72・皇禍、その始まり(第三者視点)
(茶番だな。いや喜劇か)
コンスタンツェの手を取り、軽やかなステップを踏みながらモルガンは皮肉を噛み殺した。
はた目には魅惑の笑みを浮かべたようにしか見えなかっただろう。貴婦人たちからため息が漏れる。
(この私が女と、それもガートルード殿下をシルヴァーナから奪った元凶と踊るとは)
皇帝の狙いはわかっている。モルガンに『皇后と踊った男』の箔をつけてやり、多少なりとも埋め合わせをしておきたいのだろう。正直なところ、失態続きの皇后と踊ったところで箔どころかケチしかつかないとは思うが、皇帝夫妻の実態を知らない遠方の国々でなら意味はある。
けれど。
(ガートルード殿下……)
高座に戻ったガートルードを横目で窺うと、モルガンの胸はじわりと痛む。
幼い皇妃を皇帝と離婚させ、フローラ王女を身代わりに差し出し、自国に連れ帰りクローディアに代わる女王に立てようともくろんだのは、あくまで自分のため――王配という名の種馬として飼い殺しにされる未来を逃れるためだった。
だが今は、ガートルードのためにもシルヴァーナへ連れ帰るべきだと考えざるを得ない。こんな女と一生同じ宮殿で、威張り散らされながら暮らすなど、控えめに言っても地獄だろう。
ヴォルフラム皇子は予想よりはまともだったし、己の立場もわきまえているようだったが、彼が立太子し帝位に就けば、コンスタンツェの権威もまた高まってしまう。
たとえコンスタンツェ自身は人望を失っていても、誰もが一定の敬意と配慮を払わざるを得まい。世継ぎの生母というのは、それほど立場が強い。
ならばこそ、ガートルードは。
「……皇后になるべきだと、考えているのでしょう?」
うわべだけの笑みを浮かべたまま、コンスタンツェがモルガンの耳元でぼそりとつぶやいた。思いがけない発言に、モルガンはまじまじとコンスタンツェを見つめてしまう。
思えばこの女性をまともに見たのはこれが初めてかもしれない。濃い化粧に彩られた瞳はぎらぎらと輝いており、反射的に嫌悪が沸き起こった。同じだ、と感じてしまったから。モルガンをさげすみ、いたぶり続けた母親や姉たちと。
嫉妬と憎悪の権化。
「ガートルードを、あの小娘を。身のほどもわきまえず、私とヴォルフラムを廃し、皇后の座につけようとしているのでしょう?」
「なにを、……っ」
なにを妄想ばかり口走っているのか。考えたことすらない、と反論しかけたモルガンの手を、コンスタンツェは骨が軋むほど強く握り締める。
(なんて力だ)
帝国人は男女共に大柄だ。元騎士のコンスタンツェも背丈はモルガンとさほど変わらず、普通の貴婦人より腕力にも体力にも恵まれているだろう。
だが、モルガンとて貴族男性として恥ずかしくない程度には鍛えている。女の手を振りほどけないなんて、ありえないのに。
「許さないわ。私とアンドレアス様を引き裂くなんて、絶対に許さない」
す、とコンスタンツェが胸元から小さな短剣を取り出しても、どよめきは起こらなかった。ちょうどモルガンの背中が壁になり、隠れてしまったせいで。もちろんコンスタンツェはそうなる瞬間を狙ったのだろう。
「だから、……お前が死になさい」
ささやきは、絡み合う楽隊の弦楽器の音色にかき消された。
短剣から鞘が消え、あらわになった刀身がモルガンの左胸めがけて突き出される。魔法道具だ、とモルガンは察した。所持者の意志だけで鞘を着脱でき、軽い力で鉄板すら貫ける。
「くっ……」
コンスタンツェがなぜこんな行動に出たのか、なにを考えているのかすらわからない。だが抵抗しなければ殺される。
片手はコンスタンツェに拘束されており、もう一方の手だけではコンスタンツェを振りほどけそうにない。
当然の選択として、モルガンは魔法を発動させた。殺傷力はないに等しい、ただ強風を巻き起こし標的を吹き飛ばすだけの風魔法――のはずだったのに。
(なっ!?)
モルガンが放出した魔力は一瞬で異様なほど膨れ上がり、巨大な風の大鎌に変化した。限られた者しか使えない、風の上級魔法だ。
「コンスタンツェ!」
触れる者を容赦なく切り刻む風の大鎌がコンスタンツェに命中する直前、悲痛な叫びが響いた。高座から駆け下りてきたきらびやかな正装の男がコンスタンツェを抱き込み、風の大鎌を代わりに受ける。
ザンッ!
その瞬間、たぶん男は魔力の障壁を張ったのだろう。さもなくば左腕を切断した風の大鎌は、脇腹に深く食い込んだだけでは止まらず、胴を真っ二つにしていたはずだ。
「キャアアアアアッ! アンドレアス様!」
コンスタンツェの悲鳴が響き渡り、切断された左腕が床に落ちた。おおおっ、と会場を震動させるほどのどよめきがそこでやっとモルガンの鼓膜も揺さぶる。
鮮血を噴き上げながら倒れるアンドレアスを支えきれず、くずおれると、コンスタンツェはきっとモルガンを睨んだ。憎悪に血走った目で。
「人殺し! よくも私のアンドレアス様を!」
会場中の視線がモルガンを……その手に握らされた短剣を突き刺した。ついさっきまでコンスタンツェが持っていたものだ。
呆然としている間にコンスタンツェに握らされたものだと反論しても無駄だろう。自国の王女を侮辱された女王の使者が皇后の殺害を試み、魔法まで放ち、皇后をかばった皇帝が凶刃に倒れた。一連の出来事は、当事者以外の目にはそうとしか見えないはずだから。
(してやられた)
モルガンの背筋を冷たい汗が伝い落ちた。
自分はまんまと嵌められ、皇后と皇帝殺害未遂の犯人に仕立て上げられたのだ。
(絵図を描いたのは、おそらく皇后ではない)
コンスタンツェは本気でモルガンを殺そうとしていた。アンドレアスが自分をかばって瀕死の重傷を負うなど、予想もしなかったはずだ。それにこの皇后の性格上、愛する夫であり唯一の支持者であり権力基盤でもある皇帝を犠牲にする計略など立てられようはずもない。
「……皇帝陛下!」
駆け出したヴォルフラムがアンドレアスのそばにひざまずき、ほどいたタイで切断された腕の根元を素早く縛り上げ、小さな手をかざした。
発動させたのは治癒魔法だ。淡い光が切断面や脇腹の傷に吸い込まれ、噴き出す血の量が少なくなっていく。
適性を持つ者が少なく、習得も難しい治癒魔法をその幼さで使えるのは驚嘆に値するが、ほとんどの者は皇子ではなくモルガンに注目していた。皇帝と皇后を手にかけようとした、他国の貴族に。
「いやぁぁぁぁぁ! アンドレアス様、アンドレアス様、お願い、死なないで! 私を置いていかないで!」
コンスタンツェもまた父親を必死に救おうとする我が子には一瞥もくれず、アンドレアスにしがみついて泣き叫んでいる。アンドレアスが倒れた今、混乱する現場の指揮に当たらなければならないのは皇后たる彼女なのに。
「女王の使者でありながら、我らが皇帝陛下を弑し奉ろうとは」
その代わりとばかりに進み出たのは、ブライトクロイツ公爵――皇族であり、コンスタンツェとガートルード、ヴォルフラムを除けばこの場で最も地位の高い男だった。堂々たるたたずまいで押し出しの強い公爵は、応急の場ではいっそう頼もしそうに見える。
「なにをしている! 早く大罪人を捕らえぬか!」
まなじりを決し、ブライトクロイツ公爵はあたりに響き渡る大音声で騎士たちに号令する。
「シルヴァーナの使者が、皇帝陛下を手にかけた!」
「なんと恐ろしい……!」
「まさかクローディア女王は、最初からこのために……!?」
どよめいた貴族たちがモルガンから距離を取り、代わりに騎士たちが接近してくる。
剣の柄に手をかけた彼らは残らず疑心と怒りをあらわにしており、つかの間、モルガンを引き戻す。遠い過去……愛する父が『事故死』した直後へ。
『嘘つき!』
『モルガンは嘘つきよ!』
誰も信じてくれなかった。
モルガンは訴えたのに。声がかれるまで、あれは事故なんかではないと。父は誰かの故意によって殺されたのだと。
けれど母も四人の姉たちも、モルガンを嘘つきと決めつけ、非難の眼差しを浴びせた。父の葬儀はモルガンが罰として地下室に閉じ込められている間に執り行われ、渇き死に寸前でやっと出してもらえた時には、すべてが終わっていた。
あの時と同じだ。
誰もモルガンを信じない――助けてくれない。
決して。




