とろける差し入れ
他部署のヘルプに駆り出されていた祥順が元の部署に戻れたのに、何やら細かい仕事を抱き込んでいるらしい。浩和は浩和で寛茂と一緒に進めている企画と、通常業務の方を細かく行き来する状態がしばらく続く。
とはいえ、浩和は祥順の事が気になって仕方がない。夜に差し入れをした時、祥順越しに見えた表計算ソフトは売上げ明細だった。デュアルディスプレイにして複数の表計算ソフトの窓を出している状態を見れば、誰だって明らかに面倒事だと分かる。
表が細かすぎて何をしているのかは分からないが、営業事務をしている時に何かまずいものを見つけてしまったのかもしれない。
浩和は企画課だが、営業部の中にある課である。営業部関連の何かを調査しているのであれば、手伝いたいと申し出たところで不可能だろう。
既にダメもとで申し出てみたが、即返答とはいかなかった。その時に少し目を凝らして画面を見て、最後まで手伝いは無理そうだな、という思いを強くした所だ。
誰の指示の下でこの作業をしているのかも教えてもらえなかった。それだけ重大な問題があったのかもしれないし、信用しているとかは関係なく営業部の人間には話をしてはならない事になっているのかもしれない。他部署に伝えてはいけない話、なんてどの部署にだって存在する。いくら親しくても守秘義務は守るべきだ。
知りたいし、気になるけど。
あまりしつこく手伝いを申し入れては祥順の負担になると思い、浩和はそのままの日常に戻ったかのように、ここ数日は振る舞っている。今朝見かけた時は少し顔色が悪かった。
栄養ドリンクでも差し入れをしたら喜んでもらえるかもしれない。と思い、昼休み中に最近人気のある栄養ドリンクを買ってみた。もちろんそれだけではなく、お菓子も買った。
ここ最近は差し入れする時に緊張する。差し入れをやめる気はないが、周囲の浩和を見る目が変化してきているのだ。
世話を焼きすぎだと周囲に言われ始めているのに気がついていたし、あの飲み会以降、女性陣の中で生温かい視線を受ける事もある。総務部の方ではその傾向が控えめになるが、明らかに視線をよこす人間もいる。まあ、比奈子だが。
「あ、タキくんだ。今日は何の差し入れー?」
からかいの視線を含めながら、彼女が手を振った。浩和は右手の白いビニール袋を持ち上げて緩く振った。
「その様子だと、私の分はなさそうね」
「いや、あるよ。グミ」
不思議そうな顔で首を傾げる彼女に笑い返しながら近付いてパッケージを見せる。紗彩から比奈子が最近食べたいと言っている、と聞かされたものだ。
「あっそれ!」
パッケージが望みの物と分かった途端、ぱあっと太陽のように輝き出した。比奈子は高いテンションのままパッケージを受け取り、頬ずりした。そこまで食べたかったのか。浩和はほんの少しあっけに取られたが、すぐに持ち直す。
「紗彩から聞いたんだ。そのグミおいしいらしいね。
自分の分も買ってしまったよ」
「最近の大好物なの」
そう言う比奈子は、本当に嬉しそうだ。きっと今日中に中身がなくなってしまうくらい食べてしまうに違いない。
「また買ってくるから、飽きたら連絡くれよ」
「うん。ありがとう」
グミに夢中な比奈子の脇をすり抜けて祥順のデスクに行き着けば、彼は笑っていた。
「前に綾瀬さんからもらって食べましたけど、本当にそのグミおいしいんですよ」
「そうなんだ。てっきり妊娠で味覚が変わっているのかと」
「好みが偏ったりはしてるみたいです。でも、それとグミのおいしさは関係ないです」
どうやら祥順もグミの虜だったらしい。浩和はこれから渡そうと思っている差し入れよりもグミの方が良かったのではないかと逡巡する。
「……ところで、今日のお菓子は何ですか?」
「あ」
「滝川さんの差し入れが、誰にも頼めない作業を頑張っている私の唯一の楽しみなんです」
椅子に座ったまま見上げてくる祥順が、ご飯をねだる猫のように見えた。犬ほど媚びるでもなく、もらえる事を前提とした挑戦的なおねだりだ。思わず頬から喉元をするすると撫でてしまいたくなるような欲求がせり上がる。
うまくいけば、手の甲に頬を押しつけてくれるかもしれない。猫の事を思い浮かべているのか祥順の事を思い浮かべているのか分からなくなってきた頃。
手を伸ばしかけてから自分が恐ろしい事をしそうになっていたのに気が付き慌てて動きを変える。乱雑になってしまったが、ビニール袋に手を突っ込む事で何とかごまかした。
手にぶつかるひんやりとした感触に、動きを止める。もう少しで勢いに任せて押しつぶしてしまう所だった。
「今日はエクレアだよ。
物珍しいものじゃなくてごめん。あと、栄養ドリンクもある」
一応、期間限定商品を選んだ。桃のエクレアである。チョコレートだと思って見ていたのだろう祥順は、チョコレート色でもないコーティングを目にした途端に瞳を煌めかせた。
「十分物珍しいですよ!」
うっすらと色味を帯びた白いクリームがスライスされた桃をシュー生地の間に封じ込めている。生クリームがほんの黄みがかっているのは、桃の果汁を加えているからだろう。
浩和も、これはまだ食べた事がない。だから、ある意味とても楽しみにしていたのだ。味は何となく想像がついているから期待値はそこそこだが、一緒に食べる事が楽しみだった。隣のデスクから椅子をもらって祥順の近くに座る。
「さ、リラックスタイムだ」
「いただきます」
変色しやすい桃は甘露煮にされていたが、食感が残る程度に火が通っており、シュー生地とクリームだけではない第三の食感が心を躍らせる。
程良く空気が入ってスポンジ状になっているシュー生地は口の中でくしゅくしゅと笑い、桃の香りのするクリームはそのシュー生地に吸い込まれながらとろけていく。
うっとりとしそうな程にまろやかな甘みのある桃が、咀嚼していく内に時々歯ごたえという刺激を与えて飽きさせない。
うん。我ながら良い選択だった。
「おいひぃ……」
何もかもとろけてしまいそうな表情で祥順が呟く。この瞬間を見るのが浩和の楽しみである。本当においしそうに食べてくれるから、こちらもおいしい物を探したいという気分になる。
もぐもぐと動く唇に、小さく膨らんだりと動く様は見ていて幸せになる。もうずっと見ていられそうだった。




