532.一日の終わりは湯船に
今日は、見送りとは言え、フクロウの敷地へ続く門までは送らない。
アムとは、近場の分かれ道で、さよならだ。
「いつでも遊びに来るのじゃぞ」
「はい。テラさん。じゃあね、マルク」
「ああ、アム、またな」
軽く挙げた手を一振りし、美少年顔でキラリと笑うアムの姿は、眩しくて目が痛い。俺と居る時ぐらい、美少年の仮面は外して欲しいものだ……口が裂けてもそんな事は、言わないけど。
赤い髪を揺らしながら立ち去るアムの後姿を、テラさんと二人、見送る。
「さて、わしらも帰るとするかのぅ」
「はい。訓練の続きをしないと」
今日は、絶氷の棺の訓練はお休みである。
ならば、その分の魔力は、炎の訓練に充てるべきだ。
テラさんと二人、足は屋敷へ向け動き出した。
「うーむ。わしも何かマルクの役に立てれば良いのじゃがのぅ」
「居てくれるだけでも励みになりますから」
「それは嬉しいのじゃが、納得は出来ぬのじゃ」
ふわりと広がる銀の髪から、長い耳がピンッと伸びていた。
その張り具合から嬉しさよりも、納得出来ない事の方が大きいようだ。
「気にしなくても良いと思いますけどね」
「わしの矜持の問題じゃからな」
「あの、無理とかはしないで下さい、テラさん」
「カッカッカ。分かっておる。わしに出来る事を考えておるだけじゃ」
俺へ軽く顔を傾けながら、テラさんは口元をニヤリと歪めた。
悪戯や悪だくみなら、まだいい。
テラさんには、無理や無茶はして欲しくないな。
その後は、屋敷に戻るまで『うーむ』という悩みの声を聞く事となった。
自然と足は、訓練の為に庭へと進む。
テラさんは、考え事をしながら休憩所の椅子に腰を下ろした。
「≪風≫よ」
日は落ち始めているが、まだ少し暑い。
僅かに温度を下げた風を、休憩所の中を通しながら、ぐるりと循環させる。
これで、テラさんも考えながら、ゆっくり休めるだろう。
さて、俺は訓練に入るとしよう。
「≪魔力の壁≫、≪魔力の結界≫、≪風≫よ」
空に魔力の壁。日除け、良し。
周囲に魔力の結界。事故防止、良し。
結界内に涼しい風を。涼、良し。
後は炎を右手に宿すだけだ。集中しろ、集中。
俺の中にある炎の想像を呼び起こす。
それは炎帝竜さんの炎であり、子供の頃みた母の炎の剣であり、そして俺自身の炎だ。赤く、熱く、猛り燃え上がる、一つの炎。
それを右手に生み出し、より強く、強く。
「≪炎帝竜の炎≫」
呪文と共に生まれた炎は、俺の右手を焼かず、何ものも焼かず、俺がくべた魔力をひたすら喰らい続けた。
訓練をひたすら続ける。何度でも、何度でも。
テラさんが入った後のお風呂は、なぜか森の香りがする。
湯船のお湯に手を刺し込むと、少し温い。
体を洗う時に、温くなってしまったか。
俺は刺し込んだ手から、お湯に魔力を流し、呪文を唱えた。
「≪水≫よ」
言葉に応え、魔力が魔法の力へと変わる。
別に水を生み出している訳では無い。今は水を操っているだけだ。
その中に炎の想像を加え、少しだけ湯船のお湯を温かくする。
もう少し、もう少し……良し。
この微調整こそが、魔道具では再現できぬ魔術師の業である。
アムに言ったら、横っ面を引っ叩かれそうだな。
俺は、足を入れ、そのまま腰を下ろした。
体の先端から胸元まで、暖かさがジワリ、ジワリと伝わってくる。
そして同時に、体の疲れが湯に溶け出していく錯覚があった。
実際は、そんな事はない。そんな事はないが――
「ふぅ。気持ちいい……」
錯覚で十分だ。
体が温まると、少し緩くなった頭に考えが浮かんで来る。
邪竜の事。
みんなの事。
俺の事。
今日は、邪竜の魔力を感じた以外は、何の変哲もない一日であった。
こんな何もない日が、続けば良いなと思う程に。
だがそれが、このままでは続かない事は、分かりきっている。
邪竜は、恐らくこちらへ来るとミュール様が言っていたが、その『恐らく』の精度は、かなり高いものだろう。
それがどこぞやの魔術師の言葉ならともかく、ミュール様の言葉なのだから。
十年前と同じであれば、村々を焼いて回りながら、邪竜の進む先は、王都。
そう、ピュテルの町ではない。
それでも……王都に居る、少ない知り合いの顔が浮かぶ。
モーリアンさん。カミュ少年。ノワール。レオニード王。タキオンさん。メリィディーア様。トーマス少年。
考え中、なんて言っていたけど、答え何て決まっているよな。
「助けないと……」
死んでまで?
答えに対し、次の疑問が、そう浮かんだ……浮かんでしまった。
モンスターとの戦いは、いつだって命懸けだ。
圧倒するだけの力が無ければ、油断一つで死ぬ。
か細き力ならば、油断せずとも死ぬ。
邪竜相手ならどうだろう?
父と母がどうなったかは、話として知っている。ダニエルさん達からも聞いた。黒い炎に飲まれ、死んだ父と母の話は。
戦いを避けたがる意識は、やはり恐怖からなのだろうか?
その恐怖は死? それとも離別?
「ふぅ。分からん」
風呂に入っただけで、答えが出るなら、苦労はしないな。
みんなの事を思い浮かべよう。
ガル兄もアムも、心配性なのは相変わらずだ。本当に、嬉しい事だ。
夕食時の忙しそうなサンディも、疲れは見えず、元気で溌溂としていた。
リンダさんは、いつも変わらない。そこが、良い。
ビィには、最近よく会えて、嬉しい限りだ。
ハイスとは、結構長く顔を合わせていない気がする。仕事が忙しいのだろう。
シャーリーは……いつだって可愛らしく、見ていて癒される。
俺が日常を感じられるのは、シャーリーが居るからだろうな……何者にも代えがたい女の子だ。
テラさんは、居てくれるだけで嬉しい。夕刻前の帰り道で、紛れも無い本心を伝えたつもりだったが、上手く伝わっていない気がしてならない。
ミュール様は……実は、良く分からない。
無職の俺に居る筈もない上司の様であり、友人の様であり、師匠の様であり、利害の一致した関係性の様でもある。
「本当に、わからないな」
呟いた言葉が、浴室の中に響き渡った。
他にも、色んな人の事が頭に浮かんで来るが、今は止めておこう。
あぁ、自分の事は……どうでもいいな。
魔法の訓練を、もっとしないと。
湯船へ更に体を沈め、肩まで浸かる。
お風呂は、心も体も癒してくれるが、悩みを解決はしてくれない。
ふぅ。もう上がるか。
「マルクや。いつまで入っておるのじゃ」
「すぐ上がりまーす」
思ったよりも、ぼぉーと考え事をしていた様だ。
早く上がって、ゆっくり眠ろう。
だけど、その前にもう少しだけ、湯船の誘惑に身を任せよう……。




