105.『鴨の葱』の頼み事
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「起きて、お兄ちゃん。お兄ちゃん」
いつもの声で、目が覚める。
体を起こす前に、いつもと違うことに気が付いた。まだ、日が出ていない。
俺を起こしたシャーリーの顔も、浮かない顔をしている。
まさか! 俺を呼ばねばならぬ事態が!
「何かあったのか!」
「え? あっ、違うよ、お兄ちゃん」
シャーリーの声は落ち着いていた。賊やモンスターでは無いらしい。
「えーと。緊急事態とかじゃ無いんだな」
「うん……」
それでも、早くに起こしに来たということは――
「よし、手伝いに行くか」
「え? まだ何も言ってないよ」
「ん? 店の手伝いが必要なんだろ?」
「なんで、そういう勘はいいの? お兄ちゃん……うん、ちょっと人手が足りなくて、手伝って欲しいんだ」
「顔洗ったら、出発な」
体を伸ばし、いつものように――「≪癒しの水≫」――顔を洗う。シャーリーが差し出してくれる布で、顔に残った癒しの水を拭き取る。
うん? まだシャーリーが微妙な顔をしている。
「どうかしたか?」
「ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんってさ、嫌だったり断ったりしないの?」
「するぞ。面倒なことは、当然面倒くさいし」
「私の勝手な理由で早く起こして、雑用させようってしてるんだよ」
うむ、そう考えると中々億劫な話だな。だが断る理由は無い。
そして、受ける理由はある。
「シャーリーには、いつも世話になってるんだから、こういう時に返さないとな」
「それは、好きでやってるだけだよ」
「なんだ、俺と同じじゃないか」
「違うってば、もう……」
シャーリーが困ったような顔をしている。
俺も我が強すぎただろうか? いや、シャーリーとリンダさんの手伝いは譲れない。たとえシャーリーだろうと。
「もう目が覚めたし、手伝うのは決定だからな。諦めろシャーリー」
「何で、お願いしてる私が断る流れなの……わかったよ。店の手伝いお願いね、お兄ちゃん」
シャーリーの伸ばす手を取り、寝床から立ち上がる。
さてと、今日は、いつもより頑張りますか。
「朝早くからすまないね、マルク。旦那もハイスも居なくて人手が足りないんだよ。そう、猫の手も借りたいぐらいさ。マルクが来てくれたから猫の手どころか虎の手だから、大助かりだよ。さぁ、早速作業を始めようじゃないか。マルクは、おばちゃんと一緒に搬入を頼むよ」
恰幅の良いリンダさんは、今日も元気で満ち溢れている。壮健で嬉しい。
だが、開口一番にこれでは、少々面食らう。
朝の挨拶ぐらい挟ませて欲しいものだ。
ハイスは、シャーリーの弟である。鍛冶師見習いで、現在修行中の身だ。久しく会ってない気がするが、リンダさんの語り口調を聞くに、元気なのだろう。
「おはよう、リンダおばさん。運ぶのは倉庫で良いんだよね?」
「ああ。おばちゃんが検品して、マルクが運ぶ。そしてシャーリーが仕分ける。これで行こうじゃないか」
「了解です」「うん。お母さん」
まだ外は、薄暗闇に包まれている。
魔工石が灯り続けているので、明るくはあるのだが、少しだけ肌寒い。
シャーリーが内仕事で良かった。
作業をするために、俺達は移動する。
シャーリーは倉庫へ。俺とリンダさんは、そのまま進み裏口へ。
搬入口にもなっている裏口を開けると、そこには山のように積まれた木箱の数々が……これ、倉庫に入り切るのか?
リンダさんが、木箱を開け、中を検め始めた。
俺は、リンダさんの作業が済まないと動けない。
リンダさんが、手持ちの紙に、小さくて細い棒を押し当てた。
赤い液体を付けた棒で、検査済みの印を残しているのだろう。
俺は、リンダさんに近付き、木箱を両手で持ち上げる。
「ありがとう、マルク。終わったのは、そっち置いとくから、どんどん持ってっちゃって」
「任せて」
開けっ放しの扉を抜け、廊下を通り、倉庫部屋へと木箱を運ぶ。
やはりこれは、訓練していない人には辛い作業だ。
中身の前に、木箱がそこそこ重い。
そして、裏に積まれた大量の木箱……手伝いに来て良かった。
「シャーリー。これ、どこに置く?」
「こっちに持って来て」
倉庫部屋の奥にいるシャーリーの所まで、木箱を運ぶ。落とさぬよう、慎重に。
そして、床にそっと……置く。
荷物は、持ち上げる時と置く時が、筋肉に負荷が掛かる。
普段のリンダさんも、腰を痛めなければよいが。
「ほい。じゃあ次、持ってくる」
「はーい」
シャーリーの元気な声を聞くと、張り切る気持ちになる。
さぁ、運搬作業は、朝飯前に終わらせようか。
「ビィは、来年卒業なんだっけ?」
「いきなりなーに? 丸二年もまだあるのに、気が早いよ、マルク兄ちゃん」
そう言って、シチューを食べる事に戻ったビィは、シャーリーの妹である。
年の頃は十と幼く、まだまだ成長真っ最中である。
顔立ちもリンダさんやシャーリーに似ており、可愛らしい。
髪の色は、父親似なのか、少し暗めの茶色だ。
毛先が、外側に跳ねているが、あれは寝ぐせでは無い。
ビィは、魔法の才があった為、現在、魔法学派の営む学び舎に通っている。
今日も、朝食後は学び舎へ直行らしい。
子供は、子供で大変なのだ。
「ビィが、どういう道に進みたいのか、ちょっと気になってな」
「まだ考えてないよ」
「そうか。ならいいんだ」
俺が冒険者を辞めてから、ビィとは初めて会ったから、少し心配になったのかもしれない。
彼女が自分の考えで、己の進む道を選べるのなら、手助けしてあげたくなる。
学び舎を出た魔術師の進む道は、幾つもある。
冒険者。工房。商会。学派員。
師の付き人になる場合もあれば、自身の研究室を持つ場合もある。
宮仕えならば、筆頭宮廷魔術師の下について、国事に関わる道もある。
お勧め出来ないが、戦力として王国兵になる道も一つだろう。
魔法を使う以外の仕事に就くことも、当然可能だ。
ビィは、何を選ぶのだろうか? 自分の意思で選べるのだろうか?
真っ当に働いている幼馴染達に言わせれば、まずはお前が働け、と言われるだろうが……心配なものは、心配なのである。
「マルク兄ちゃん。シチュー冷めるよ」
「おっと! せっかくのリンダさんのシチューが」
匙を、シチューへと潜らせる。
持ち上げた匙の中に、とろりとした乳白色の海が見える。
零さぬように、口へと運ぶ。
少々の粘性が、舌に甘さを届けてくれる。煮込み、溶け込んだ野菜たちが、一層、一層と、折り重なっているようだ。食感となる豆も、良い変化となる。
「んー。おいしい」
ビィが思考を止めてくれたおかげで、まだまだ温かい。
そうだ、ゆっくり食べねば。ビィの教育に悪い。
ゆっくりと食べる俺を、ビィはジーっと見つめていた。丸い目が愛らしい。
「がつがつ食べて良いんだよ。マルク兄ちゃん」
「フフフ。生まれ変わった俺は、エレガントに――」
「フッ。エレガントなんて……アムさんが言うならまだしも……フッ」
ビィの肩が、ガタガタと震えている。
どうも鼻で笑っている訳ではないらしい。変なツボに入ってしまったようだ。
うん。放っておこう。
今、大事なのは、食事の続きだ。ゆっくりと、味わって食べよう。




