531.道具屋とフクロウと
「みんな帰っちゃったね」
「そうね」
「今日は、店も暇なんだから、みんなもっとゆっくりしていけばいいのに」
「お兄ちゃん達は、訓練したりで忙しいんだよ。ハイ、終わり」
洗い終えたカップを、ビィへ渡し、シャーリーは、水の魔工石に触れる。
流れる水を止め、シャーリーは流し場で手を払う。
「でもお姉ちゃん。一緒に居なくて良かったの?」
「ん? いきなり何?」
シャーリーは柔らかに微笑みながら、カップを拭く手を止めているビィを見下ろした。ビィもまた、シャーリーをじっと見ている。
「マルク兄ちゃんだよ。邪竜に戦いに行っちゃったら……」
「大丈夫だよ、ビィ。お兄ちゃんは、何が有っても帰って来てくれるから。だから、お兄ちゃんとは、いつも通りで、ね」
不安の色を顔に見せる妹へ、シャーリーは尚、微笑む。
姉から目を逸らし、カップを拭くビィは、納得のいかない様子であった。
シャーリーは、ビィの様子を気にせず、白い布で手を拭き、ビィの並べた吹き終わったカップを棚へと戻していく。
「それでいいんだ……変なの」
「フフッ。ビィは、いいの?」
「私は良いの……どっちかって言えば、ハイス兄ちゃんの方が心配だよ」
「あぁ……ハイスってお兄ちゃん大好きだからね」
「真似っ子しても、マルク兄ちゃんには成れないのにね」
仕事が忙しく、少しぶっきら棒であった頃のマルクを思い出し、そしてそれをまねる弟の姿を思い浮かべながら、シャーリーは、クスッと笑った。
「あれが男の子なんだよ、たぶん」
「やっぱり分かんない」
ビィは、最後のカップを布ごと姉へ渡し、背中を伸ばした。
「さてと。勉強しなきゃ」
「珍しい」
「アムさんに会えたからね。頑張らなきゃ」
「シャーリー! 手を貸しておくれ!」
「分かったー! お母さん! 勉強頑張ってね」
声を張り、一階からの言葉に答えたシャーリーは、ビィの頭を一撫でし、母の元へと向かった。
さっきまで忙しく無かったのに、何故だろう? と思いながら。
そして一階に下りたシャーリーが見たのは、買い物客で溢れた店内であった。
その全てが冒険者であることは、知っている。
「おっ、シャーリーちゃん。火の魔工石って売り切れかい?」
「シャーリー。野営の道具ってこれで良いんだっけ?」
「シャーリーちゃん……」
「シャーリー……」
買い物客は、無遠慮に次々と質問を投げかける。
そして、それはリンダも同じであった。
「シャーリー。商品の補充を頼んだよ」
「もう、一つずつだよ。バッカスさん、火の魔工石なら……」
冒険者の質問と注文に答えながら、忙しなく動き始めるシャーリー。
道具屋の日常は、邪竜とは関係なく、回り続ける。
太陽は、まだ赤く変わってはいない。
町も人も、明るく、そして落ち着きを保っている。
感じた邪竜の魔力が嘘であったかのように、静かで、穏やかな一日。
隣を歩くアムとテラさんも、その顔は柔らかで、優しい。
「夜道じゃないんだから、送らなくても良いんだよ」
「別にやる事ないからな」
「そじゃな。今は、待つだけじゃ」
現在、アムを送る為にフクロウの敷地内へ向け、町を歩いている。
「マルクとテラさんは、この後どうするんだい?」
「テラさんに用事がなければ、家で訓練の続きかな」
「わしは、夕食まで暇じゃよ、マルクの見張りでもしていようかのぅ」
「フフッ、見張りか……よろしくお願いします、テラさん」
「うむ。マルクの事は任せい」
前を向いて歩いてても、左右の二人の表情は分かる。
美少年顔に微笑を浮かべるアムと、自信満々に頷くテラさんだ。
「アムは仕事か?」
「今日本当は、待機命令が出てたんだけどね。まぁ、咎める人もいない命令なんだけどさ」
「いや、破るなよ……いや、待機は俺もだった……」
フクロウを通じてミュール様と交わした言葉を、今、思い出した。
まだ数時間前の話なのに……何故、忘れていたのだろう。
『今は、屋敷から動かないように』
『分かりました。テラさんと二人で待機しておきます』
昼食はともかく、シャーリーとまったりしていたのは、駄目だろう。
後で、ミュール様には謝らないとな。
そう思っていると、機を見計らったかの様に、上空から飛翔するフクロウの存在に気付いた。
俺は歩みを止め、フクロウが止まり易いように、頭を真っ直ぐ構える。
降り立つ寸前まで見て居たいが、俺の思いよりもフクロウの着地が優先だ。
羽ばたく僅かな音が、微調整をする白いフクロウの姿を想像させ、そして、頭にスッと馴染む重みが掛かった。
「お疲れ様、フクロウ」
「おっ。いつものじゃな」
「ミネルヴァ様」
俺達の声には、全く反応を示さないフクロウは、俺の頭の上で、ほぅほぅと鳴いている。この声だけで、安らぐ自分が居る。
止めた足を再び動かし、先を進む。
ミュール様と話すのは、歩きながらで問題ない。
『こんにちは、ミュール様。そして、すみません』
「こんにちは。で? 何がでしょうか?」
『いえ。待機の指示を聞かずに勝手に出歩いてた事を』
「ウフフ、構いませんよ。あれはマルクが勝手に戦いに出ない様に、そう言っただけですから。安心して」
『はい。今日は、もう帰って大人しくしておきます』
笑うミュール様の声を聞きながら、頭を下げたくなる気持ちをグッと抑える。
何故か、横を歩くアムとテラさんも、小さく笑っていた。
「マルク。今日の情報を少々」
『よろしくお願いします』
「目覚めた邪竜が何処に居るのかは、不明のままです」
『十年見つからなかった存在を、今になって探し出せるものじゃ無いですよね』
「はい、残念ながら。ですので、王国も各冒険者ギルドも、積極的に邪竜討伐へ動くつもりはないようです」
討伐したくても、相手の居場所が分からなければ、どうしようもない。
そもそも討伐したくとも、それが可能になるだけの戦力を、一体どこから持ってくるのかが問題だ。
国も貴族もギルドも、自分達の力を、命を減らす行為を良しとはしないだろう。
『邪竜が王国内で暴れ始めてから、迎え撃つと言う事ですね……あれ? そもそも今回目覚めた邪竜は、何処へ向かうのでしょうか?』
十年前は、王都近郊で巨大なダークマターが破壊された。
それによってモンスターと邪竜が王都へと向かった筈だ。
今回も、そうなのだろうか?
「今の所、王国内にてダークマターの破壊は確認されていません。邪竜が、南や西の隣国へと向かう可能性も十分に考えられます」
『その場合は、各国任せですね』
「少なくとも王は軍を動かさないでしょう。他国の為に命を懸けて戦う酔狂な人間は、そうは居ません」
『そうですね』
冒険者もそうだ。そして、俺も。
世の中、平和な方が良いという思いは、皆、変わらないのだけれど……では、死にに行くか、とはならない。
『動きが読めないのは、困りますね』
「自分達に脅威が向かぬ可能性がある為に、判断が鈍る事もあるでしょうから、本当に困りものです」
『ミュール様自身は、邪竜は、どう動くと思いますか?』
「あら? 私なら、何か知っていると?」
思っている。
ミュール様の知識の深さへの信頼と……何となくだ。
「ウフフ、何となく、ですか。残念ながら、私は邪竜については詳しくないの。ただ、フィンスティング学派長が警戒を強めているので、恐らくは」
『こちらへ来ると』
「はい。分かっているでしょうが、口外無用です」
『はい、誓って口外しません』
テラさん達にも、言えないな。
俺の返事に、涼し気な笑い声が、頭の中に広がっていく。
「短いですが、この程度で。今日も訓練は出来そうにないですね」
『ミュール様に会えないのが、残念です』
「あら、嬉しい。明日は、時間が取れるかもしれません。その時は、その子に報せを頼みますので」
『楽しみに待ってます』
「では、マルク。また明日」
『また明日』
楽し気に声を漏らすミュール様の声が頭の中に響くと共に、俺の頭からフクロウが飛び立った。
まだ明るい空を、白いフクロウが羽ばたき、飛んで行く。
照る光を反射しながら。
「嗚呼、行ってしまったのぅ。わしもフクロウと戯れたかったのじゃ」
「あの子、可愛いですからね……ミネルヴァ様のフクロウでなければ」
「ミュール様のフクロウは、別に怖く無いぞ」
自然と皆、足が止まっていた。
俺達は三人並び、空を見ながら、青空を自由に泳ぐ白いフクロウを、ただ、ただ見送っていた。




