような気がした。
とてつもなく嫌な予感がして、思わず撤回したくなる。
――どうか、夫から無茶なお願いをされませんように。
女神様に助けを求めつつ、使用人を呼んで寝室を後にした。
新しい登場人物、ナルシスをよろしくお願いいたします!




