老舗和菓子屋次男坊の特別モンブラン
冷蔵庫を覗いていると思ったら、三種類の瓶を取り出していた。ちらりと見えたそれは栗が入っている瓶二つと茶色い練り物の入っている瓶が一つ。
「モンブランの重要な種だよ」
「おお……」
寛茂の熱烈な視線に気が付いているらしく、カウンター越しに向き合った千誠が簡単に説明してくれる。
「さっき味見してもらったクリームに入れるクラッシュマロンと丸ごと入れるマロングラッセ、ペーストはモンブランの表面用のクリームに使うんだ。
さっきもペーストは使っていたんだけど、その様子だと気が付かなかったかな。
どれも事前に仕込んでおいた自作だから、市販品じゃないよ」
「ほあぁっ」
「これからクリームを完成させるから、使うのは二つだけ。丸ごと入れるマロングラッセはもう少し冷蔵庫にいてもらう」
何それ。めっちゃくちゃ手が凝ってるじゃん!? 寛茂は変な薬でも投与されたのではないかと心配になるくらいに心臓がばくばくと音を立てていた。
俺って、こんなに手の凝った料理を作ってもらうような人間だったっけ? 自分が栗原千誠の特別であると誤解してしまいそうだ。
説明するなりマロングラッセを冷蔵庫に戻した千誠は、味見させてもらったクリームの中にクラッシュマロンと呼ばれていた砕かれた栗を混ぜ込んでいく。
ざっくりとシリコンベラで混ぜ込まれたそれは絞り袋に詰められ、詰められた絞り袋は冷蔵庫にしまわれてしまう。
全部をすぐに使うのだと思っていた寛茂は拍子抜けしたものの、千誠の手際の良さに目を奪われたままだった。先ほど何かを塗りたくっていたあの土台はひっくり返され、同じように塗られていく。
あんなに染み込ませて大丈夫なのかと不思議に思う。
が、千誠がやっているのである。あれが正しいのだという気持ちが強いから不安にはならない。
残っていた生クリームをボウルに移す千誠の背中を見つめながら、寛茂は彼に聞こえてしまいそうなほどに大きな音を立てる心臓の上に手を当てていた。
どうしよう。俺、このまま心臓が爆発しちゃいそう。
せめてモンブラン食べてから死にたいなあ……。はあ、幸せすぎる。
食器や調理器具の立てる音をBGMを聞いている内に、寛茂の心臓は段々と穏やかなリズムへと戻っていくのだった。
少しずつ生クリームにマロンペーストを加え、しっかりと混ぜ合わせていくとよく見かけるモンブランのクリームっぽくなってきた。それもクラッシュマロンを混ぜたクリームと同じく絞り袋に入れられ、冷蔵庫で冷やされる。
冷やしている間に洗い物を済ませてしまい、調理器具でごちゃごちゃとしていた調理台がすっきりとしてしまった。
何もかも計算ずくといった迷いのない動きは健在で、惚れ惚れとしてしまう。
「コーヒーの用意をお願いしてもいいかな?
デコレーションしたら完成する」
「はいっ」
千誠に教えてもらった通り、コーヒーメーカーに豆を入れる。このコーヒーメーカーはがりがりと豆を挽く所からお湯の温度を調整し、豆に注ぐ所までできる優れ物だ。
自動で挽きたてのコーヒーが飲めるという事で、千誠が使っているお気に入りである。簡単だからと真っ先に教わったそれは、今ではほとんど寛茂の役割となっていた。
寛茂がコーヒーの準備を進めている内に、千誠は土台に少しだけクリームを付けてからマロングラッセを置き、そのマロングラッセをクラッシュマロンが入ったクリームで覆っていく。
適当な山の形になるように整えられれば、それだけでもモンブランみたいな見た目になる。
淡いベージュの山になったそれにマロンペーストをふんだんに使ったクリームが重ねられていく。ちょっと変わった形の口金がほっそりとした麺のようなクリームを吐き出している。不思議な感覚だ。
淡々とした作業に見えるが、これが全く簡単な作業ではない事を寛茂は知っている。妹の誕生日プレゼントに、と寛茂は母親と一緒にバースデーケーキを焼いた事があった。
ショートケーキにする予定で、ホイップされたクリームをデコレーションしようとしたが、失敗したのである。母親の手でそれらは修正され、見られる形になったものの、寛茂にデコレーションの難しさを胸に刻ませる結果となったのだった。
クリームを絞り出すのは、簡単なようで難しい。一定の力を加え続けないとクリームの太さが変わってしまう。それに、ずっと握っていると溶けだして緩くなってしまうのだ。
それから何回かリベンジしてみたものの、クリームを固くしすぎてしまってクリームっぽくなくなってしまったり、力の入れすぎで口金が飛んでケーキ本体にクレーターを作ってしまったりと散々な結果に終わった。
それ以来、クリームを使った菓子づくりは例え妹の誕生日であっても手伝わなくなった。
そんなに大変なクリームを何でもない事のように絞り出す千誠の姿は感激物であった。大学生の頃、たまに妹がクリームを綺麗に絞り出したカップケーキを寛茂に作ってくれ、よく感激していたものである。が、そんなのが比ではないくらいの感激度合いである。
魔法の手みたいだ。多分、和菓子ではモンブランに使うような口金でクリームを絞ったりしない。だから使用頻度はかなり低いだろう。
なのに、こんなに綺麗なモンブランが作れるのだ。魔法だと言われたら簡単に信じてしまうだろう。
あっという間にケーキ屋で売っていそうなクオリティのモンブランが四つ。
「仕上げの粉砂糖ふるうから、コーヒーをカップに用意して」
「はいっ!」
小さな粉ふるいを手にした千誠の言葉で、できあがっていたコーヒーをマグカップに注ぐ。甘ったるい香りが充満していた空間が一気にコーヒーの香りで上書きされる。
マグカップをテーブルに移動したら、モンブランを運んでいる千誠を後目にフォークを用意する。キッチンの調理台には、余ったモンブランが二つ並んでいる。
「残ったのは冷やしておいて後で食べよう」
「やったっ」
寛茂の視線から隠すようにモンブランを取った千誠は宣言通り冷蔵庫にしまう。
「じゃあ、出来立てを食べようか。ほら、早く椅子に座って」
ぼけっとモンブランがしまわれた冷蔵庫を見つめる寛茂に、千誠が笑いながら声をかけるのだった。




