78・絶叫(第三者視点)
『凡庸なルドルフよりも、皇帝になるべきはクラウスよ、そなたであった』
ガートルード皇妃が輿入れして間もないころ、ひそかに公爵邸に現れたアンドレアス……初代皇帝アンドレアスはブライトクロイツ公爵にささやいたのだという。子孫の愚行を見ていられなくなり、アンドレアスの肉体に宿って行動し始めたのだ。
むろん公爵とて、最初から信じたわけではない。アンドレアスが初代を騙り、公爵の野心を聞き出し、それを証拠として政敵である公爵を断罪しようともくろんだ可能性もあるのだから。
そんな疑念を砕いたのは、アンドレアスが天才的な魔法使いだった初代皇帝アンドレアスしか使えないはずの転移魔法で屋敷に現れたこと、初代皇帝しか扱えない数々の魔法道具を使いこなしてみせたこと、なにより。
『そなたが三兄弟で最も優秀な皇子であったものを』
『余にはわかる。そなたこそが帝王の器だと』
『現皇帝は身分卑しき女を皇后に立てた挙げ句、その女の腹から生まれた欠陥品を生かすため、シルヴァーナの王女を犠牲にした。愚かとしか言いようがない』
『現皇帝がこのまま帝位に在り続ければ、帝国は斜陽の一途をたどるであろう』
その口から告げられる、ブライトクロイツ公爵の心を狙い撃ちするような甘いささやきの数々だった。
ずっと胸にわだかまっていた不満と怒りを、帝国において誰よりも崇められる初代皇帝が認めてくれた。慰撫してくれた。
その事実は、くすぶり続けていたブライトクロイツ公爵の野心を一気に燃え上がらせた。
そして公爵は初代皇帝にささやかれるがまま、謀略を張り巡らせた。実際は初代皇帝の言葉に従っていただけ、操り人形のようなものだったが、本人は自分こそが主導者であり選ばれた帝王だと信じていただろう。
その集大成が今日の大舞踏会だ。
夫が初代皇帝の魂の器と化しているとも知らず、コンスタンツェはモルガンが己と息子を排除しようとたくらんでいるものと思い込み、殺すしかないと思い詰め、浅はかにもダンス中に襲いかかった。モルガンが回避のために放った魔法を増幅させ、初代皇帝がかばうふりで割り込み、致命傷を受ける。
そこまでは前日の打ち合わせ通りだったのだ。
想定外だったのは、ヴォルフラムが治癒魔法の遣い手であり、アンドレアスの肉体が即死を免れてしまったこと。そして最大の番狂わせは、ガートルードが聖ブリュンヒルデ勲章を振りかざし、モルガンを連れ去ってしまったこと。
(……あれは、痛快だったな)
くっ、とジークフリートはひそかに喉を鳴らす。
ブライトクロイツ公爵の絶対的な自信の源である獅子の短剣。皇帝じきじきに指名された代理人の地位は、ガートルードにだけは通用しない。
なぜなら聖ブリュンヒルデ勲章を授与された者は、皇帝以外のあらゆる者の命令を拒む特権を有する。
そう、ガートルードに『モルガンを引き渡せ』と命令できるのは皇帝の地位に在る者のみなのだ。代理人に過ぎないブライトクロイツ公爵は、ガートルードが『モルガンは絶対に渡さない』と言い張れば手出しできない。
唯一、命令できるアンドレアスは瀕死であり、その肉体に宿る初代皇帝も死にかけの肉体を動かすことはできない。
聖ブリュンヒルデ勲章は妹ブリュンヒルデ皇女のため、初代皇帝が創設した勲章だ。それが百年の時を超えて初代皇帝を自縄自縛に陥れ、公爵の野望をも阻んでいるのだから、愉快としか言いようがない。
ガートルードがモルガンを連れ去ろうとした時、ブライトクロイツ公爵が獅子の短剣を突きつけなかったのも、やっても無駄だとさすがに理解していたからだろうが。
(いっそ、突きつけてみれば良かったものを)
そうすればあの神使は今度こそ蜘蛛脚のひと振りでブライトクロイツ公爵の首をもぎ、その時点で今回の茶番は終わっていたはずだ。腕の疼痛を涼しい顔でこらえながら、ジークフリートはつくづく残念に思う。
うまく威力を受け流したつもりだが、おそらく骨にヒビが入っただろう。リュディガーの強化魔法を受けた上でこのありさまだ。レシェフモートが本気だったら、この腕は使い物にならなくなっていたにちがいない。
「わかったか、フォルトナー卿」
ジークフリートの内心など知らず、ブライトクロイツ公爵は誇らしげに胸を張った。
「私は皇帝陛下にも認められた正式な代理人だ。我が命令に従い、今すぐ近衛騎士団全軍を率いて皇妃の宮殿に向かえ」
「……なんのために?」
「決まっておるであろう。皇妃を捕らえるのだ。大罪人ブラックモア共々な!」
尊大な態度は焦りの裏返しだと、息子であるからこそ察することができる。
たとえリュディガーが近衛騎士団を率いて攻め込もうと、聖ブリュンヒルデ勲章を振りかざされれば引き下がらざるを得ない。だがそれはあくまで法的な縛りに過ぎず、かのアルスリア進攻戦で多大な武功をあげたリュディガーが本気で戦えば、相手が神使といえども勝ち目はある。
神使さえ倒してしまえば、兵力を持たぬガートルードなどモルガンごと捕縛できる。ブライトクロイツ公爵はそうたかを括っているのだろう。
(知らぬとは幸いなことだ)
たとえリュディガーとジークフリートが死ぬ気でかかっても、あの神使には勝てない。百回戦えば百回肉塊にされ、魂は煉獄に堕とされ、文字通り地獄の苦しみを味わい続けることになるだろう。
あの神使はものの数秒で皇宮ごと貴族たちを踏み潰してしまえる。
そうしないのは、踏み潰すほどの価値を貴族たちに認めていないから……なにより、ガートルードが望まないから。それだけの話だ。
だが、だからこそ公爵も貴族たちも期待してしまう。人間が死力を尽くせば、神の使いにも勝てる――勝てぬ存在はないのだと。
これもまた、魔獣討伐を対魔騎士団に任せきっていた弊害なのかもしれない。あの理不尽な異形どもと日常的に戦っていれば、そんな希望など抱きようがないものを。
ガートルードとモルガンを捕らえ、ガートルードはジークフリートの妃に据え、モルガンは皇帝殺害の犯人として処分し、シルヴァーナ侵攻の大義名分とする。それがブライトクロイツ公爵の計画だ。
「お断りします」
そうと知ってか知らずか、リュディガーは毅然と言いきった。
「我ら近衛騎士団は皇族の剣であり盾。恥知らずの暴徒になるつもりはございません」
「なっ……、ん、だと?」
「ブラックモア卿はともかく、皇妃殿下にはなんの罪もない。ブラックモア卿をかくまわれたのも、皇帝陛下より賜った聖ブリュンヒルデ勲章の正当なる特権を主張されたに過ぎません。罪なき淑女を武力で威圧し捕らえるなど、恥知らずの暴徒でしかない。……それでもなお、皇妃殿下を引っ捕らえよというのなら」
怒りに燃える翡翠の瞳が……アンドレアスと同じ色彩がブライトクロイツ公爵を射貫く。
「代理人ではなく、皇帝となられてから命じるがいい」
ぞく、と背筋を震わせたのはジークフリートだけではないだろう。
明らかに格上の身分の相手にも、不条理と思えばまっこうから逆らう胆力。帝国人らしからぬ華やかな貴公子とさげすまれながら、その実、リュディガーほど『帝国人らしい』男はいない。
(……そうだ、リュー。お前の方がふさわしい。欠陥品などよりも、はるかに)
無意識に眼帯に触れた時だった。
『……離れろ! 呪われた女よ!』
地の底から、激震と共に絶叫が突き上げてきたのは。




