息抜きのお菓子と不満気な祥順
「カジ君、いつも並んでいて買えないお店がたまたますいていたんだ。
折角だからみんなで食べてくださいね」
「あ、ああ……ありがとう、ございます」
祥順は浩和が総務の人間にお菓子を渡して回るのを、ぽかんと見つめていた。最近、彼は社外から戻る際にお土産を手にしている事が多くなった。
前からそういう事がなかったとは言わない。しかし、頻度が上がった気がするのだ。
実は祥順には少しだけ心当たりがあったりする。心当たりとは、デザートオムレツだ。
この前、週末を共に過ごした時の事である。余った溶き卵にバニラエッセンス等を加え、泡立てるようにした生地をオムレツにしたものが出された。これに蜂蜜やメイプルシロップをかけると絶品デザートとなる。浩和の手作りだった。
冷めてもおいしいデザートであるそれを気に入った祥順は、翌日に浩和から作り方をみっちりと仕込んでもらった。甘いものは人を幸せにすると祥順はにこやかに頷いたものである。
浩和も同意していたし、お菓子づくりも含めて料理が好きなのは、食べれば幸せな気分になれるからだとも言っていた。
そんな事から、甘くておいしいお菓子を買ってくるようになったのだろうと、勝手に推論していた。思い違いだったら恥ずかしい。だから、もちろん本人に確認はしていない。自意識過剰だとも思われたくないからだ。
「わあ、可愛い!」
女性陣受けが良い。今回は一体何を買ってきたのだろうか。一周して戻ってきた浩和が、最後の一つを渡してくる。最後の一つと言っても、二つ残っている。残っているのは祥順の分と浩和の分である。
「どっちが良いですか?
個人的には、こっちの猫ちゃんの方が可愛い表情してるからおすすめです」
「じゃあ、そっちで」
「了解」
丸いケーキに動物の顔が描かれ、耳などのパーツが乗せられている。ほんの少しだけ、食べるのを躊躇ってしまう。可愛いと女性陣が悲鳴を上げるのも頷ける。
あまりの可愛らしさに、崩してしまうのは勿体ない気がした。
総務部の人間は常に忙しい。他の部署だっていつも忙しいだろう。だが、この会社の総務部はちょっと変わっている。配置換えが多いのだ。
わかりやすく言えば、この前まで取引先からの入金処理を担当していた人間が突然営業の旅費精算担当に変わったり、かと思えば会社のスケジュール管理担当となったりする。もちろん取引先への送金担当や、営業事務になる事だってある。
他には建物の管理担当だったり、PC等の設定や簡単なプログラミングからサーバ管理まで行う社内SE、貸し事務所の契約更新担当といった変わり種もある。
確かに、これらは総務部の人間の仕事である。だが、普通の会社であれば総務部○○課、といったように分岐し、決められた仕事を中長期に渡って行うものである。
経理の仕事と管財の仕事、営業事務の仕事は普通ひとまとめにはしておかないものだ。
結局のところ、資産運営という観点で言えば同じだと言われてしまえば否定できないが、それにしてもごちゃまぜである。
この会社は社長の意向で全部一緒くたにしてしまっている。おかげで総務の人間はオールラウンダーしか生き残れない。
さすがに特殊なものは滅多に変わらない――というよりも、マルチタスクで誰かがずっと担当している状態だ――が。
ローテーションされていく仕事の他に、技能があればそこの仕事を追加で任される。いわゆる何でもやる課が部になってしまった。それが我が社の総務部の姿であった。
互いの苦労はよく理解している。それ故、総務部の人間は意志疎通を細かく行い、一つの生き物であるかのように仕事を進めていく事ができる。
その代わり、誰かが忙しい時は全員が忙しい。そういう、忙しくて疲労困憊で、という時に差し入れが入るのだ。一体どういう嗅覚をしているのか分からないが、殺伐とした雰囲気を霧散させてくれるのが浩和の差し入れである。
祥順は「気が利きすぎて怖い」と、そう思ってしまう。浩和とは偶に飲み、偶に休日を共に過ごす仲である。浩和が何でもできるすごい人物なのは十分と言うほど分かっている。
だが、ここまでされてしまうと逆に気が引けてしまうというものだ。
正直な所、仕事中の差し入れはありがたい。でも、もやもやとした表現し難い感情が渦巻いてしまう。そんな風に考えている最中の事であった。
「カジ君、ちゃんと休憩した方が良いですよ」
「え?」
肩をぽんと叩いたのは千誠である。栗原千誠は祥順のあこがれである先輩だ。彼ほど完璧な人間は見た事がないと言っても過言ではない。浩和と親しくなるまでは、彼以外に出来る男がいるという認識はなかった。
千誠はおだやかな表情で続ける。その手には黒いお菓子が乗っている。
「折角タキ君が買ってきてくれたんです。
甘いものでも食べて、リフレッシュしましょう?
今日は甘いチョコレート菓子ですよ」
カップの中に入っている黒っぽい焼き菓子はフォンダンショコラだという。周りから黄色い声が聞こえてくる。
「すごい、中がとろりとしていて濃厚ー!」
今回も女心を見事にキャッチしているようだ。一通り配ってきた浩和が二人に合流する。
「今日はみんな同じだから、最初に渡したんだけどまだ食べてないの?」
「あ、まあ……」
「集中していたから、キリの良いところまでやっておきたかったみたいですよ」
「なるほどって栗原さんもまだじゃないですか」
単純に嬉しいと思えなくてもやもやと考え事をしていたなどとは言えず、千誠のフォローを否定せずにいた。何となく気が乗らず、パソコンの方ばかりに視線が行ってしまう。
「私は何となく彼を待っていたんですよ」
「じゃあ、三人で食べましょう」
にこりと浩和が笑えば、千誠も笑顔で頷いた。こうなれば拒否権はない。祥順は観念してフォンダンショコラを手に取った。
仕事が忙しくなり、二人とも残業続きで飲みに行く時間もとれずにひと月が過ぎた。もうそろそろ年末に向けてのラストスパートといった時期である。まだまだ仕事は忙しいだろう。
年末から年始にかけてのプロモーション用の撮影は終わり、雑誌記事も校了している。企画課は比較的余裕が出始める頃である。とはいえ来年以降の企画をしなければならないから全くの暇という訳ではない。
少しだけ余裕のある浩和は、どんどん余裕のなくなっていく総務部へと足を運んでは手伝いを請け負ったり、差し入れをしてくれたりする頻度が上がっていた。
手伝いとは言っても、配布物などを代わりに持って行ってもらったり、資料をコピーしたりといった誰にでもできる雑用である。申し訳ない気持ちと比例するように、総務部からの人気も急上昇であった。
忙しすぎるあまり鬼のような顔だと言われてしまう祥順に対し、いつも爽やかな浩和は、周りを和ませてくれる。
役割が違うのだから気にしなければ良いのだが、どうにもうまくいかない。
それだけ心に余裕がないのだろう。もしくはくだらないプライドのせいだろう。人よりよく見られたい、頼られたいという願望は誰しもあるはずだ。
親しいからこそ、比較にならないと分かっていても比べてしまうのだと思う。こればかりは仕方がない。
その上、自分より親しいとは思えない総務部の人間と仲良くするものだから、面白くなかった。
本当にくだらない。