83・目に見えるものだけがすべてではない(第三者視点)
「アンドレアス様! ブライトクロイツが参りましたぞ!」
ばん、と扉を開けて駆け込んできたのはブライトクロイツ公爵だけではなかった。その背後には二人の騎士が付き従っている。
「フォルトナー卿……ブライトクロイツ卿まで、どうして?」
ぼうぜんとするヴォルフラムに、リュディガーとジークフリートは無言で一礼した。
不本意そうに強張るリュディガーの端整な顔が、これが彼の意志ではないことを示している。おそらく中の宮殿からここまでたどり着くための護衛として、ブライトクロイツ公爵に無理やり同行させられたのだろう。
無表情なジークフリートから、彼の感情を読み取ることはできない。
誰を前にしても変わらない父の従兄に、ヴォルフラムは苦手意識を抱いていた。まともに顔を見たのもさっきの大舞踏会が初めてで、ほとんど関わりなどなかったのに。
帝国人でもまれに見るほどの長身と筋骨隆々たる肉体のせいでも、片方を眼帯に覆われてもなお鋭さと獰猛さを失わない猛禽めいたオパールの瞳のせいでもない。そんなものを恐れるほど、ヴォルフラムは子どもではない。
なのにどうしても引き寄せられるのは、ヴォルフラムが参加しなかった閲兵式で、ジークフリートがガートルードに剣を捧げたと聞いたせいなのか。
ジークフリートの威風堂々たる体躯も、大剣を軽々と振るう化け物じみた膂力も、ヴォルフラムにはまだない。ヴォルフラムがジークフリートと同じ歳になった時、彼のような男に……ガートルードを守れる男になれているのか。
「二人は我が護衛である。皇帝の代理人たる私を、帝国騎士が守るのは当然の務めだ」
「……皇帝の、代理人?」
眉をひそめるヴォルフラムに、ブライトクロイツ公爵は尊大に胸を張り、懐から取り出した短剣をかざす。柄に獅子が彫り込まれた黄金造りのそれがなんなのか、もちろんヴォルフラムもコンスタンツェも知っている。
(獅子の短剣……!)
目を見張るヴォルフラムたちの前で、ブライトクロイツ公爵は短剣を鞘から抜いてみせた。間違いなくアンドレアスが自らの意志で公爵に授けた……公爵を己の代理人に任じたという証拠だ。
「……そんな……なぜアンドレアス様が……」
コンスタンツェが愕然とするのも無理はない。公爵と皇帝は伯父と甥でありながら、長年骨肉相食む争いを繰り広げてきた。本来なら己が皇帝になるはずだったのだと恨みを抱き続けてきた公爵が、アンドレアスを一方的に敵視していたと表現すべきかもしれない。
恨まれ続けてきたアンドレアスが、よりにもよってなぜ公爵を代理人に指名したのだ?
……いや、それ以前に。
(なぜ、今の段階で代理人を定めておく必要があった?)
アンドレアスはまだ二十代の若さだ。息子と違い壮健で、健康問題とは無縁である。
にもかかわらず代理人をコンスタンツェにさえ内密で定めていたなんて――まるで、わかっていたみたいではないか。代理人が必要な事態が生じると……己が命を落とすと。
ヴォルフラムはとっさに父を振り返った。同じ色彩の目と目が合った瞬間、悟ってしまったのは血のつながりのなせるわざか。
(……この人は、知っていたんだ)
代理人が必要になることを。
……遠からず、自分が死ぬことを。
知っていて、ヴォルフラムに行けと言ったのだ。
皇帝廟へ……ガートルードと共に。
正直言えば、アンドレアスのやっていることはめちゃくちゃで理解不能だ。即位早々アルスリア王国を征服し、惰弱帝とさげすまれた先帝とは違う武勇を見せつけたかと思えば、さっさと廃するべきだった妻子を守り、かばい続け、失点を重ね、不倶戴天の政敵を代理人に指名した挙げ句、一人死にゆこうとしている。
言動に一貫性がない。まるでアンドレアスという人間が二人存在するかのようだ。
けれど、ヴォルフラムを見つめる眼差しは。
同じ色彩の瞳の奥に、宿るのは……。
「……リュディガー」
アンドレアスが震える声でリュディガーを呼んだ。
なにかわめこうとしたブライトクロイツ公爵を制し、リュディガーはアンドレアスの枕元に歩み寄る。引き戻そうとする父を、ジークフリートが立ちはだかって止める。
「陛下……」
「ここ、へ……」
悲痛な表情のリュディガーは促されるがまま身をかがめ、アンドレアスの唇に耳を寄せた。
そう長くないささやきは、リュディガー以外の誰にも聞こえなかった。はっとして身を起こすリュディガーを、アンドレアスはじっと見つめる。
「……俺の、最期の願い、だ」
「……っ、ですが……」
「頼む……、……リュディ……」
リュディガーは息を呑み、なぜかジークフリートを振り返った。ジークフリートが父公爵を制しながら頷けば、貴公子らしい美貌がゆがむ。
「『目に見えるものだけがすべてではない』……、……そういうことか……」
「おい、さっきからなにを勝手な真似ばかりしておるのだ。護衛のぶんざいで……っ」
肩越しに冷ややかな一瞥を投げられ、ジークフリートの陰からなじっていた公爵はぎくりと硬直した。ヴォルフラムもぼうぜんとする。常に穏やかな笑みを絶やさなかったリュディガーに、あんな虫けらを見るような顔ができるなんて。
「――勅命、承りました。リュディガー・フォルトナー、ただちに遂行いたします」
リュディガーはアンドレアスに向き直り、左胸に手を当てながら一礼した。
同じ色彩の瞳と瞳が重なったのは、ほんの数秒。永訣にはあまりに短い刹那。
「……頼む」
アンドレアスは頷き、力尽きたように目を閉じた。まさか、と背筋が寒くなったが、毛布をかけられた胸はかすかに上下している。
「ア、アンドレアス様っ!?」
異口同音に叫んだコンスタンツェとブライトクロイツ公爵が枕元に駆け寄るが、アンドレアスは応えない。
医師の勘が告げていた。おそらくもう二度と意識を取り戻すことはない。遅くとも数時間後には死亡を宣告されることになるだろう、と。
「……参りましょう、ヴォルフラム殿下。皇妃殿下のもとへ」
しつこく呼びかけるコンスタンツェとブライトクロイツ公爵を横目で窺いながら、リュディガーが促した。ここまでリュディガーを伴ってきた公爵はアンドレアスを起こすのに必死で、リュディガーの動きにはまるで気づいていない。
同じく同行してきたジークフリートは間違いなく公爵側の人間であり、こちらにももちろん気づいている。なんなら目が合ったが、オパールの左目を細められるだけだった。しかも『早く行け』とばかりに扉の方をしゃくってみせる始末。
(この男、いったいなにを考えているんだ?)
アンドレアスの従兄にして、かつての婚約者の兄。アンドレアスを憎むブライトクロイツ公爵の息子。
嫌われる心当たりしかないのに、なぜヴォルフラムに協力などするのか。理由はいくら考えてもわからないが、ありがたいのは確かだ。リュディガーなら一人で警護隊以上の戦力になってくれる。
「急ぎましょう、フォルトナー卿」
公爵とコンスタンツェを刺激しないよう小声で促せば、リュディガーは無言で従ってくれる。
(……皇帝は最期の最期で、私を皇妃殿下のもとまで護衛するようフォルトナー卿に頼んだのだ)
ブライトクロイツ公爵がなんのために現れたのかも、アンドレアスの意図もわからない。
だが、これだけは確信できた。
ヴォルフラムはガートルードと共に『不朽の屍櫃』を開けなければならない。
……アンドレアスが冥府に旅立つ前に。




