69・転生ものぐさ皇妃と価値を決めるもの
「そのコルセットを着けたままじゃ苦しいでしょう? 外してから綺麗にしてあげたいんだけど、いいかしら」
ガートルードが優しく問うと、やっと泣きやんだレベッカは赤くなった目をとまどいに揺らした。
「で、でも、そんなことをしたら、お父様にまた叱られてしまいます」
「……その格好をするように命じたのは、お父様なの?」
「はい。絶対に皇子殿下に気に入られるようにと、男はこういう身体が好きだからと……お母様は止めてくださったのですが……」
(クソ侯爵ぅぅぅ!)
ガートルードは心の中で罵倒せずにはいられなかった。
幼女、しかも自分の娘にセクシーさを求めてどうするのだ。レベッカはもちろん、ヴォルフラムも侮蔑している。クライネルト侯爵自身がグラマラスな女性を好むのは勝手だが、すべての人間に当てはまると思わないで欲しい。
経営者としては優秀かもしれないが、人の親としては失格。ガートルードの中でクライネルト侯爵には最低野郎の烙印が刻まれた。母親の侯爵夫人はまともそうなことだけが救いだ。
「……貴方はそのままでじゅうぶんに可愛らしいわ。ねえ、ヴォルフラム殿下もそう思われるでしょう?」
ガートルードが視線を向けると、ヴォルフラムは頬をぼんっと音がしそうな勢いで真っ赤に染め、こくこくと頷いた。
「は、はい。皇妃殿下はとてもお可愛らしいです!」
「……いや、わたしじゃなくてレベッカ嬢だってば」
ガートルードは思わず素で突っ込んでしまったが、ヴォルフラムはまたこくこくと首を縦に振る。前世のお土産の定番だった、首を振る赤い牛のおもちゃを連想させる勢いで。
「可愛いです。とっても可愛い」
「ほら、殿下もそうおっしゃっているわ。……貴方が大人になってコルセットを着けたいと思うならそうすればいいけれど、今の貴方が無理をして着ける必要はないの。たとえお父様の命令であっても」
ぱちぱち、とレベッカは不思議そうに大きな瞳をしばたたいた。
「そんなこと……初めて言われました。貴族の娘は身分の高い殿方と結婚しなければ価値はないのだと、お父様はそればかり……」
(やっぱりクソ侯爵ぅぅぅ!)
いっそトイレに流してやれればいいのに、と心の中で誰にも聞かせられない悪態をつきまくりながら、ガートルードはまっすぐにレベッカを見つめた。
「貴方の価値を決めるのは、レベッカ嬢。貴方自身よ」
「わたくし、自身……?」
きょとんとするレベッカの頬を、ガートルードはそっと撫でた。
「今はまだわからないかもしれない。でも貴方の価値を決めていいのは貴方だけで、他の誰にも……お父様にも許されないの。わたしがそう言ったこと、いつか思い出してくれたら嬉しいわ」
「皇妃殿下……」
てのひらに触れる頬がどんどん熱くなっていく。
淡い茶色の瞳は潤み、心なしか呼吸も少し速いようだ。いい加減にコルセットを外し、楽にしてあげるべきだろう。
「レシェ、レベッカ嬢の身体とドレスを綺麗にしてあげて。それから楽なドレスに着替えさせてあげて欲しいの。お願いできる?」
「我が女神の願いならば、喜んで」
沈黙を保っていたレシェフモートはうやうやしく一礼し、さっそく願いを叶えてくれた。
レベッカの衣装が汚れたフリルのドレスからふんわりとしたシフォンのそれに変わり、すえた臭いも消え失せる。ガートルードのドレスも綺麗になった。
白やピンクのシフォンを重ねたドレスは、汚れてしまったドレスに比べればシンプルだが咲き初めの薔薇の花のように可愛らしく、幼いレベッカにはよく似合っていた。さっきまでのドレスよりずっと。クライネルト侯爵以外の誰もがそう評するだろう。
もちろんコルセットなんて着けていないから、身体も楽になったはずだ。
「とっても可愛いわ、レベッカ嬢。薔薇の妖精みたいよ」
「こ、皇妃、殿下……」
もじもじと身体を揺らしながら、『……ありがとう、ございます』と上目遣いで恥ずかしそうに言ってくれるレベッカにガートルードはほんわかした。前世では悩みの種だったけれど、やはり小さな子どもは可愛い。
「ずっと眺めていたいけれど、そろそろ戻らなければならないわね」
ガートルードが告げると、レベッカの顔色は一気に悪くなった。よほどあの父親が怖いのだろう。コンスタンツェも怖いのかもしれない。
「大丈夫よ、貴方が叱られないようにするから。ヴォルフラム殿下も協力してくださいますよね?」
「もちろんです。皇妃殿下のためならば喜んで」
ヴォルフラムがまたもや赤い牛のおもちゃを連想させる勢いで頷いてくれたので、ガートルードたちはレシェフモートに頼み、神域から皇宮へ戻った。とたん、すさまじい熱気とざわめきに包まれる。
「レベッカ! お前、なにをして……そのドレスは……」
怒りと驚愕につり上がっていたクライネルト侯爵のまなじりが、困惑にほどけていった。ここぞとばかりにガートルードは進み出る。
「クライネルト侯爵、ごきげんよう」
「皇妃殿下!?」
「レベッカ嬢があんまり可愛らしいのでゆっくりお話ししたくなって、神域にお招きしたのです。せっかくだからドレスも揃えたいなと思って。ほら、可愛いでしょう?」
スカートの裾をちょこんとつまみ、ふわりとターンしてみせる。ガートルードのドレスとレベッカの新しいドレスの色調はよく似ており、リンクコーデと言えなくもない。
「レベッカ嬢が神域に招かれた!?」
どよめいた貴族たちの、レベッカを見る目付きが変わった。神域に招かれたということは、ガートルードに……女神の血を引く聖なる皇妃にそれほど気に入られたということである。
女神の愛し子のお気に入り。
ある意味、皇子の婚約者よりも価値のある肩書だ。健康になったとはいえ、ヴォルフラムが絶対に立太子できる保証はないが、ガートルードが女神の愛し子であることは永遠に変わらないのだから。
「た、確かに……たいへん、お可愛らしくていらっしゃいますな……」
こうなるとクライネルト侯爵はなにも言えない。
侯爵の位置からは、レベッカが嘔吐してしまったところが見えたはずだ。おそらく近くにいた貴族たちも。
もしも神域に招かれず、周囲に醜態をさらしてしまったら、レベッカは皇帝夫妻肝煎りの大舞踏会で嘔吐した恥知らず令嬢として一生消えない傷を負うところだった。中級貴族の夫人になれれば御の字、皇太子妃など夢のまた夢だっただろう。
だからこそクライネルト侯爵は怒ったのだが、ガートルードがすべてを解決してくれた。
女神の愛し子が『レベッカを気に入った』と宣言すれば、嘔吐を目撃した者も口をつぐまざるを得ない。仮にヴォルフラムに選ばれなかったとしても、『女神の愛し子のお気に入り』には良縁が舞い込むだろう。クライネルト侯爵も、その父親として大きな恩恵を受ける。
紅を塗った唇を悔しげに噛み、ガートルードを睨んでいるコンスタンツェと、娘と自分の窮地を救ってくれたガートルード。
最低野郎ではあるが機を見るに敏な侯爵は、すぐに『正解』を選び。
「でも、レベッカ嬢は少しお疲れになったようです。お家に帰って、ゆっくりお休みになった方がいいと思うのですけど」
「……皇妃殿下の慈悲深きお心には感謝の言葉もございませぬ。このクライネルト、殿下の仰せのままに」
ガートルードに促されるがままレベッカを連れ、一足先に帰途についたのである。
しかし、さすがの侯爵も……ガートルードすらも知らなかった。
この時の判断により、クライネルト侯爵とレベッカの命が救われたことを。
ガートルードが長きにわたり、救い主として侯爵家で語り継がれることを――。




