65・転生ものぐさ皇妃と皇帝一家
(な、なんでみんなこんなに熱狂してるの……?)
必死に微笑みを保ちながら、ガートルードはたじろいだ。
帝国に輿入れした時も大歓迎を受けたが、今日は温度というか、熱狂の度合いが違う。
突き刺さる視線はこれでもレシェフモートのおかげでだいぶ和らいではいるのだろう。ガートルード一人なら何百人もの熱気を吸った空気に押し潰されていたかもしれない。今日の主役はガートルードではなく対魔騎士団と、主催者たる皇帝夫妻なのに。
『なにをおっしゃっているんですか? 皇后陛下があんな醜態をさらしたんですよ。今日の主役は皇妃殿下に決まっているじゃないですか!』
屋内の催し、しかも近衛騎士団が厳重な警備を布いているのもあり、宮殿で留守番となったエルマが居合わせたなら、そう力説しただろう。仲良く留守番中のロッテもうんうんと頷いたにちがいない。
大舞踏会に招待された貴族の多くは、昨日の閲兵式にも参加している。
すでに皇后コンスタンツェの失態は貴族社会に知れ渡り、ただでさえ低かった皇后に対する評価は最低まで落ち込んだ。自国の貴婦人の頂点に君臨する皇后がそんなざまでは自分たちまで低く見られてしまう、と嘆いた貴婦人は数知れず。男性貴族も『どうしてあんな女性を選んだのか』とコンスタンツェのみならず、アンドレアスにまで不満をつのらせた。
だからこそ幼き皇妃の配慮に満ちた気高いふるまいは、人々を熱狂させたのだ。
最悪の比較対象がある時、良き行いをした者に対する評価は通常よりさらに高まる。それが皇后と皇妃、なにかと比較される二人ならばなおさらのこと。
「大丈夫です、我が女神。私が付いております」
微笑んだ次の瞬間、レシェフモートが『散れ』と言わんばかりの冷ややかな眼差しを貴族たちに向ける。
とたんに貴族たちは水を打ったように静まり、ガートルードは息を吸うことができた。感謝をこめ、レシェフモートの手をきゅっと握る。
「ありがとう、レシェ」
「我が喜びにございます」
微笑み合う二人に、皇妃殿下さえ今少し年長ならば……いえ、今のお歳でもこれはこれで……と貴婦人たちはささやきを交わすのだが、レシェフモートは彼女たちを止めたりはしなかった。ガートルードの手を引き、うやうやしく皇族専用の高座へ案内する。
そこにはアンドレアスの座る特別製の玉座を中心に、飾り立てられた四脚の椅子が置かれていた。コンスタンツェとヴォルフラム、ガートルード、レシェフモート用の席だろう。
ガートルードは自分のための席には座らず、その前に立った。会場には身分の低い者から入場する。皇妃たるガートルードの後に入ってくるのは皇帝夫妻と、その一粒種たるヴォルフラム皇子だけだ。
ふと貴族たちとは違う視線を感じて振り向けば、向かって右側の高座の手前に貴賓席がしつらえられ、モルガンがたたずんでいた。今日も黒絹の礼装だ。
目礼するモルガンに頷きを返しながら、ガートルードはふと思う。モルガンがいつも黒をまとっているのは、早くに亡くなった父親を悼んでのことではないかと。
反対側にはブライトクロイツ公爵の姿もあった。ジークフリートの姿がないのは、今日は公爵子息ではなく対魔騎士団団長として参加するからだろう。騎士団は皇帝一家が揃った後、入場する予定である。
ガートルードに気づいたブライトクロイツ公爵が、息子と同じオパールの双眸を細め、意味深長な笑みを投げかけてきた。
「っ……」
「我が女神?」
「な、……なんでもないわ。ちょっと、熱気に当てられてしまったのかも」
ガートルードは首を振ったが、レシェフモートは騙されてくれなかった。片腕でガートルードを縦向きに抱き上げ、頬を擦り寄せてくる。
「ブライトクロイツ公爵……あの身の程知らずに、貴方が心乱される必要はございません。なんならすぐにでも憂いを絶ってしまいましょう?」
「うん、……いやいやいや、駄目、駄目だから」
蠱惑的な誘惑に乗ってしまいそうになり、ガートルードは慌てて突っ込んだ。憂いを絶つ、とはブライトクロイツ公爵を物理的にどうにかすることだろうが、もしかしたら皇宮ごと潰すつもりかもしれない。
「ですが我が女神は、あの身の程知らずが目障りでいらっしゃるのでしょう? 私は貴方の目を汚すすべてのものが許せない」
「目障りとかじゃなくて、その……なんだかすごく嫌な感じがしただけよ」
ブライトクロイツ公爵がなにかしてきたわけではない。ガートルードがそう感じただけでレシェフモートに粛清されてしまうのは、いくらなんでも可哀想すぎる。
「皇帝陛下、皇后陛下、ヴォルフラム皇子殿下、ご入来!」
重ねてなにもしないよう注意しかけた時、高らかな声と共に楽隊が威風堂々たる音楽を奏でた。侍従によって開かれた扉から、この国で最も尊い一家が入ってくる。
「皇帝陛下、皇后陛下、皇子殿下、万歳!」
貴族の一人が声を上げ、ガートルードとレシェフモート以外の全員が唱和する。
(うわあ……なんかすごい……)
アンドレアスは皇帝の正装で威儀を正していたが、その横に並ぶコンスタンツェは皇帝以上に目立ちまくっていた。……悪い意味で。
淡い金髪は複雑な形に結い上げられ、大量のルビーやダイヤモンドの宝石ピンがちりばめられ、さらに孔雀の尾羽のような鳥の羽根が何本も挿されている。そこへ皇后の豪奢なティアラが加わり、よく言えば豪華絢爛、悪く言えばごてごてしてどぎつい仕上がりになってしまっている。
胸の谷間がくっきり見えるほど大きく開いたデコルテを飾るのは、代々の皇后に受け継がれてきたルビーとダイヤモンドのチョーカー。大粒のルビーとダイヤモンドが葡萄の房のごとく連なるデザインの耳飾りは最近の流行だから、この日のために誂えたのだろう。
まとうのはもちろん帝国の貴色たる紅色のドレス。きゅっと異様なまでに引き締まった細いウエストは、侍女が数人がかりで締め上げたコルセットの賜物だろう。
ドレス本体には緻密に編まれたレースや刺繍、無数の宝石があしらわれ、一つ一つは見事なものだ。しかしすべてが合わされば、洗練とはかけ離れた野暮の極みに転落する。良いものを可能な限りたくさん合わせれば最高のものができあがるわけではない、という悪い見本である。
もっとどうにかならなかったのか、と思ったのはガートルードだけではないだろう。ほとんどの貴婦人は……男性まで、尊い一家に拍手を送りつつも、白けた顔を隠せずにいる。
だがコンスタンツェ本人はいたく本日のコーディネートがお気に召したようで、いつにも増して誇らしげに顔を輝かせ、豊満な胸を見せつけるように張っていた。彼女の息子である小さな皇子は、その陰にすっかり隠されてしまっている。
(ヴォルフラム皇子……)
ヴォルフラムはアンドレアスのそれを簡略化した正装に身を包み、異様な熱気を気にするでもなく両親の後ろを進む。
おとぎ話の王子様然とした姿は愛らしく、コンスタンツェの趣味に付き合わされずに済んだようで、ガートルードもほっとする。母親の姿からさりげなく視線を逸らしているようなのは、少し気になったけれど。
ガートルードに気づいたのか、ヴォルフラムが微笑みかけてくれる。ブライトクロイツ公爵の時とは違い、ガートルードの心はほんのり温かくなる。
微笑み返すと、なぜかコンスタンツェのまなじりがつり上がって、ガートルードはぎょっとする。
(あの髪型、前世の舟盛りみたいって思ったの、バレたんじゃないわよね……?)
余裕の笑みを投げかけられたのだと勘違いしたコンスタンツェが対抗心を燃え上がらせたのだとは、まるで察することができないガートルードだった。




