68・転生ものぐさ皇妃、侯爵令嬢を慰める
「皇后陛下も、レベッカの体調が優れないことは察しておいでだと思います。……その上で私と踊らせたがったのです。彼女を私の婚約者候補だと周知するために」
ずっと寝たきりで、まともに動けるようになったのはつい最近なのに、ヴォルフラムの動きはなめらかだった。
ガートルードの方が背が高いが、巧みと言えないまでも危なげなくリードしてくれる。あのリュディガーと血がつながっているだけあって、かなりの身体能力の主のようだ。
ガートルードも祖国では一通りのダンスを習ったので、どうにか無難に踊れている……と思っているのは本人だけ。円を描きながらステップを踏む愛らしい姿はひらひらとひるがえるリボンやスカートの裾もあいまって、春を告げる蝶のようだと賛嘆されている。
(……『母上』とは、呼ばないのね)
他人行儀な呼び方は、ヴォルフラムをさらに大人びて見せる。
「皇后陛下はきっと、ヴォルフラム殿下を心配なさっておいでなのでしょう」
伯爵家出身の皇后だったばかりに、コンスタンツェは苦労を強いられてきた。息子には強力な後ろ楯を持つ妃を娶らせたい、と望むのは当然の親心だ。
その点クライネルト侯爵家は帝国有数の富豪であり、爵位も皇太子妃を出すのにふさわしい。ヴォルフラムが立太子したあかつきには、権力、経済力、双方から大きな支援をしてくれるだろう。
(……え?)
成長したヴォルフラムとレベッカが仲良く寄り添う様を想像すると、なぜかちくんと胸が痛んだ。困惑するガートルードに、ヴォルフラムは翡翠の双眸をひそめる。
「だからと言って、幼い少女に無理を強いていい理由にはなりません。……皇妃殿下も不快なお気持ちになられたと思います。申し訳ありません」
幼い少女に無理を強いた。それがガートルード自身にも当てはまるのだと、そのせいでヴォルフラムが強い罪悪感にさいなまれているのだと理解するのに、少し時間がかかってしまった。
「ふ、不快になど、なりませんでしたよ。むしろヴォルフラム殿下のお見事な対応に感心していました」
まさか『わたしは食っちゃ寝ライフを満喫中だから気にしないで!』とは言えずにごまかすと、ヴォルフラムは白い頬をかすかに染めた。
「……私を、ご覧くださっていたのですか?」
「はい。わたしよりも幼くていらっしゃるのに、営業マ……大人のようだな、と」
ふわりとターンしたガートルードの可憐さに、溜め息混じりのざわめきが漏れる。
「大人のよう、ですか」
「だって、殿下くらいのお歳の方があんなふうに対応なんて普通はできませんよ。……それに」
ふふっ、とガートルードは思い出し笑いをし、ヴォルフラムの頬をますます赤く染めさせた。
「『幼い少女』って、レベッカ嬢よりも殿下の方が年下でいらっしゃるのに」
「あ……」
「ふふ、……ふふふっ」
無自覚の発言だったのだろう。ぼうぜんとするヴォルフラムがおかしくて、ガートルードはまた笑ってしまう。
「……皇妃殿下も、同じではありませんか」
「わたしも?」
「レベッカの体調不良にまっさきに気づかれ、助けるべく行動された。皇妃殿下くらいのお歳の方があんなふうに対応なんて、普通はできませんよ」
さっきの言葉をそのまま返され、ガートルードは黄金の散った碧眼を見開いた。そのまま見つめ合い、今度は同時に噴き出す。
「ふふふ、ふふっ」
「ははっ、……あははっ」
笑い合う皇妃と皇子に周囲は目を丸くしている。
どちらも今、帝国で最も耳目を集める高貴な人物でありながら、人前に出てくることはめったになかった二人だ。年齢相応の無邪気な笑顔など、拝んだことのある者は皆無だった。
皇后よりも高貴で神秘の力を持つ幼い皇妃と、『欠陥品』とさげすまれていた皇子。二人は周囲の反応など気にも留めぬまま踊り終え、向かい合ってあいさつを交わす。
「ありがとうございました、ヴォルフラム殿下。こうして踊ったのは初めてでしたが、殿下のおかげで楽しく踊れました」
「……お礼を申し上げるのは私の方です。皇妃殿下、もしよろしければ……」
ヴォルフラムがなにか言いかけた時、ガートルードの視界にふらふらとしゃがみこむレベッカが映り込んだ。ガートルードとヴォルフラムが踊る間も父侯爵にえんえんと叱責されていたが、限界を迎えてしまったようだ。
「レシェ、お願い!」
「かしこまりました」
説明するまでもなくガートルードの望みを読み取ったレシェフモートが、その規格外の魔力を振るったとたん、ガートルードとヴォルフラム、レベッカ以外の人間は消え去った。
いや、正確にはガートルードたちの方が消えたのだ。あの会場から、見渡す限り白く染まったレシェフモートの神域へ。
「レベッカ嬢!」
ガートルードが駆け寄ると、レベッカはびくんと小さな身体を震わせる。絶望にゆがんだ表情の理由はすぐに判明した。
豪奢なドレスの胸元からスカートにかけて大きなしみが広がり、すえた臭いを放っている。気持ち悪さに耐え兼ね、嘔吐してしまったのだ。
しゃがみこんだのは、少しでも隠そうとしてのことだったのだろう。こんな小さな子に無理をさせたクライネルト侯爵とコンスタンツェに、改めて怒りがこみ上げる。
「ち、近づかないで!」
レベッカはまなじりを吊り上げ、きっとガートルードを睨んだ。
無礼とも、もちろん怖いとも思わない。人前で嘔吐してしまうなんて、貴族令嬢でなくてもたまらない羞恥と屈辱に決まっているから。
「大丈夫よ、レベッカ嬢。安心して。ここにはわたしたち以外の人間はいないから」
「え、……あ?」
威嚇しまくる野良の仔猫をなだめる気持ちで話しかけると、レベッカはきょろきょろとあたりを見回した。ここが皇宮ではないと、やっと気づいたようだ。
「皇妃殿下のおっしゃる通りだ。私たちは神使のお力でここに招かれた。誰も貴方を責めたりしない」
歩み寄ってきたヴォルフラムは、レベッカを案じつつも視線を微妙にずらしている。なるべく恥ずかしい思いをさせまいとするその心配り、やはり三歳児ではない。
「ヴォルフラム殿下……神使様……」
知っている人の登場で少し安心したのか、レベッカはそろそろとレシェフモートに目をやり、ますます居たたまれなさそうに縮こまった。たぶんレシェフモートはガートルード以外の人間がどんな醜態をさらそうとなんの感情も抱かないが、並外れた美形の前では、レベッカの羞恥は増すばかりだろう。
「つらかったわね」
ガートルードはポケットに入れていたハンカチを取り出し、吐しゃ物で汚れたレベッカの口元を拭いてやった。ヴォルフラムが翡翠色の双眸を見開いたのにも気づかずに。
レシェフモートに頼めば、魔法ですぐにでも綺麗にしてくれるだろう。だがそれだけでは駄目な気がした。この、今にも消え入ってしまいたそうな少女には。
「きついコルセットを着けさせられて、あんな場所に連れ出されれば、誰だって気持ち悪くなるわ」
ぽん、ぽん。
震える小さな背中を優しく叩く。前世、弟妹たちにもしてやったように。
「皇妃、殿下」
「貴方は悪くない。なにも悪くないわ」
潤む茶色の瞳が助けを求めているようで、ガートルードはそっと小さな身体を抱き締めた。レベッカのドレスに染みた吐しゃ物も、すえた臭いも気にならなかった。
「皇妃殿下……、わ、わた、わたくし……」
「貴方はいい子よ。とても頑張ったわ。でももう、頑張らなくていいの」
「う、……う、……ふえぇ……っ……」
ぽんぽん、ぽんぽん。
レベッカの嗚咽がおさまるまで、ガートルードはずっと細い背中を叩いていた。




