792.待っている人
大皿に盛られた手羽先肉に歯を突き立てながら、バルザックパーティーを見る。
皆、ほんのりと肌が朱に色付いてはいるが、酔った様子は無い。
「サンディちゃん。もう一杯」
「はーい」
「ハハッ。今日は早ぇな、サラス。ビーチェの飲み方がうつっちまったのか?」
愉快そうに笑うバルザックさんとは反対に、先程まで緩んでいたサラスさんの顔には険しさが走っていた。
ベアトリーチェさんの飲み方がうつると、何か不味いのだろうか?
ドムさん達三人は、一様にサラスさんから目を逸らし、苦笑いを浮かべている。
うん。この手羽先、黒胡椒が強いな……酒を飲む人に合わせて、かな?
「あんなのと一緒にしないでよね。それに二軒目行くわけじゃないんだから、別に良いでしょ」
「けと、もうすぐマルクは帰っちまうぜ」
何が『けど』に繋がるのか分からないが、帰ろうと思っていたのは事実である。
だが、そんな素振りは見せていないのに、バルザックさんも良く分かるものだ。
そんな勘の良いバルザックさんの言葉を聞いたサラスさんは、俺に確認を取るまでもなく、じぃーと俺を睨みつけ始めた。
つい、手羽先を食べる手を止めてしまう。
視線と視線が重なり、沈黙が生まれる……サラスさんの口角が下がり、口に小山が生まれた。不満を隠そうともしていない。
酔ってる? のか?
「なによー。私達とは、酒が飲めないっての?」
「元々飲みませんし、王族や貴族との食事会でも飲みませんでしたよ」
「そーいうこと言ってんじゃないわよ。もー」
それが分からぬほど、俺も馬鹿ではない。
サラスさんは、俺に『お前も酒を飲め』と強要している訳ではなく『まだ一緒に居ろ』と言っている。
そう、言ってくれているのだ。
「分かってます、サラスさん。遅くなければ、まだ付き合えるんですけど――」
「リッカ嬢ちゃんが、あの家で待ってるからな。心配させねぇ内に帰っとけ」
「はい。そういう訳なので、すみません」
バルザックさんの援護に乗り、サラスさんへ軽く頭を下げた。
サラスさんは、俺をみるジトリとした目を変えぬまま、目線一つ動かさずに手羽先肉を取り、咀嚼を始める……間が……恐ろしい。
サラスさんの細い喉が波打ち、それを流し込むように彼女はジョッキを呷った。
そして、長い、長い息が吐き出される。
その行動が何を示しているのか、酒を飲まぬ俺には分からない。
「ぷしゅぅぅ。良い店も紹介してもらったし、また一緒に何処か食べに行くなら、今日のところは許してあ・げ・る」
「はい、是非」
「その時は、俺達も一緒にな。お疲れ、マルク」
ドムさんの言葉に続けて、シャラガムさんとテガーさんからも労いの声が飛ぶ。
俺は急ぎ、手羽先肉の残りを喰らい、ジョッキの水を飲み干した。
「ふぅ。お疲れさまでした」
そんな当たり前の言葉に、五人は僅かに口角を上げ、軽く手を掲げてくれる。
冒険者……そして、仲間……か。
昔の自分が、どれだけ大きなものに目を背けていたのか……それを、思い知らされる光景だ。
でも、この光景は……輝いていて、美しい。
誰かと共にいて、誰かと共に笑う……俺には、眩しいよ。
何度共に戦場を駆けようとも、何度共に寝食を共にしようとも、本当の意味で、この光景に溶け込むことは、俺には出来ないだろう。
そういう、最低な性分だ。
それでも、この人達は、もう俺の、大事な人達だ。
困ったな……この人達と、神様を一緒にぶっ飛ばす約束、しちゃったんだよな。
今更断ると、戦いへ行く前にバルザックさんに殴り殺される未来しか見えない。
ちょっと、早まってしまったかもしれないな……。
少し考え込んでしまった俺の顔を、バルザックさんが不審そうに見ていた。
「あ? どうした、マルク」
「いえ。また今度」
「何言ってやがる。会うのは明日、だろ?」
「あはは。そうでした。また明日」
「「「「おう」」」」「またねー」
重なる四人の厚い声と、気楽に聞こえるサラスさんの声。
あはは、本当に、息の合った人たちだ。
崩れた顔をそのままに椅子から立ち上がる俺へ、サンディが駆け寄って来た。
「あれ? もう帰り?」
「うん、俺だけね。サンディ、今日も美味かったよ」
ジョッキを持ったまま俺の前で立ち止まったサンディは、俺の顔を見てニヤニヤし始める……変な顔してるのは、自覚してるよ、サンディ。
サンディは、続けてバルザックさん達を一瞥し、大きく二度頷いた。
「うん、うん。良かった、良かった」
「何が?」
「こっちの話。ねぇ、マルク――」
「いつも通りで」
「アハハ、だよね。また来てね」
俺は「当然」と返し、店の外へと向かった。
店を出て、魔工石の灯る通りを歩くと、先程までの喧騒が幻だったのではないかという錯覚に陥ってしまう。
人通りも少ない静かな道を、少しだけ足早に進む。
テラさんは、もう寝ているだろうか?
それとも、編み物でもして待っていてくれているだろうか……きっと……。
走りはせず、だが、普段歩くよりも速く、足が動く。
真っ直ぐ、我が家へ向けて。
目を瞑ってでも行き来できる程に慣れた道を急ぎ、俺は屋敷に辿り着いた。
開かれたままの門を潜ると、闇の中で佇む我が家が見える。
魔工石の光が漏れ出す、我が家が。
自分の口元が、上向いている事に気が付いた俺は、顔を引き締め直し、屋敷の出入口へと向かった。
鍵を開け、扉を開き、声を上げれば、元気な声が返って来る――
「ただいま戻りましたー」
「おかえりなさい、マルク」
あ、れ……あれ?
想像と違い、涼やかな声が俺の帰宅を出迎えた。当然テラさんの声ではない。
姿は見えぬが、この涼し気な声を聞き間違える訳がない。
俺は急ぎ戸締りをし、食堂へと向かった。
そこには、魔工石の灯りの中ですら輝く青い髪を背に流し、背筋をピンと伸ばしたまま椅子に座っているミュール様の姿があった。
感情を表さぬ顔を俺へ向けながら、銀の瞳で、何かを訴えかけていた……何が何だかサッパリ分からない。
「ミュール様、来ていたんですね」
「ええ……随分と遅い帰りでしたね」
「えっと。お待たせして申し訳ありません」
あれ? 何かミュール様と約束していただろうか?
いや、していない……筈。
してない、よな?
返事のないミュール様を見ていると不安になって来る。
俺はミュール様から目を逸らし、状況を確認する事にした。
ミュール様の正面にあたる席には、毛玉と二本の棒針が置かれており、テラさんが編み物をしていたであろう痕跡が残されていた。
ならば今、テラさんは――
「マルクや、おかえりなのじゃ」
「うん。ただいま、テラさん」
予想通り、台所から、カップを三つ持ったテラさんが顔を出した。
恐らくあれは、空のカップだな……ならば、ミュール様は、そう長い時間は待っていなかったと予測出来る。
「してお主、夕食は食べたのかえ?」
「はい。狼のまんぷく亭で」
「うむ」
テラさんは、ふわり広がる銀髪からはみ出た長い耳をピョコッと上下に跳ねさせながら、ミュール様へカップを渡し、その隣にカップを一つ置いた。
そこが、俺の席ってことだな。
隣に座る俺を、変わらず感情を見せぬ表情で見つめるミュール様。
その柔らかな唇が動いたかと思うと、咎める様な冷たい声が飛び出て来た。
「マルクは私を放っておいて、バルザック氏との食事会を選んだんですよ、テッラリッカさん」
「えっと……もしかして、ずっと待ってらしたんですか?」
違うと分かっていても、聞かざるを得ない。
そして、その問いに対する答えは、返って来なかった。
ただ、銀の瞳が、俺を見つめ続けるだけだ……何故?
編み物の置かれた席へ座ったテラさんが、視線でミュール様を突き刺しながら、言外に言っていた。
『何をやっとるんじゃ、こ奴』と。
「マルクや。安心せい。ミネルヴァは今し方、来た所じゃよ。大方お主が帰って来るのを知り、先回りしたのじゃろう」
「私も、頼み事があって来ただけですからね。フフフッ」
先程までの冷たさはなく、涼し気で心地よい笑い声が、俺の左耳を撫でた。
えーと……ただの冗談の類だったんだな。
「ふぅ。何かミュール様との約束をど忘れしたかと……良かったです。それで頼み事とは?」
「それは明日の朝の話ですから、また後ほど。まずは今日の話を聞かせて」
「疲れておるなら、明日でも良いぞ」
サイクロプスと、パラサイトらしきモンスター……パラサイトらしきモンスターの話をするなら、アルケーの森の話も必要か。
ならば、テラさんに承諾を取ってからが良いよな……良い機会か。
「大丈夫だよテラさん。二人に話しておきたい内容だし」
「では、≪自然の息吹≫よ」
何もない空間からミュール様の魔法のお茶が生まれ、卓に置かれた三つのカップへと注がれていく。
お茶請け代わりではないが、話すとしよう。
今日のバルザックパーティーとの冒険譚を。




