溜息まじりのなにか
許されたい。
許さないのであれば殺してくれ。
芥川龍之介の「河童」は読んだことがあるだろうか。読んだことがないのであれば強く勧める。
私はこの本を読み、孤独ではないということを強く感じた。
「私のような人間が生きていい」と言葉で言われるより強く、そして包み込むような優しさで理解した。
河童の世界にひょんなことから迷い込んだ主人公が河童と関わる中で「道徳と合理性のどちらが重要なのだろうか」という問いと向き合う。
河童の世界では出産する時、胎児に「生まれたいか、生まれたくないのか」を聞き、生まれたくないと答えた場合には薬を注入し、胎児を殺してしまう。
河童の世界では赤ん坊という時期がなく、産まれる前より会話することができ、ある程度の精神的成熟がある。
食糧危機になれば大量に殺されたり、死にたい人が死んだりする。
河童の世界では全ての権利が本人にあり、誰もそれを止めない。
合理的に動く河童と道徳に縛られている人間という構図で話は一貫しており、主人公は悩んだ末に人間界に帰るという判断を下す。
その判断を下し人間界にもどったところ河童の世界が合理的で魅力的に感じ、人間界には魅力がないように感じてしまった。
そして河童の世界でのことを話し続けた結果、精神病院に入ることになった。
この本は精神病患者の記録なのだ。
この主人公は結局河童にも、人間にもなりきれなかった。
ただどちらにも属せない自分という存在をみつめただけだ。
私は私が精神病を患っているかは知らない。
精神科に行くまでは分からない。
だがこの作品の主人公の考えには深く同意する。
倫理観を排除して合理的に動けば大半は幸せになるが、今この社会ではそれが不可能だ。
犠牲が出ることは悪なのだ。
全ての命を包み込まなければいけないのだ。
私の命もそこに含まれる。
私は生まれたいと思ったことなどないのに。
私は両親に対し「少しでも好きなら殺してくれ」とつねづね考えていた。
私は家が、家族が嫌いだ。
幼少の頃は友人の家でよく遊んでいた。
ちょっとした出来心で「帰りたくない」という気持ちに従ってみた。
19時頃まで無理を言って友人の家に世話になり、これ以上は粘れないと感じた時に帰宅した。
家に帰ると母は「警察に電話しようかと思った」といつもの怒っているような口調で言った。
私はその時「だから嫌いだ」と心底嫌気がさした。
ものを落とした時に探すか探さないかは落とした人の基準による。
大事なものであれば探し、まあいいかと諦めがつけば探さないはずだ。そうあるべきだと思う。
彼女は私を大事にしている素振りはないように感じていた。
彼女なりの優しさを私が正しく受け取ることを強要されていた。
自分の意思など持つなと言わんばかりに。
私は両親から愛されていたのだろう。
私が正しく受け取れなかっただけ。
私が家に帰ったら怒鳴られたり、めんどくさがられたり、泣いたら怒られたりするのは私が至らないから。
自分の意志で動いた数だけ怒鳴られた。
自分の意思で動くことは許されないことだと感じるようになってしまった。
人に罵られると「この人は私のことをちゃんと見てくれてる」と思ってしまう。
私は今の自分の異常が嫌いだ。
長く淀んだ感情の掃き溜めを泣きながら片付けようとする。
私は言葉を素直に受け取りたい。
酷い言葉で安心したくない。
無意識下で安心するのをどうすれば良いのだ。
罵られると心がじんわりと温かくなる。
褒められると怒られたり嫌われたりすることを考えて恐怖に包まれてしまう。
わたしはなにかがおかしい。
うまれてはいけなかった。
ごめんなさい。




