77・ブライトクロイツ公爵と初代皇帝(第三者視点)
ゴォォォォ……ッ!
アンドレアスが治癒魔法使いたちによって運び出され、コンスタンツェとヴォルフラムも同行した少し後のことだった。深い地の底から、咆哮にも似た地鳴りが突き上げてきたのは。
「なっ、なんだ!?」
「また地震が……!」
「こんな時に……、ひぃっ!」
他国の貴族による皇帝夫妻の殺害未遂に、恐れていた再度の地震。相次ぐ非常事態に多くの貴族たちはうろたえるが、もちろん冷静さを保つ者もいる。
「うろたえるな。下手に動けば怪我をするぞ」
その一人であるジークフリートが警告を発した。決して張り上げたわけでもないのによく通る声は、彼が優秀な武人である証だ。
「し、しかしブライトクロイツ卿……皇帝陛下があのような仕儀となられた上、地震まで……、ヒィッ!」
床に座り込んでいた青年貴族が訴える途中、また地鳴りが響き、青年貴族は頭を抱えながら伏せてしまった。
彼を怯懦と非難できる者は残念ながらさほど多くない。他にもあまたの貴族たちが地揺れに耐えられず座り込み、誰かがなんとかしてくれるのを待っているのだから。
ソベリオン帝国において貴族がそのまま戦士を意味していたのは、せいぜい三代目の皇帝の御代までだろう。
帝国の前身、アダマン王国以来の尚武の気質が完全に失われたわけではない。アッヘンヴァル侯爵家のように当主自ら一武人たろうと努める貴族家もまだまだ多いが、特権階級である自分たちがわざわざ前線で戦う必要はない、と考える貴族も同じだけ存在する。
帝国の版図がほぼ拡張しきり、戦の数が激減したことが最たる要因だが、魔獣の討伐をほぼ対魔騎士団が一手に担っているのも大きいだろう。
帝国以外の国々では、貴族の子弟は必ず魔獣の群れの討伐に参加する。貴族の義務を果たすと同時に戦い方を学び、我が手で命を奪う感覚に慣れるのだ。王族の威光で国内に魔獣が出現しないシルヴァーナ王国でも、国外に派遣される討伐隊に参加させ、魔獣討伐を経験させる。
魔獣の存在は人間にとって害悪だが、同時に貴族子弟に『殺し』を体験させる教材でもあるわけだ。
その教材が与えられず、両親も武力に重きを置かない方針だった貴族子弟は、武術を習ったとしても、命を奪う重さを経験しないまま成長してしまう。そして今、床にへたり込んだまま動けずにいるような貴族ができあがるわけだ。
「騒いだところで地震がおさまるわけではない。まず貴婦人がたを集め、揺れが小さくなった機を見計らって安全な外へお連れしろ」
「……はっ!」
ジークフリートの鋭い視線を受け、散っていた対魔騎士団の騎士たちが動き出す。貴婦人たちに声をかけ、一ヶ所に集めていく騎士たちは手慣れていた。魔獣討伐という非日常に身を置いているからこその迅速な行動だ。
「我らも……」
「待て」
遅ればせながら続こうとしたリュディガー――近衛騎士団団長に、待ったをかけたのはブライトクロイツ公爵だ。息子しか気づかない程度に震えていた彼は、歯を噛み締めながら命じる。
「フォルトナー卿、卿を近衛騎士団団長から解任する。これより近衛騎士団を指揮するのは、この私だ」
「なっ……!?」
リュディガーのみならず、周囲の貴族たちまでもが驚きをあらわにするのは無理もない。
近衛騎士団は皇族の身辺を警護するために存在する騎士団であり、その指揮権は皇帝に専属する。すなわち近衛騎士団の指揮権を主張するのは、己が皇帝であると宣言したにも等しいのだから。
リュディガーは厳しい表情で反論する。
「……ブライトクロイツ公爵、お言葉ですが、近衛騎士団の指揮権は皇帝陛下のみの権利。我らが公爵に従ういわれはございません」
「非常事態においては、皇太子あるいは次の帝位継承者に指揮権が委譲されるはずだろう」
ブライトクロイツ公爵が皇太子あるいは次の帝位継承者、と言うのは、なんらかの事情で立太子した皇子が存在しない場合を想定した帝国法のことだ。皇子がみな幼かったり、皇帝の子が皇女のみだったりする場合で、今回はやや変則的だが前者に当てはまるだろう。
「確かに、仰せの通りです。しかし公爵は皇太子の座にあられず、帝位継承者ではあっても皇帝陛下の指名を受けられたわけではない」
法の定めであっても、近衛騎士団の指揮権という重要な権利を委譲するには皇帝の指名が必要である。リュディガーの言葉は理にかなっているが、ブライトクロイツ公爵は鼻先で嗤う。
「指名なら受けておる」
誇らしげに胸元から取り出したのは、黄金造りの短剣だった。柄に猛る獅子が彫られ、その両目に大粒のルビーが嵌め込まれた短剣は戦うためではなく、皇帝の権威を示すために存在するものだ。
ブライトクロイツ公爵は柄の獅子を見せつけるようにかざし、おもむろに鞘から抜いた。きらめく刀身があらわになる。
「あれは、『獅子の短剣』!」
どよめく貴族たちの、公爵を見る目が変化する。格上であっても同じ貴族に対する目から、雲の上の支配者を仰ぐそれへ。
獅子の短剣は皇帝が己の身になにか起きた場合に備え、己の代理人たる証として、帝位継承者に授けておく魔法道具だ。アダマン王国時代より伝わる宝物だという。
特殊な魔法がかけられており、皇帝から自らの意志で授けられない限り、鞘から抜くことはできない。盗んだり強奪しても無駄だということだ。
それをブライトクロイツ公爵は抜いてみせた。すなわち獅子の短剣は間違いなくアンドレアスの意志により、公爵に授けられたということ――公爵は皇帝の代理人であることを意味する。
実際、ジークフリートも見た。獅子の短剣がアンドレアスによってブライトクロイツ公爵に授けられるところを……そう、忍び込んできたティアナを追い払った、あの晩に。
(アンドレアス、……『アンドレアス』か)
『クラウス・ブライトクロイツ。そなたを我が代理人に任ずる。我が身に危機が迫りし時はこの短剣を証とし、我が権利を代行せよ』
あの晩。
ひそかに公爵邸を訪れたアンドレアスは、覇者の威厳をまとわせ、ひざまずくブライトクロイツ公爵に獅子の短剣を与えた。
『はっ。偉大なるアンドレアス様の仰せのまま、このクラウス、父より受け継ぐはずであった帝位を今度こそ受け継いでみせます』
弟の息子であるアンドレアスを『簒奪者の息子』とまで呼び、蛇蝎のごとく嫌悪していたはずの父公爵がためらいなくひざまずく姿は、ジークフリートにはなかなか衝撃的だった。
同時に確信も得た。アンドレアスが即位したころからずっと抱いていた違和感――『アンドレアスは、本当にジークフリートの幼なじみのアンドレアスなのか?』。
『ジークフリートよ。やはり私こそが帝位にふさわしい、帝国最高の男だったのだ』
アンドレアスが屋敷を去った後、ブライトクロイツ公爵は陶酔しきった顔でまくしたてた。
『なぜなら、かの初代皇帝アンドレアス様がこの私こそ次の皇帝だと認めてくださったのだからな!』
アダマン王国最後の王子にして、たった一代でソベリオン帝国を建国した初代皇帝アンドレアス。聖なる皇女ブリュンヒルデの兄。
現皇帝アンドレアスの名は、偉大なる初代にあやかりたい一心で先帝がつけた。初代を信奉するブライトクロイツ公爵は、それも気に食わなかったのだ。
公爵によれば、初代皇帝アンドレアスの魂は死後もなお地上に留まり、帝国を見守っていたそうだ。
ただ子孫たちを見守るだけで、口出しをするつもりはなかった。しかし先々帝がジークフリートの父である長男クラウス、アンドレアスの父である次男ルドルフ、リュディガーの父である三男オイゲンのうち、次男ルドルフを後継者に指名した時、帝国の前途を案じずにはいられなくなったのだという。




