796.空と奢りと赤い頬
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俺は、エルを抱きかかえたまま、町の空を跳んでいた。
「次はあっちですわ」
「はい。≪獣王の跳躍≫」
生み出した魔力の足場を破壊しながら、エルの指し示す方向へ跳び、風の羽で落下速度を調整しながら、勢いのまま、空を流れる。
「きもちいいですわねぇー。ずっとこうして、マルクと飛んでいたいですわ」
「こういうのも、良いですよね」
邪魔をするものなく風を浴び、身を宙に預けるのは、心地良いものだ。
暑さを町へと広げ始めた朝の日差しもまた、涼しむ体には丁度良かった。
大聖堂とエルの屋敷を見下ろし、フクロウの敷地に入らぬよう注意し、賑わう商店通りを横切る。
町のあちこちを跳び回った俺達は、先刻までトーマス少年らが滞在していた屋敷の上に戻って来た。
一度、生み出した魔力の足場の上で止まってから、足場を消し真下へと落ちる。
落ちる速度は、ゆっくりと。
「むぅー。もう終わりですの?」
「はい、終わりです。聖騎士の皆さんが心配してますよ」
「それはありませんわね。マルクと一緒ですもの」
「ん? まぁ、信頼してもらえるのは、有難いですけど」
「フフフッ、そうですわね」
エルの声を聞きながら、着地の安全を確保するために、落下地点である真下を見下ろしてみる……黒髪の男が、俺を見上げていた。
いや、あれはきっと睨みつけているな。
遠く、小さいため判別出来ないが、恐らく、その少年の様なあどけない顔に、オーガの如き形相を刻んでいる事であろう。
あれは、エルの従者であるギュストだ。
まぁ、奴の事はどうでもいい。
トーマス少年の見送りに、空中散歩と続いたので、言いそびれていた事がある。
それをエルに伝える方が優先だ。
「エル様。一つお礼したい事がありまして」
「何ですの?」
「襲撃の夜、シャーリーを治療してもらった事です」
「改まるから何事かと心配してしまいましたわ。その事でしたら。わたしくは、当然の事をしたまでですの」
当然の事、か……。
ならば、尚の事、言いたい。
「それでもです。エル様、ありがとうございました」
「なら、お互い様ですわね。モルス教とモンスターから、町を、みんなを、わたくしを守ってくれて、ありがとう、マルク」
「はい……では、お互い様で」
「ええ、フフッ……」
俺の肩に顔をうずめながら、柔らかに笑うエルと共に、ゆっくりと降下する。
何やら下からギュストの怒声が聞こえるが……気にしないで良いだろう。
友と過ごす一時ぐらい、ゆっくりしていたいものだ。
地上に降りた俺達を待っていたのは、ギュストと、エルの従者の一人であり、魔法で姿を隠し、エルの護衛をしているネフツさんであった。
ギュストは、道に降り立った俺へ、一方的に小言を捲し立てる。
やれ「エル様をかどわかして……」だの「エル様を抱きしめるなど貴様……」だの「空なぞ飛んで、万が一落ちたら……」だのと、少々五月蠅かった。
エルが心配だったのは、十分に分かるので、反論せずに聞き流しておく。
言いたい事を言ってスッキリしたご様子のギュストと、ネフツさん、そして聖騎士の皆にエルを託し、俺は次の目的地へと向かう事にした。
「またですわー」
「はい、エル様。ギュスト、後は頼んだぞ」
「お前が言うな……だが、俺に任せろ」
元気に手を振るエルに背を向け、俺は走り出した。
少し急ごう。
バルザックさんと『何時に』と待ち合わせをしている訳では無いが、出来ればバルザックさん達が動き出す前に会っておきたかったのだ。
俺は、高級住宅の立ち並ぶ一帯から離れ、バルザックパーティーが宿泊している宿へと向かう。
造りのしっかりとした少々宿泊費のお高い宿に足を踏み入れ、六十程の宿の主人に一言断りを入れ、二階へと上がる。
すると、二階の談話室で寛ぐバルザックさんとサラスさんに遭遇した。
「おはようございます、バルザックさん、サラスさん」
「よぉ。おはようさん」
「おはよう、マルク……随分と粧し込んで、これからデートでも行くの?」
「違いますって。これは…………という訳でして」
俺の説明を聞いて、二人は腹を抱えて笑い始めた。
「アハハハハ、トーマス様と友達って……自分で何言ってんのか分かってんの?」
「ハハッ。良いじゃねぇか。マルクのこっだから、面倒事なんて抜きに、そんままの『友達』なんだろ」
「分かってますって。でも俺一人ぐらい、そういう柵抜きな人がいてもいいじゃないですか」
「だな。マルクぐれぇじゃねぇと、出来ねぇ事だぜ」
「どんどん遠い子になっちゃうわね……」
サラスさんは、そう言うと、じぃーと俺を見つめ、そして再び笑い始めた。
「ハハハ。ないない。マルクは何処まで行ってもマルクよね」
「どうせ変化の乏しい男ですよ、俺は」
「こいつは褒めてんだよ。ほら、こっち座れ、座れ」
「あっ、はい」
俺はバルザックさんの隣に座り、面倒事を済ませる事にした。
途中、宿の主人が差し入れてくれた渋みの効いたお茶を味わいながら、魔石の取り分について話し合う。
鉄骨竜経由で売却後、六等分で話をつける。
もちろん、討伐に一切かかわっていないサイクロプスの分は、除いてだ。
眉を顰めるバルザックさんの意見を跳ねのけ、我を突き通させてもらう。
アレコレ言い合っても、面倒が続くだけだと、流石の俺も学習済みである。
「はぁ……昨日の晩飯もそうだけどよぉ。相変わらず適当だな」
「そうそう。奢りなら奢りって言ってから帰りなさいよ。お金払おうとしてサンディちゃんに突っぱねられた時は、何事かと思ったわよ」
「すみません。あの店で俺と食事するってことは、そう言う事なんで」
きっと事情はサンディから聞いているのだろう。
二人は、愉快そうに鼻から息を吐きだし、怖い事を言いだした。
「なら、もっと高い酒頼めばよかったわね……メニューに載ってた秘蔵の一本ってのが、気になって、気になって」
「まっ、次はもっと豪勢に飲もうぜ。マルクに奢られるってのも、悪かねぇ」
冗談で言っているのは分かっているが……万が一冗談ではない可能性がある。
機嫌の良い二人に対し、俺は素早く頭を下げ、容赦を願った。
「出来ればご勘弁を……普通の食事なら、奢りますから」
「言質、取ったからね」
「もう言っちまった言葉は、飲み込めねぇぜ」
「……はい。でもバルザックさん達って、お金持ちですよね」
「自慢じゃねぇが、そうだな」
「遊びでAランク冒険者やってる訳じゃないからね」
「ならば、何故?」
バルザックさんとサラスさんは、互いに向き合い、フッと笑みを零した。
バルザックさんの顔は見えないが、サラスさんの笑みに侮蔑の意図は感じられなかった。ただ、嬉しそうに笑っている。
そして二人は、小動物でも見るかのような目で俺を見て、口を動かす。
「マルク。おめぇに奢って貰うから、良いんじゃねぇか」
「そうそう。高い安いじゃないのよ」
「は、はぁ……」
その感覚は……俺には良く分からない。
困惑する俺を観察しながら、バルザックさん達は渋い茶をごくりと飲む。
「まっ、いずれ分かっさ」
「大人になれば、ねっ」
「うっ、その言葉は……」
嗚呼……カミュ少年の気持ちが、少し分かってしまった。
たしかに、そんな事を言われても、反応に困るな。
言葉に詰まる俺をみて、二人は小さく肩を揺らす。
子供を揶揄うように、上機嫌に。
「ふぅ。なぜだろう……疲れた」
俺は屋敷の台所で、独り、佇んでいた。
目の前には、ティーポットが一つ。
今、躍り踊る茶葉により、湯を茶へと生まれ変わらせている真っ最中である。
バルザックさん達との話し合いから戻った俺は、屋敷の掃除をしてくれていたシャーリーとテラさんに対し、協力を申し出た。
だが『カッカッカ。もう掃除は終わりじゃ。お主は休んでおれ』と軽く断られてしまったのだ。
そもそも我が家の事なのだから、掃除も俺がしないといけないんだけどね……。
本当にシャーリーやテラさんには、面倒を掛けてばかりである。
それを口にすると、テラさんに引っ叩かれかねないので、口にはしないけど。
せめて、美味しい茶で、休憩して欲しいものだ。
三人分のカップともう一つのティーポットを用意した後は、出来上がりまでの時を数えながら、静かに待つ。
待つ……待つ…………あぁ、やっぱり気になって仕方がない。
「シャーリー。そう遠くから見つめられると、照れる」
そう。先程から、クリッとした愛らしい瞳が、俺をじっと見つめていたのだ。
不可思議な視線を受け続けるにも、我慢の限界がある。
俺は振り返り、食堂から顔だけを出すシャーリーへ向け、手招きをした。
シャーリーが軽快な足取りで、俺の隣にやってきた。
「お嬢さん。何かご質問でも?」
「はい! お兄ちゃん。一つ質問があります」
冗談めいた口調に、シャーリーも乗ってくれる。
機嫌が悪い、って訳じゃないみたいだ。
「どーぞ」
「誰とデートに行くの?」
「行かないよ」
「えっ? じゃあ、もう行って来た後?」
「シャーリー、おまえもか……この服はそういうんじゃなくって、トーマス様の見送りに、一つ格好でもつけようと着た訳でな」
「なーんだ。そうなんだ……」
胸を撫で下ろしながら、シャーリーが大きな息を吐きだした。
心配しなくても、俺にはデートに行く相手なんていないよ、シャーリー。
刻んでいた時が、茶の美味しい時間を報せてくれる。
傾けたティーポットから空のティーポットへと、色鮮やかな茶が移り行く。
「まっ、シャーリー。話はお茶でも飲みながら――」
「テラさんと一緒にね。今日は居間に行こう、お兄ちゃん」
「りょーかい」
自然とカップを持ったシャーリーを追い、俺も台所を後にした。
トーマス少年とメリィディーア様は、もうブラン村に着いた頃かな?
彼らも休憩がてら、お茶でも飲んでいるのならば、幸いである。
まぁ、こちらは、こちらの楽しみを。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
「その格好。凄く似合ってるよ」
「シャーリーが言うなら、間違いないな。ありがと」
「えへへ」
背を向けたまま、シャーリーは歩く。
先程よりも、ちょっとだけ、嬉しそうに跳ねながら。
それは、俺も、同じだな。
シャーリーが振り返らぬ事を祈りながら、俺は火照った頬を冷ましていた。
居間に辿り着く僅かな時間で、どうにかしないと……水でも被ろうかな……。




