71・転生ものぐさ皇妃と嵐の予感
「皇后の無礼、余が代わって詫びる。……皇妃、皇后を許して欲しい」
自分では謝れない皇后のため、代わりに謝罪する皇帝。
その姿は貴族たちに失望とやるせなさをもたらした。
後ろ楯はないも同然。『欠陥品』の世継ぎしか産めず、帝国に何ら利益をもたらさず、他国の王女を犠牲にしても皇后の座に居座り、そうまでして命永らえさせた息子の恩人たる皇妃に聞くに堪えない暴言を吐いた。
厳しく叱責し、離縁を申し渡すのならまだしも、この期に及んで皇后をかばった。
そこまでして手放したくないのか。執着するのか。失敗ばかりの皇后に。
もはや怒りすら湧いてこない。
しかしガートルードの胸にじわりとにじみ出るのは、さみしさだった。
(やっぱり、違う)
この人は皇帝廟でヴォルフラムを頼むと懇願してきた、超アンドレアスと呼んでいいぞといたずらっぽく笑っていたあの人ではない。
あの人はどこかへ行ってしまった。きっともう、二度と会えない。
「……陛下の謝罪を受け入れます」
「皇妃殿下」
リュディガー、ジークフリート、モルガン、ヴォルフラムさえも異口同音に声を上げる。ここで許すべきではないと言いたいのだろう。
だがこれ以上コンスタンツェを追い詰めたくはない。彼女を慮ってのことではなく、大舞踏会を台無しにしたくないからだ。
あくまでコンスタンツェに謝罪を望めば、大舞踏会どころではなくなってしまう。対魔騎士団はせっかくの婚活を邪魔され、失望するだろう。
それに。
(ヴォルフラム殿下……)
母親の暴挙に居たたまれなそうな、羞恥で消え入ってしまいたそうなヴォルフラムを、見ていたくはなかった。親のせいで恥ずかしい思いをするやりきれなさは、ガートルードもよく知っている。
「わたしは皆がわたしのために怒ってくださっただけでじゅうぶんです。せっかく対魔騎士団の皆が集まったのですもの。良い思い出だけを持ち帰って欲しいわ。ねえ、レシェもそう思うでしょう?」
ガートルードはレシェフモートに手を差し出した。女神シルヴァーナの神使……ということになっているレシェフモートの威光を借りるため、だけではなく、コンスタンツェの所業に激昂しているだろう異形の怒りを少しでも鎮めるために。
「……はい。我が女神のおっしゃる通りです」
レシェフモートはかすかに肩を震わせ、ガートルードの手を取ると、頬を押しつけてから口づけた。ほう、と貴婦人たちが感嘆の息を漏らす。
「……我らが貴婦人がそう仰せならば、是非もないが」
ジークフリートは剣の柄にかけていた手を離し、オパールの左目でコンスタンツェを見据えた。その大剣がすでに一度抜かれたことを知るのは、リュディガーとレシェフモート、そしてもう一人だけだ。
「私も我が配下も、貴方のふるまいを忘れることはないだろう」
「……っ……」
屈辱に頬を染めるコンスタンツェは、これで完全に対魔騎士団の忠誠心を失った。貴族たちはそう判断した。高名な騎士を輩出してきた実家のハーゲンベック伯爵家も、悪影響は避けられない。
「我ら近衛騎士団は皇族の御身をお守りするために存在します」
淡々と告げるリュディガーに、コンスタンツェの口角が歓喜につり上がる。
だがリュディガーがコンスタンツェに向けた翡翠の瞳には、隠しきれない軽蔑がにじんでいた。
「皇妃殿下もまた皇族のお一人であり、我が淑女でもあられる。その尊い御身をお守りするためならば、私は誰に対してもためらいなくこの剣を抜くでしょう」
「フォルトナー卿……」
コンスタンツェが受けたショックは、ジークフリートの時よりも大きかったかもしれない。
ずっと中央と距離を置いてきたジークフリートと違い、リュディガーは皇帝の従弟として皇帝一家とも睦まじく過ごしてきた。家族同然、なにがあっても裏切らない味方だと信じていた相手から突き放されてしまったのだから。
「人の心がおありなら、今一度お考えになるといい」
モルガンが藍色の瞳を妖しく光らせた。こんな時なのにあくまで優美なたたずまいが、貴婦人たちを惹きつける。
「ガートルード殿下が今、こちらにおわすのが、誰の招いた結果であるのか。……誰が殿下から家族と故郷を奪ったのか」
「それは……っ!」
驚いたことに、気色ばんだコンスタンツェはなにやら反論しようとした。
だが聞くに堪えないだろう言葉が紅を塗った口から飛び出す前に、ヴォルフラムが母皇后の手を引く。諦めきった、子どもとは思えない表情で。
「もうおやめください、皇后陛下」
「ヴォルフラム……」
「私を少しでも愛しく思ってくださるのなら。……お願いです」
もしもガートルードがコンスタンツェなら、消え入ってしまいたくなっただろう。まだ三歳の我が子に、こんな情けなさそうな声で懇願なんてさせて。
コンスタンツェもさすがに押し黙った。ヴォルフラムは小さく息を吐き、モルガンを見上げる。
「初めてお目にかかります、ブラックモア卿。皇帝アンドレアスと皇后コンスタンツェが一子、ヴォルフラムと申します」
「……ご丁寧に痛み入ります。シルヴァーナ女王クローディア陛下より遣わされました、モルガン・ブラックモアにございます」
モルガンは優雅に礼を取った。帝国の皇子に対し礼儀にもとるところはないが、貼りつけられた笑みの下でなにを考えているのかはわからない。
「皇妃殿下が帝国への輿入れを強いられたのは、すべてこの私の不徳のいたすところ。殿下から故郷と家族を奪ったのはこの私です」
「……」
「我が母の心なきふるまいも、もとを正せば私が元凶。……むろん、だからと言って母のふるまいが許されるとは思いません。ただ皇帝陛下と皇后陛下の子としてお詫びをお伝えしたく」
「……そうでしたか。ヴォルフラム殿下のお心、このモルガン、確かに受け取りました」
交渉人らしい返答ではあった。受け取ったのはヴォルフラムの『心』であって、『謝罪』ではないのだから。
だがガートルードには、モルガンを取り巻く空気がほんの少しだけ和らいだように感じられた。
モルガンの皇帝夫妻に対する評価は最低だろう。だがその息子に関しては評価を保留する。少なくともこの段階で決めつけはしない。そう判断したのではないか。
「ブラックモア卿。このたびは皇后が心ないふるまいで貴殿にも不快な思いをさせた。許して欲しい」
アンドレアスが静かに告げた。明確な謝罪ではないが、皇帝という身分から他国の侯爵に対してできる最大限の譲歩だ。皇子と皇帝にまで下手に出られれば、内心はどうあれ、女王の代理人としてはこれ以上ことを荒立てるわけにはいかない。
「……とんでもないことにございます。幼いながらも崇高な皇子殿下のお心には感服いたしました」
「嬉しいことだ。……どうだろう、ブラックモア卿。皇后と一曲、踊ってはくれまいか」
アンドレアスの背後で、コンスタンツェがびくりと肩を震わせた。会場中の反感を買ってしまった彼女にとって、アンドレアスのかたわらだけが安心できる居場所だろう。モルガンとダンスなど、踊りたくないにちがいない。
「皇后もこの通り、心の内では貴殿にも皇妃にもすまなく思っている。共に踊ればわだかまりも解けると思うのだが、どうかな?」
コンスタンツェに構わず、アンドレアスは提案する。
皇后が踊るのは通常、夫の皇帝を除けば同じ皇族のみ。長い歴史を誇るとはいえ小国のシルヴァーナ王国、それも侯爵に過ぎないモルガンにとって、『ソベリオン帝国の皇后と踊った男』というのは大きな箔になる。今後もなにかと一目置かれることになるだろう。
だから普通に考えれば、アンドレアスの申し出はモルガンに対する配慮であり、詫びの一つだ。
でも。
(……なんだろう。なんだか嫌な予感がする)
コンスタンツェが思い詰めたような顔をしているせいか。無理にでも割って入るべきではないか。ガートルードが本気で考え始めた時、モルガンが口を開く。
「陛下がそこまで仰せになるのならば、喜んで。……踊って頂けますか? 皇后陛下」
「……、……もちろんですわ」
儀礼的な笑みを交わした侯爵と皇后がホールの中央へ進み出ていく。
後の世において『皇禍』と呼ばれる歴史的大事件は、そうして始まった。




