510.仮面を外して
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話をしていると、扉の開く音がした。
来客を報せる黒猫か?
とも思ったが、足音が聞こえる。これは、カミュ少年のものだ。
そのまま食堂を覗き込むように、青い髪を揺らしながらカミュ少年が現れた。
カミュ少年の目は、モーリアンさん、俺、ミュール様と捉え……最後に再び俺を見た。カミュ少年と視線が重なる。
「兄ちゃん。やっぱ暇そうだな」
「暇じゃないよ。お茶か?」
「何でお茶なんだよ。明日の分まで買い出しに行きたいから、兄ちゃんに店番代わって欲しいんだよ」
呆れた顔をしながら、カミュ少年が要望を突きつけて来た。分かり易くて良い。
だが、そうか、茶じゃないのか……。
まぁ、欲していないのであれば、仕方が無い。
俺は、離席の許可を取る為にミュール様とモーリアンさんへ目を向けた。
二人共、温かい目をしている。言葉で聞くまでもないな。
「ミュール様、モーちゃん、すみません」
「フフッ、構いませんよ。話すべき事は、私達二人で済ませますので」
「マルク少年、こちらこそすまない。弟子よ、気を付けて行ってくるのだぞ」
「いってきます、師匠」
俺は、二人に軽く頭を下げ、席を立った。
そして、モーリアンさんに笑いかけるカミュ少年の元へ向かう。
「そういえば、兄ちゃん。夕食はどうすんだ?」
「夕食……」
どうするか決めて無いな。
王都で取るか、ピュテルの町へ戻って食べるか……考えるよりも聞くべき事だ。
俺の事情は、二の次である。
振り返り、ミュール様へ視線を送ると、ミュール様が静かに目を瞑り、首を横に振った。なるほど、夕食前にはピュテルへ戻ると。
目を開いたミュール様へ、頷きを以て返事をし、カミュ少年と共に歩き出す。
「すまん。その前に帰るよ」
「そうか……まっ、仕方ないよな」
カミュ少年の小さな姿が、ガッカリを隠しきれていなかった。
一人よりも二人、三人、四人で食べた方が、食事は美味しいものな……大勢だとまた別であるが。
俺でも、賑やかしの一つくらいにはなる。
だが今日は、残念ながら駄目だ。
「今度ゆっくり出来る時に、一緒に料理を作ろうじゃないか。なっ」
「へへっ。働き手、確保だぜ」
俺を見上げ、歯をのぞかせながら、ニコリと少年が笑った。
俺の口元も少し緩んでしまっているのが、分かる。
「欲しいのは、そっちか。猫の手くらい貸してあげよう」
「猫の手なら足りてるっての」
カミュ少年は店内に戻ると、すぐに外へ向かおうとした。
買い物の準備は終わっているらしい……お小遣いは、また断られるだろう。
なので俺は、扉を閉めながら、助力を申し出た。
「荷物持ち、いるか?」
「兄ちゃんまで来たら、誰が店番すんだよ」
御尤もである。
俺は、椅子へ腰掛けながら、カミュ少年を見送る事にした。
「あはは、だな。カミュ、いってらっしゃい」
「おう、いってきます」
カミュ少年は、元気にそう言って、正面の板張りの壁へ足を進めた。
足が、体が、壁へ吸い込まれる様に入り込む。
そのまま、体全てを壁の中へと隠した。
店の中に残ったのは、今もカウンターの上で丸くなって眠る黒猫と、ポツンと座る俺だけである。
店内に客はおらず、外光も差さぬ店内では、今の日の色すら分からない。
まぁ何時であれ、カミュ少年が戻るまで店番をするだけか。
独り、ゆったりとするのも、嬉しい事だ。
膝の上に黒猫が居ないのが残念だが……眠る黒猫を起こすなんて、滅相も無い。
四人掛けの卓で対角線状に座りながら、ミネルヴァとモーリアンは、出て行くマルクとカミュを見送った。
そして、扉が閉まる音と共に、微笑の仮面を被りながらミネルヴァが口を開く。
「マルクを店番にするなんて、贅沢ですね」
「フッ。マルク少年は、普通の少年だよ。それは君も知っているだろ?」
「ええ。唯々……マルクが、普通の少年でいられれば良いのですがね」
モーリアンは、そう言うミネルヴァを眠そうな目で見ながら、笑みを零した。
「幸い、もう今回の件では、これ以上マルク少年へ負担を掛けずに済みそうだ」
「突発的な出来事とは言え、炎帝竜を救った時点で、栄誉を受けるべき程に良き働きをしてくれましたからね」
「叶うならば、マルク少年には人と人との争いには、関わって欲しくない」
「モーリアンさんも、先日の件、ご存じでしたか」
モーリアンは、空のカップを撫でながら、言った。
「マリアとセツナを通じてしか知らないが……彼女達と共に世を駆けた二人だったからね……ダニエルも、ジギも……あんなことをせずに、ただ、黙って、世界を見ているだけで良かったのに……」
「あの二人を……ダニエル氏をマルクに殺害させたのが私と知れば、モーリアンさんは怒りますか?」
「私は、マルク少年の事を知らな過ぎる。それでも、誰かの命令だけで人を殺める男では、無いと思っているよ」
そして、二人の間には、沈黙が流れた。
どちらも声を出さない。
モーリアンはカップを撫で、ミネルヴァは、使用者の去った、空のカップを眺めていた。取っ手が左側に向いたカップを。
沈黙を破ったのは、モーリアンであった。
「ミネルヴァ。お茶を頼めるかな?」
「三杯目になりますよ?」
「マルク少年のお茶は別腹だよ。だから一杯目さ」
「フフッ。≪自然の息吹≫よ」
ミネルヴァが呪文を唱えると、モーリアンの目の前のカップに、鮮やかな液体が注がれ始めた。それはミネルヴァの魔力を基点とし、何もない空中から流れ出る魔法のお茶であった。
それは、ミネルヴァの前に置かれたカップも同様である。
魔法が止まると同時に、二人はカップを口へ運ぶ。
聞こえるのは、か細く鳴る、喉の音だけ。
「ふぅ。マルク少年の魔力とは、正反対だな」
「お嫌いですか?」
「いいや。暖かも冷たいも、どちらも心地良いものだよ」
「あら、嬉しい」
カップを置くミネルヴァに対し、モーリアンは二口目を飲む。
そして、カップと肩を下ろしたモーリアンは、呟く。
「モルスの奴らは、来るかな?」
「それは、彼ら次第でしょう」
「ピュテルから王都へ向かう囮に喰い付くか――」
「こちらに気付き、白蛇を襲うか」
「ピュテルを狙う可能性は?」
ミネルヴァは、静かに横へ首を振る。
「そこまで愚かならば、簡単なのですがね。念には念を入れ、既に警備は増やしています」
「そうか、ならいいんだ」
そう安堵した様に息を吐くモーリアンを見て、ミネルヴァは、柔らかに笑った。
正面の空席を見つめるモーリアンには、その笑みは届かない。
「モルスの者が動かず、明日の封印を迎える可能性もありますよ」
「油断は出来ないよ。淀みの剣を奪われ、邪竜の復活に利用されては、事だ」
「それでも……恐らくですが、邪竜の復活そのものは阻止できませんよ」
ミネルヴァは、変わらぬ涼しげな声で、そう言った。
多くの村を焼き払い、恐怖を撒き散らした邪竜の復活を聞いても、モーリアンは平然と言葉を返す。
「だが、時間は稼げる。一月か、一年か……時を稼げれば、多くの者が、力を蓄える事が出来る」
「その力は、本当に邪竜へ向けられるのでしょうか……」
「そう、であると信じているよ」
「少なくとも時間があれば、マルクは、より強くなるでしょう」
モーリアンの眠そうな目が、ミネルヴァを捉えた。
ミネルヴァも、己が銀の瞳で、モーリアンを見つめ返す。
「ミネルヴァ。君は、邪竜にマルク少年をぶつける気なのか?」
「私としては、マルクにはピュテルに居て欲しいのですが……無理でしょうね」
「そうか。勝手に戦いを挑みかねないと……そんな所まで、あの二人に似て欲しくは、無かったよ」
「無理強いさせている、とは思わないのですね」
ミネルヴァの言葉に、モーリアンは柔らかに微笑んだ。
「フフッ。君とマルク少年を見れば、そう言う上下の関係でない事は、分かるよ」
「さて? 私とマルクの関係とは、如何に?」
「私に聞く事かな?」
「私には……分かりませんので」
ミネルヴァは、己の口を塞ぐかのように、お茶を口に含んだ。
その様子を見て、モーリアンもお茶を飲み干す。
「君は、マルク少年に関しては、少し雰囲気が変わる。心地良い変化だ」
「ウフフ。どうでしょう」
「だからこそ、任せられる。マリアとセツナの子を……私の友人を……」
モーリアンは、変わらぬ眠たそうな目で、ミネルヴァを見据え、言った。
「マルク少年を、頼んだよ」
「はい、お任せ下さい」
ハッキリと答えるミネルヴァへ、大きく頷くモーリアン。
見つめ合う二人の顔には、表情を隠す仮面など、ついていなかった。




