549.我が愛馬に誓って
皿を洗いながら、俺は昼食の事を思い出していた。
バターを利かせた玉葱入りオムレツに、チーズをかけた一品。
濃厚な卵の味わいとバターは、実に良く合う。
チーズが掛かった部分と、そうでない部分の違いが、味に変化を生んでいた。
食べていて楽しい料理は、それだけでも嬉しくなる。
白いパンも、柔らかな甘さと食感で美味しく、頼もしき毎食の御供である。
シャーリーが家から持って来た酢漬け野菜の千切りは、少し酸っぱかったかな。
だが、それもまた、良い。
「何考えてるの? お兄ちゃん?」
「んー。シャーリーの料理は美味しいなって」
「えへへ。あれぐらいなら、いつでも作っちゃうよ」
「また作ってくれるか?」
「うん。絶対作る」
シャーリーは、俺が洗った皿を白い布で拭きながら、目尻をふにゃりと下げた。
その少し子供っぽい表情を見れる事が、嬉しくて、俺は、洗っている皿を落としそうになってしまった。危ない危ない。
あと少しなんだ。さっさと終わらせてしまおう。
視線を皿へ戻し、手を動かす。
だが、一度話し始めたのだから、口も動かさねばな。
「なぁ、シャーリー。折角、店番無い日なんだから、行きたい所とか無いのか?」
「んー? 買い物はテラさんと行ったし、友達とも約束ないし……お兄ちゃんは、行きたい所とか無いの?」
「改めて聞かれると、確かに悩むな……」
皿を洗う手を止めずに、考えてみる。
先程までやっていた炎の訓練を続けるのも良いが、魔力は有限だ。
出来る事ならば、夕方のミュール様との訓練に魔力を取っておきたい。
ならば剣でも振るか? 走り込みでも良い……だがどちらも独りでの行動だ。
テラさんとシャーリーが居てくれるこの時に、やるべき事だろうか?
「思い付かない。いっその事、夕方まで家でゴロゴロするかな?」
「うん。それもいいね……でも、お兄ちゃん。会いたい人っていないの?」
「会いたい人……顔出しておきたい所はあるな」
「へぇ……だぁれ?」
俺から最後の皿を受け取ったシャーリーは、手を止め、俺をじぃっと見ていた。
俺は、自分の手から出していた魔法の水を止め、率直に答える事にする。
隠す事じゃないしな。
「パック先生の所と、エル様、ゴンさんの所、教会だな。あぁ、あと一か所」
忘れてはいけない場所が、一か所あった。
俺が、その場所を伝えると、シャーリーがクスッと笑みを零す……別に変な場所じゃないんだけどな。
「じゃあ、一緒に行こうよ」
「テラさんにも聞いてみないとな」
「うん」
体を動かす訓練が、家でゴロゴロに変わり、そして外出へと変わる。
自分だけで考えていたら、そのまま木剣を振ってただろう。
鍛錬が別の用事と化す。
それが、良い事なのか悪い事なのかは別だが……楽しい事には違いない。
俺はゆっくりと手を動かし、背を撫で付ける。
指に、そして手の平に返る柔らかな感触は、堪らない。
テラさんも表情を緩め、長い耳をピョコピョコさせていた。
「よーし、よしよしよし。良い毛艶じゃ。確り食べておる証じゃな」
テラさんが我が愛馬をブラッシングしている姿は、実に楽しそうである。
今日は、愛馬の右側をテラさんが。左側を俺が担当する。
ブラッシングを半分半分に分けるのは、俺とテラさんの暗黙の了解だ。
テラさんがブラシを動かす間、俺は、手で愛馬を撫でながら、健康状態を見ていた。特に問題は無さそうで、良い肌艶、そして良い筋肉をしている。
目も活き活きとしており、それは、力強い姿の中にある、愛らしい点であった。
「ヴェント。元気で何よりだ」
だが我が愛馬は、俺よりも、テラさんとシャーリーに興味がある様だ。
耳の向く方向で、それが分かってしまう。
俺とは反対側、テラさんの隣で愛馬の首をポンポンと軽く叩くシャーリーに、愛馬は夢中らしい。
まぁ、俺は俺で、愛馬の毛並みを楽しんでおこう。
「ほれ、マルク。次はお主の番じゃ」
「ありがとう、テラさん。よーし、今度は俺が綺麗にしてやるからな。覚悟しろ、ヴェント」
我が愛馬は、ぶるると低く鳴くと、尻尾をゆったりと振った。
テラさんから受け取ったブラシを右手に持ち、愛馬の肌を撫でる様に、動かす。
痛がらない程度に、少し強めに。
前から後ろに流す様に、丁寧に、丁寧に。
正直、このブラシ掛けは、ただの触れ合いに近い。
日夜、馬の世話をしてくれているのは、厩舎で働いているナンシーである。
愛馬の体を清潔に保ってくれているのも、ナンシーだ。
俺やテラさんでは、細かい部分や、足元を綺麗にしてあげる事は出来ない。
それでも、今やる事は、しっかりと。
ブラシを動かす度に、美しく輝く毛並みも良いが、鼻を伸ばした顔も見ていて飽きない。人語を介さなくとも、感情とは結構伝わる者である。
愛馬の気持ちも、俺の気持ちも。
「よーし、良い子だヴェント。お腹、触るぞ」
返事である鳴き声を聞き、俺は腹部にもブラシを掛ける。
ここは特に気を付けて。
愛馬は、そう触れられるのを嫌がる奴では無いが、それでも動きを見ながら、嫌がっていないかを確認しながら……良し。
後は後ろ脚に蹴られぬよう気を付けながら、臀部と後ろ脚を仕上げて、完了だ。
「よし。終わったぞ。ヴェント」
美しく輝く愛馬を見るのは、楽しい。
尻尾や足元、顔や耳の周りは、ナンシーに任せよう。
本職には、敵わないからな。
前足の横に立った俺へ、愛馬が首を近づけて来た。
「ん? 何か良く分からんが、可愛い奴め」
左手で首を迎え撃ちながら、ゆっくりと撫でる。
これが抗議の反応ではない事は、流石に俺でも分かるさ。
「いいなー。お兄ちゃん。私もやりたい」
「ヴェント、良いか?」
ぶるっという短い鳴き声は、肯定か否定か……肯定と取っておこう。
「なら、わしと一緒に背筋を撫でてやろうぞ」
「うん。教えて、テラさん」
「テラさん、シャーリーとヴェントの事、お願いします」
「うむ。わしに任せるのじゃ」
俺は反対側に立つシャーリーへブラシを渡し、馬小屋から離れる事にした。
なぜなら、外でナンシーが俺へ手招きしていたからである。
何か話でもあるのだろう。
「やぁマルクさん。憩いの時間を邪魔してごめんね」
「いや、いいよ。テラさんとシャーリーに任せてきたから」
ナンシーは、シャーリーの友人で、この厩舎で働く少女である。
今日も、小麦の様な三つ編みが、ナンシーの背で輝いていた。
作業服姿に農具であるフォークを持つ姿も、俺は良いと思う。
恐らく先程まで、干し草を扱っていたのだろう。
「ヴェント君も幸せ者だねー。美少女二人に世話して貰ってさ」
「普段からナンシーに世話して貰ってるから、それも合わせて美少女三人だな」
「ハッハッハ。私は含めなくて良いよ、マルクさん」
ナンシーは笑いながら、少し恥ずかしそうにしている。
いつもの、ひまわりの様に笑うナンシーも、美少女だと思うのだけどな……。
まぁ、追及しても不毛なだけだ。話を聞こう。
「それで、何か話だよね」
「そう。マルクさんって邪竜討伐に行っちゃうよね?」
疑問と言うよりも、確定情報の様に問いかけて来た。
もはや、この事には何も言うまい。
「そのつもりだよ……あぁ、なるほど」
ナンシーの言いたい事が分かったので、代弁する事にした。
「ヴェントを連れていくのかって事か」
「そう。ヴェント君も一緒に戦場に?」
「連れて行かないよ。王都までどうやって行くかは、まだ未定だけど。どんな方法を取るにしても、ヴェントはお留守番だな……万が一があるからさ」
万が一。
邪竜が王都へ向かう可能性が高いのならば、王都にヴェントを置いておくのは、止めた方が良い。
自分が死ぬ可能性も高い上、邪竜に戦場から逃げられる可能性も考えれば、当然の判断と言えるだろう。
「そっか……ヴェント君に危険が無いのは嬉しいけど、ヴェント君怒るかもね」
「その時は、迷惑かけるよ」
「うん。ヴェント君の事は、私に任せておいて」
「頼んだ」
馬を愛する彼女の言葉は、本当に頼りになる。
愛馬の事は、ナンシーに任せれば大丈夫だ。
「でも、マルクさん。万が一なんて駄目だからね。シャーリーも、ヴェント君も、テラさんも……悲しい顔なんて、私は見たくないから」
「分かってるよ。誰にも悲しい顔なんてさせないから」
「ヴェント君に誓える?」
「ああ。我が愛馬に誓って」
俺の言葉に、ナンシーが笑みを浮かべた。
日の光を反射するひまわりの様な、この笑顔は、やはり可愛らしい。
「なら、大丈夫だね。さぁ、さぁ、ヴェント君ともっと触れ合ってあげてね」
「了解。帰りには声掛けるから……何か手伝う事ってある?」
「ハハッ、無いよ。ごゆっくり」
そう言ってナンシーは、仕事に戻って行った。
見える背で小さく揺れる三つ編みが、少し嬉しそうに見えた。
言葉が無くとも、伝わる事はあるものだ。
すみません 今日は一話のみの投稿とさせて頂きます




