59・転生ものぐさ皇妃と女系の侯爵家
「……殿下は、我がブラックモア侯爵家についてどの程度ご存知でしょうか」
唐突な質問に首を傾げつつも、ガートルードは答える。
「建国以来の名門で、女性の生まれる確率がとても高く、代々令嬢が婿を取って家を継いでいる、と……」
転生してから食っちゃ寝ライフを満喫していたガートルードすら知っているほど、有名な話だ。
モルガンは頷いた。
「仰せの通りです。三姉妹の長女であった我が母は父を婿養子に迎え、姉四人と私を産みました」
母の母、つまりモルガンの祖母は六姉妹、曾祖母は五姉妹、さらにその前も姉妹ばかり続いていたそうだから、筋金入りの女系である。
直系王女が代々女王に立ち、国の要として崇められてきたシルヴァーナ王国では、女性の地位は他国に比べれば高い。だが王家以外の貴族家において、女性が当主に立つことは認められておらず、だからこそモルガンの母も祖母も曾祖母もその前も婿養子を取り、その者を当主として侯爵家をつないできた。
娘しか生まれなかった家が婿養子を迎えること自体はままあるが、これほど続いてきたのはブラックモア侯爵家くらいだろう。
ならば十数代ぶりの男子だったというモルガンの誕生は、さぞ喜ばれたのだろうとガートルードは思ったが。
「私の誕生を喜んでくれたのは父だけでした。母は生まれたのが男だと知るとすぐ離れに連れて行かせ、乳をやることもしなかったそうです」
「え……」
どうしてそんな。
前世、また面倒を見る子が増えるのかと複雑な気持ちはあっても、新たな弟妹の誕生は素直に嬉しかった。自分が産んだ子、それも五人目にして初めての男の子なら、可愛くてたまらないはずではないのか。
驚くガートルードを、モルガンはまぶしそうに見つめた。
「表向き、侯爵家の当主は婿でしたが、侯爵家の血を受け継がない婿より家つき娘の方が立場はずっと強いのです。実質的な当主は妻で、娘たちはその絶対的味方。そんないびつな状態が長らく続くうちに、侯爵家は女性こそが支配者になってしまっていたのですよ」
「そんな……」
ひどい、と思うと同時に理解できてしまった。モルガンの母親が息子を拒んだわけを。
女性が陰の支配者として君臨してきたブラックモア侯爵家。他家から婿入りしてきた夫は、侯爵家の血を継ぐ妻に頭が上がらなかった。
だが『ブラックモア侯爵家の嫡男』が生まれれば、自分たちが君臨できる前提を失ってしまう。
嫡男はいずれ成長し、自分の意志で侯爵家を運営することになる。その時、彼が婿養子のように女たちの奴隷になってくれないのは明らかだ。むしろ口出ししてくる女たちを疎ましく思い、粗末に扱い……最悪、追い出されてしまうかもしれない。
モルガンの母、前侯爵夫人にとっては、息子が生まれた喜びよりも己の特権が奪われる危機感と憤りの方がはるかに大きかったのだ。同じ特権を享受できるはずだった姉たちにとっても。
だから遠ざけた。今のモルガンは健康で教養豊かな成人男性なので、侯爵子息として最低限の生活は与えられたのだろうが、子どもの健全な成長に必要なのは物質面だけではないと、ガートルードは知っている。
「家族の中で私を気にかけ、かばってくれるのは、父だけでした。その父も、表立って母や姉たちに逆らうことはできず……私が成人するだいぶ前に事故死してしまいましたが」
ざらついた声が孕む小さな棘は、ガートルードに嫌な予感を抱かせる。モルガンをかばっていた父親が事故死した。それは果たして、本当に『事故』だったのだろうか……。
「母や姉たちは、ことあるごとに私を屈服させようとしました。私を意のままに動く人形にするために」
「……」
「屈してしまえば楽だったのでしょう。ですが、どうしてもできなかったのは……」
「……誇りがあったから、ですね」
この男が姉たちにねじ伏せられ、屈服する姿なんて想像もできない。たとえ汚泥にまみれようと、毅然と顔を上げている。モルガンはきっとそういう男だ。
藍色の瞳が優しく細められた。
「私のような男さえそうだったのです。他人の都合や思惑で身の振り方をいいように定められる屈辱を、殿下が受け入れられるわけがない。貴方が感じていらっしゃるのは、正当な怒りですよ」
「……ブラックモア卿も、『他人』のお一人だと思いますけど?」
ガートルードをアンドレアスと離婚させ、食っちゃ寝ライフを取り上げようとしている男がなにを言うのか。
軽く睨んでやれば、モルガンはなぜか嬉しそうに微笑んだ。
「私は他人ではありません。殿下が故郷へお戻りになり、お心安らかに過ごされることを望む臣下にございます」
「わたしは帰るつもりはないと、何度も伝えましたよね?」
「殿下の仰せはしかと承っております。されど当事者より第三者の方が物事の是非を見通せることは、往々にしてございますゆえ、それを指摘するのもまた臣下の務めかと」
臣下とへりくだるくせに、ずけずけとものを言う。
それが決して不愉快ではないことが、ガートルードは不思議だった。モルガンの言葉に棘はあっても、嫌味はないせいだろうか。しかもその棘はガートルードを傷つけないと、信じられるせい?
(前世なら、弁護士とかになれば大成功しそう)
上等なスーツをまとい、襟元に金の弁護士バッジをつけたモルガン。嵌まりすぎの姿に内心唸っていると、きゅ、とレシェフモートが抱き締める腕に力をこめてきた。
「レシェ?」
「……」
「どうしたの、レシェ?」
レシェフモートは答えない。黙って高い鼻先をガートルードの首筋に埋めるだけだ。
長い銀髪がさらさらと流れ、檻のようにガートルードを覆う。その気になればすぐにでもここからさらい、自分だけの神域に閉じ込められる異形だ。それをせず、ただ子どもみたいにガートルードを抱き締めるのは。
「……さみしいの?」
「さみ、……しい?」
おうむ返しにする声はたどたどしかった。今まで口にしたことも、聞いたことすらない言葉なのかもしれない。
「……私はただ、我が女神が私以外の者にばかり慈悲をかけられると、私が私でいられなくなるような心地に陥るのです」
狼蜘蛛の本性に戻り、ガートルード以外のすべてを踏み潰してやりたくなる……のとは違うらしい。
ひそかに安堵しつつ、ガートルードは首筋に埋められたままの頭を撫でてやる。なんだか拗ねた弟妹たちを慰めてやった時を思い出す。
「それが、『さみしい』って言うのよ」
今日はふだんの引きこもりぶりとは比べ物にならないほど、たくさんの人々と出会い、言葉も交わした。ジークフリートには対魔騎士団の貴婦人にまで祭り上げられてしまった。
そんなガートルードを、レシェフモートはずっとそばで見ていた。出会ったばかりのころなら迷わずここから連れ去っただろうに。
「わたしのために我慢してくれたのね。……いい子ね、レシェ」
「我が女神……」
もっと、とせがむように頬を擦り寄せられる。
望みのまま撫でてやっていると、反対側から強い視線を感じた。モルガンがとまどいに藍色の瞳を揺らしている。
「ブラックモア卿? ……ブラックモア卿?」
何度か呼びかけ、モルガンははっとしたように首を振った。
「申し訳ありません。その、……殿下は幼くていらっしゃるのに、母のごとき慈愛に満ちておいでだと思ってしまいまして……」
「……」
この男、やっぱり鋭い。
しかしなぜ、レシェフモートとガートルードの足元を何度もちらちらと羨ましそうに窺っているのかがわからない。
ガートルードが首を傾げた時だった。
練兵場に二人の騎士が姿を現したのは。




