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81・運命の選択(第三者視点)

「ヴォルフラム殿下! ご無事ですか!?」



 返事を待たずに駆け込んできたのは、奥の宮殿を警護する騎士だった。その顔にくっきり浮かぶ焦燥を見て取り、ヨナタンは無礼を咎める代わりに問いかける。



「なにがあったのですか?」

「……、魔沼です。先ほど一階に魔沼が発生しました。現在、一階はあふれ出した魔獣と警護騎士たちが交戦中です。殿下におかれましては、一刻も早い避難を」

「魔沼!?」



 目を剥いたのはヨナタンだけではない。

 魔沼――魔獣を生み出す瘴気の沼は不入いらずの地に発生するものだ。いや、魔沼が湧くからこそその土地は不入の地と呼ばれる。



 だが、ここは帝都の皇宮。しかも破邪の力を持つガートルードもいるのに、魔沼など湧くはずが。



「ぐ、……っ」

「ヴォルフラム様!」



 めまぐるしく回る思考は、胸を内側から抉られるような痛みに断ち切られた。弱まったり強まったりするたび、なにかの……否、誰かの声がぐわんぐわんと頭蓋に反響する。



『もう、好きにはさせぬ』

『よくも私を、こんなにも長い間閉じ込めてくれたな』

『今度は貴様らが蹂躙される番だ。人間どもよ……!』



 怨嗟すら艶めかしい、男の声。



『助けて、助けて、……い、様』

『わたくしは、もう、限界です』

『どうして来てくださらないの……!?』



 息も絶え絶えの、女の声。



「ヴォルフラム様! いかがなさったのですか、ヴォルフラム様!?」



 肩を揺さぶってくるヨナタンには、男の声も女の声も聞こえていないらしい。もちろん急報をもたらした騎士にも。



 否応なしにヴォルフラムは理解した。男と女の声は、胸の奥の硬い感触を介して聞こえているのだと。さっきから増すばかりの痛みも、二人の声に連動しているのだと。



 魔沼が皇宮に発生し、胸の奥の硬い感触が疼き始め、男と女の声が聞こえだした。すべてのきっかけは魔沼……いや。



(魔獣を生み出す魔沼……この身体をむしばんでいたのは、魔獣の呼気に含まれる瘴気……)



 ――魔獣、だ。



 魔沼ではない。この胸の奥の硬い感触は、魔獣に起因している。そしてもしも、この感触が生まれた時から胸の奥に存在していたのだとしたら。



(この身体が瘴気を集めてしまう元凶も……この感触のせいか……?)



 肯定するように、ずきん、と痛みが走る。

 とっさに治癒魔法を使い、痛みはだいぶ和らいだが、硬い感触はどくどくと脈打っていた。まるでもう一つの心臓だ。



「……大事、ない。少し、驚いただけだ」

「ですが、ヴォルフラム様」



 顔面蒼白なヨナタンは、今にも治癒魔法使いを連れて来いと騎士に命じそうだ。ヴォルフラムの推測が正しければ、天才的な治癒魔法使いでもヴォルフラムを『治す』のは不可能である。



「いいから、今は」

「殿下! ヴォルフラム殿下!」



 騎士が開けたままだった扉から、息せききった侍従が現れる。まさかもう魔獣が二階まで侵入したのか。



「陛下が、……皇帝陛下が意識を取り戻されました」

「……!」



 ヴォルフラムもヨナタンも騎士も息を呑んだ。



 アンドレアスはコンスタンツェと二人だけにして欲しいと願い、自室にこもってしまった。あれからおそらく意識を失い、そのまま二度と目覚めないだろうと前世の勘が告げていたのだが。



「陛下はヴォルフラム殿下を呼んで欲しいと仰せです。どうか、お早く……!」

「ヴォルフラム様!」



 侍従とヨナタンが必死の形相で急かすのは、これが親子の最期の別れになるかもしれないからだ。ヴォルフラムもあの状態から一時でも意識を回復するとは思わなかった。

 しかも奇跡のようなその最期の時間を、ヴォルフラムの……息子のために使おうとするとは。



 ヴォルフラムのため、なんの関わりもない他国の王女を権力で無理やり娶ったのだ。愛情がなかったとは思わない。

 だがその愛情は、あくまでコンスタンツェありきだったはずなのだ。



 愛する妻の産んだ唯一の息子だから、愛する妻の立場を守りたいから、どんな手を使ってでもヴォルフラムを生かそうとする。為政者にあるまじき身勝手な愛情の主。それが今生の『父』に対する、ヴォルフラムの偽らざる本音だった。

 そんなアンドレアスなら、最期もコンスタンツェと二人きりで迎えたいと望むはずだったのに。



 ずく、とまた胸の奥が痛む。

 あの硬い感触ではない。心臓が、本能が叫んでいる。今すぐ父に会いに行かなければ、一生後悔すると。



 今際の際に、アンドレアスはなにを告げようというのか。最後の最後に、また失望させられるだけかもしれない。

 でも。



「……わかった。すぐに行こう」



 ヴォルフラムはまだ知らなかった。

 この時の選択が、己を……帝国の運命すら大きく変えることになるなんて。





「皇帝陛下、皇后陛下。ヴォルフラムが参りました」



 扉を開け、入ってきたのはヴォルフラム一人だけだった。騎士も呼びにやらせた侍従も、ヨナタンすら付いていないのは、家族だけにしてやろうという思いやりか。



(ずいぶん落ち着いていること)



 現れた幼い息子の姿に、コンスタンツェはかすかな苛立ちを覚えずにはいられなかった。



 皇宮に魔沼が出現し、魔獣が次々と生み出されていることはコンスタンツェもすでに報告を受けている。一刻も早くヴォルフラムと共に脱出を、とリュディガーの配下である奥の宮殿警護隊長からも要請されたが、従うつもりはなかった。



 瀕死の床にあるアンドレアスを、魔獣の群れからの逃避行に伴うことはできない。宮殿警護隊も、助かる見込みのないアンドレアスよりは次の皇帝たるヴォルフラムを優先して守ろうとするだろう。



 ならばコンスタンツェはここに残り、最期までアンドレアスと共に在る。剣を振るい魔獣どもを退け、力尽きた後はアンドレアスを追いかける。逃げるのはヴォルフラムだけでいい。



 後の世の人々は、コンスタンツェを愛に殉じた皇后と称えるだろう。アンドレアスも天の国でコンスタンツェを優しく迎えてくれるにちがいない。

 そう、思っていた。



『……ヴォルフラムを、呼んでくれ』



 だから意識を取り戻したアンドレアスが開口一番そう願った時には、心臓を冷たい棘に突き刺されたような心地になった。



(私が、一番ではなかったの?)



 父親が今際の際に幼い息子に会いたがるのは当然だ、と理性はたしなめたが、すぐに別の声が取って代わった。



 ――アンドレアス様は、私よりヴォルフラムを取った。

 ――私よりヴォルフラムを愛しているのだわ。

 ――私は、アンドレアス様のために死ぬ覚悟なのに……ヴォルフラムはアンドレアス様を置いて逃げるのに……。



 声は頭痛をもたらすほど強くなっていったが、アンドレアスの最期の願いを握りつぶすことはできず、侍従にヴォルフラムを呼びに行かせた。



 ヴォルフラムもアンドレアスのために魔力を使い果たし、休んでいたのだ。その姿を見れば馬鹿げた感情など吹き飛ぶと思っていたが。



(どうしてこの子は、もっと強力な治癒魔法を使えなかったの?)



 コンスタンツェの胸にあふれたのは、新たな苛立ちだった。



 ヴォルフラムがこの歳で治癒魔法を発動させられること自体、称賛に値するのだ。魔力の高い皇族であっても。

 誉めてやるべきなのに、大舞踏会の会場でヴォルフラムが初めて治癒魔法を使ってみせた時……思ってしまった。どうして今まで隠していたのか。公にしていればさすがは皇帝の子だと、そんな子を産んでみせたコンスタンツェは素晴らしい皇后だと絶賛されたはずなのに。



 アンドレアスとコンスタンツェの子なら、どうして死者すら蘇生させるほどの治癒魔法を使えないのか。あの場でアンドレアスを元通りに回復させてみせれば、邪魔なガートルードはモルガンもろとも処刑させ、コンスタンツェこそ帝国最高の女性と称えられたのに――。


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― 新着の感想 ―
コンスタンツェ、きっと最初は人並みの嫉妬や弱さを抱えた『普通の人』で、良い主や周りに恵まれればそれなりの騎士として生涯を全うできたんだろうなぁとある種の切なさをもって眺めています。 上位存在めいた何か…
コンさん、これは流石に精神汚染か何かがあるんですよね? どう見てもSAN値直葬済みだよぉ…… さて置き、ヴォルフラムを呼び出したアンドレアスは普通のアンドレアスなのか、それとも超アンドレアスなのか、…
なるほど。声の主がわかりましたよ!(遅い 笑) ところで、このシリアス展開の真っ只中で、おそらく未だにご褒美キックにうっとりし続けてるであろうモルガンくんを想像(妄想)してにやけています。ガートルード…
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