103.アムと小さなお茶会
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今日のアムの研究室には、作業机が二つ増えていた。
パトリシアさんとソニアの作業机であろう。
現在俺は、追加で持って来て貰った椅子に座り、アムのスクロール作成を眺めている。
集中しているアムは、俺が来たことにすら、気が付いていない。
アムが、羊皮紙を手に取り、机の上に広げた。
もう一枚作るようだ。
ガラス瓶を持ったアムが、黒い液体を羊皮紙の上に垂らす。
だが、羊皮紙は黒く染まる事は無く、無地のままだ。
あの液体は、ブラックスライム由来の墨だろう。
アムが羊皮紙に手をかざした。魔力を込める工程だ。
羊皮紙にアムの魔力が流れると、その表面に円を基本形とした魔法図形が現れた。染み込んだ墨が、魔力で定着したため、羊皮紙に浮かび上がってきたのだ。
魔法図形だけでは終わらない。
本体である魔法の発動を補助するための、文字が次々と現れる。
常人では読み取ることすら出来ぬ、ミミズののたくったような字だ。
あれは、アムの字が下手なのではない。
そういう文字なのだ。
俺も、母に多少教わった覚えがあるが、多くは憶えていない。
あれを知らないと、古い魔導書を読むときに苦労するので、習得するべきなのは分かっているのだが……実に面倒である。
魔法図形や文字が浮かび上がっても、アムは、魔力を込める作業を止める事はできない。魔力を込めた量で、使用時の魔法の効力が変わる。
アムは、繊細に、そしてゆっくりと、魔力を込めていく。
この時に集中を切らせば、スクロールが意図通りに発動しなくなる。
手伝ってやりたいが、ほぼ感覚で魔法を使っている俺に、あれは出来ない。
アムの頭の中で、魔法を分解した要素が、一つの図形の意味が、一つの文字の効果が……数々の要因が組み合わさっている。
それを御しながら魔力を込め続けるのは、ただ魔法を放つのとは訳が違う。
アムから羊皮紙に流れる魔力の量が、少なくなってきた。
最後の工程として、呪文を刻む。
「≪精霊の残り火≫」
アムの透き通った声が、研究室に響く。
呪文を発したのに、効果が生み出されない。
スクロールに、のたうつ文字が浮かび上がった。
アムが、大きく息を吐く。
だがアムは、休む間もなく検査に入る。
文字を、図形を、魔力を調べ、異常が無いかを仔細まで確認する。
確認が終わると、羊皮紙を横に丸め、封じの紐で留め、スクロールの完成だ。
アムは、完成したスクロールを机の脇に置いてある袋へ丁寧に入れ、言った。
「パット、ソニア。そろそろ休憩にしようか」
「お疲れ、アム。二人なら今、お茶菓子取りに行ってるぞ」
磨き上げられた美少年顔が、固まった。
動き出すまで、暫し待つ。
首が少しずつ動き出し、アムの瞳が俺を捉えた。
「どうして、マルクがこんなところに?」
「飯、持ってきたんだよ。一緒に食べようぜ」
俺は皮袋を持ち上げる。
ガル兄がおすすめする、鶏肉とレタスを挟んだパンが五つ入っている。
一つは、腹ぺこがいた時の為の予備だ。
返事を聞く前に、俺は椅子から立ち上がる。
隣室にて、やることがあるからだ。
ここの隣室もパック先生の研究室と同じく、簡易な台所が付いている。
「茶葉が躍る間、ゆっくり休憩していてくれ」
「え? ちょっと、マルク!」
アムへ軽く手を振り、俺は隣室へと移動する。
ティーポットと茶葉の使用許可は、パトリシアさんに取ってある。
さぁ、魔法による手抜きも含めた、俺の茶を振る舞おうじゃないか。
「あら? お姉さま。今は一人でしたか」
「きゅ、休憩しましょう」
呆けていたアムの目に、お茶菓子を持ったパトリシアとソニアの姿が映った。
アムは、ふと思いついたことを言ってみる。
「もしかして、パットの差し金かな?」
「残念ながらハズレですわ。マルクさんの、ご厚意でしてよ」
「あぁ、そうなのか」
そう言って無言になるアム。
その姿を見る二人は、顔を見合わせ笑みを浮かべた。
作業机を合わせ、四つ全ての椅子を動かした二人は、それぞれ左右に着席した。
「さぁ、お姉さまもこちらへ」
「クッキー、持ってきました」
「うん、美味しそうなクッキーだ。食べるのが惜しいくらいにね」
移動し、二人と同じ卓に座るアム。先程よりも、目に活力が浮かんでいた。
「ああ、そうだ。そちらの作業は順調かな? 手間が掛かるなら、僕がするよ」
「もう終わっています。お姉さまが、簡単な物しか与えて下さらないから」
「そうか。仕事が早くて助かるよ。これなら納品分と予備は、今日にでも終わりそうだね。まぁ、まだ作りたいスクロールは、山ほどあるのだけれど」
パトリシアは、アムへ優しい視線を向けながら、言った。
「予備までにしておきましょう。続きはゆっくりと」
「そうだね。流石に疲れたから、しばらくは魔法はお休みだね」
「ええ。そうして下さいまし」「よ、よかったぁ」
アムの休養宣言に、パトリシアとソニアの顔に笑顔が浮かぶ。
だが当のアムは、口を横に引いたままの厳しい顔だ。
「残りの面倒は、騎士団への納品だね。王都か……」
「こ、今度くる、騎士団の人は、駄目なんですか?」
「ソニア。騎士団は騎士団でも、王族を守る騎士団と国土を守る騎士団は別なのよ。内部の面倒ですので、私達にとっては、いい迷惑ですけど」
「じゃあ、お、王都へ?」
怯えた様子のソニアを見て、アムは慈しみの顔を向けた。
柔らかな声が、研究室に響く。
「僕一人で行くから大丈夫だよ、ソニア。パット、ソニアをよろしくね」
「お姉さまに頼まれなくとも、当然でしてよ」
「ご、ご、ご、ご迷惑をか、掛けるわ、わ、わわ」
混乱している様子のソニアへ向けられる、二人の視線は優しい。
「ソニア。落ち着きなさい。私はお姉さまを助ける人は皆、好きですの。好きな友人と共にいるのが、迷惑な訳ないでしょう」
「あ、その……よろしく、お願いします」
「はい。それで良いのです」
パトリシアを見たソニアの顔からも、笑顔が零れた。
扉が開く音が聞こえる。
隣室から、カップの乗った盆とティーポットを持ったマルクが現れた。
お茶の香りと共に。
「ほい。お茶お待たせ。おかわりもあるよ」
マルクが、それぞれのカップにお茶を注いでいく。
彼女たちにとっては、その光景は珍しく、少しだけ心が躍る。
配り終えたマルクは、空いている席に座り、アムの言葉を待つ。
その様子に、アムは小さく微笑んだ。
「さぁ、みんなで一緒に食べようか。いただきます」
「「いただきます」」「い、いただき、ます」
各々が、パンを味わい、お茶に癒され、お茶菓子を頬張る。
少々のお喋りを添えて、ゆっくり、静かに時は過ぎる。