82・最期の願い(第三者視点)
「ヴォルフラム、こちらへ」
コンスタンツェは波立つ心をどうにか鎮め、ヴォルフラムをアンドレアスの枕元に導いた。
「皇帝陛下……」
「ヴォルフラム……、……よく、参った、な」
死に近い父の土気色の顔を見ても、ヴォルフラムは顔色一つ変えなかった。またコンスタンツェの胸に冷たい棘が刺さる。
(可愛くない子)
どうしてこんな子をわざわざ呼び寄せたのだろう。最期の瞬間はコンスタンツェと二人きりで迎えてくれると思っていたのに、どうしてよけいなことを。
「ヴォルフラムよ……、見ての通り、父はもう、長く、ない。あと数刻で、……天に、召されるだろう」
「……、はい」
「だから、ヴォルフラムよ。……父が生きていられるうちに、皇妃と共に、皇帝廟へ、向かえ。そして、『不朽の屍櫃』を、開けるのだ。開け方は……、皇妃が、知っている……」
「……っ」
予想外の言葉に、ヴォルフラムのみならずコンスタンツェも息を呑む。ただしヴォルフラムは驚愕ゆえ、コンスタンツェは激昂ゆえに。
(ガートルード……あの生意気なあばずれ!)
コンスタンツェに満座で恥をかかせた挙げ句、皇帝弑逆の大罪を犯したモルガンを連れ去ったのだ。もはや皇妃などではなく、モルガンと同じ大罪人と呼ぶべき女と共に、皇帝廟へ?
しかも『不朽の屍櫃』とはなんなのだ。皇帝廟にあるということはソベリオン皇家に伝わる宝物なのだろうが、コンスタンツェはアンドレアスからそんな宝物の存在など聞いた覚えはない。
正妻の自分に教えなかったものを、妾に過ぎないガートルードに教えた?
しかもそれを、二人の愛の結晶たるヴォルフラムが、ガートルードと共に開けに行く?
この、緊急事態に?
コンスタンツェを、のけ者にして?
「『不朽の屍櫃』には、そなたと、これからの帝国のため、役立つ、ものを、収めて、おいた」
「私と……帝国のため?」
「そう……、だ。そなたには、我が子に生まれてしまったばかりに、苦労を、かける。だが……、もはやそなたと、……皇妃に、託すしかないのだ……」
コンスタンツェの傷心など知らず、父子は会話を交わす。
ともすれば消えゆきそうになる意識を懸命に留めるアンドレアス。真剣な表情で聞き入るヴォルフラム。
コンスタンツェの夫と息子。
コンスタンツェが必死に愛し、尽くしてきた二人が、どうしてガートルードと、コンスタンツェの知らない宝物の話をしている?
コンスタンツェの目の前で?
「……許さないわ」
ぼそり、とつぶやいたコンスタンツェを、ヴォルフラムが振り返る。夫に生き写しの翡翠の瞳がガートルードを映すなんて、想像するだけで虫酸が走る。
「許せるわけがないでしょう。このような時に、あの大罪人の娘とヴォルフラムを皇帝廟へ向かわせるなんて」
「……大罪人の娘とは、誰のことですか?」
「ガートルードよ! あの厚かましい小娘に決まっているでしょう!」
だんっ!
コンスタンツェはすぐそばの壁を殴りつけた。
「ヴォルフラム、貴方は知らなかったでしょうけれど、ブラックモアは女王の密命を受け、ガートルードを皇后に据えようとしていたのよ! 私と貴方を廃してね!」
「……」
「ガートルードだって知っていたにちがいないわ。その上でなに食わぬ顔をして、貴方と踊っていたのよ! なんて恐ろしい女……!」
己の唇から紡がれる言葉が、呪詛と化してコンスタンツェをむしばんでゆく。
今やモルガンとガートルードは共犯であり、ガートルードが皇后になりたいあまり、モルガンを動かしたのだとコンスタンツェは思い込み始めていた。自分からモルガンを刺そうとした記憶は頭の奥底へ沈み、コンスタンツェ自身さえ取り出せなくなりつつある。
それを異常だと判断する理性すら、今のコンスタンツェは失ってしまっている。コンスタンツェにとって正しいのは、頭を占領する妄想だけだ。
ガートルードの醜い本性を知った以上、ヴォルフラムは賛同してくれるはずだと信じていた。なんてひどい女なのか、触れるのも穢らわしいと。
「……さく……、皇妃殿下はそのような企てなどなさる方ではありません。本当にそのようなお方なら、暴言を吐いた皇后陛下を許してはくださらなかったでしょう」
だがヴォルフラムの反応は、コンスタンツェの期待とは正反対だった。
「もし万が一、そのような企てをなさっていたとしても、私たちが廃された方が帝国のためかもしれません」
「……どういう、意味なの」
「それは皇后陛下が一番よくご存知でしょう」
哀れむような眼差しが思い出させる。
伯爵家出身の皇后なんてとなじられた記憶。念願の皇子を命がけで産んだのに、その子が瘴気を蓄積させてしまう稀な体質で、劣り腹は欠陥品しか産めないのかと責められた記憶。さっさと皇后の座をふさわしい令嬢に譲れと詰め寄られた記憶……。
「……コンスタンツェ」
息子と同じ、けれど確実に光を失いつつある翡翠の瞳がゆっくりとコンスタンツェを捉える。ずっとコンスタンツェに注がれていた情熱は、どこにもない。
そっくりだ。ヴォルフラムと。
「そなたは、口を、挟むな。俺は、ヴォルフラムと話して、いる」
「ア、アンドレアス様……」
「ヴォルフラム。……時間が、ない。早く、皇妃の、もとへ……皇帝廟への道筋も、皇妃は、知っている……」
皇帝廟へ続く道筋は、おそらく宮殿のいたるところに張り巡らされている隠し通路だろう。
コンスタンツェすらすべては知らされていない。最も重要度の高い、皇帝廟につながる通路を、アンドレアスはガートルードに教えたのか。『不朽の屍櫃』だけでは飽き足りず。
これではまるで、ガートルードの方が皇后ではないか。
「……承知しました。すぐ、向かいます」
「ヴォルフラムっ!」
思わず叫んだコンスタンツェに、まだわめくかと責めるような父子の視線が突き刺さる。そっくりなそれにたじろぎ、コンスタンツェは必死に頭を回転させた。ヴォルフラムをガートルードと一緒に行かせずに済む大義名分……。
「……そ、外は魔獣があふれているのですよ? 隠し通路といえど、魔獣が出ないとは限らない。世継ぎの皇子をそんな危険な場所へ行かせるわけにはいきません」
破邪の力を持つガートルードがいるにもかかわらず、出現した魔沼と魔獣。尋常な事態ではない。
そんな中、帝国唯一の皇子を行かせるなど許されない。コンスタンツェでなくともそう考えるはずだ。
「……むろん、ヴォルフラムには、宮殿警護隊をつける。皇妃のもとにたどり着きさえすれば、あとは、問題ない、はずだ」
アンドレアスがもどかしげに言う通り、皇妃の宮殿には神使がいる。魔獣が群れをなし襲いこようと、撃退してしまうだろう。あの、神の使いと呼ぶにはあまりにまがまがしい異形の狼蜘蛛は。
けれど。
「それでは、アンドレアス様をお守りする者がいなくなってしまうではありませんかっ!」
「……もはや、死にゆく身に守りなど、不要。それともそなたは、守りがなくば、不満か?」
なにもかも見透かすような眼差しに、ぐっ、とコンスタンツェは詰まった。ここで頷けば、たった一人でも最期までアンドレアスを守って戦うと言ったのが嘘になってしまう。
歯噛みした時だった。
「……お待ちを! そちらは今、皇帝陛下が……」
「だから行くのであろうが! 下がれ、下郎!」
焦りきった侍従と、ブライトクロイツ公爵の尊大な大声が聞こえてきたのは。




