58・転生ものぐさ皇妃と帝国最高の男
帝国最高の男と、その正当なる伴侶の地位。
ブライトクロイツ公爵の発言は非常に意味深長なものであり、だからこそ大きな混乱をもたらした。
なぜなら公爵は『帝国最高の男』とは言ったが、それが皇帝……アンドレアスを指すとは限らない。『最高』をどう解釈するかによる。
最高権力者、と解するならもちろんアンドレアスだ。皇帝をしのぐ地位は存在しないのだから。
だが最高の武力を持つ男、と解するなら、候補は一気に増える。
たとえば近衛騎士団長であり、皇帝の従弟でもあるリュディガー・フォルトナー。帝国人としてはめずらしく複数属性の上級魔法まで使いこなし、武芸の腕でも帝国五本の指に入ると噂される彼は、最有力候補であろう。
さらに有力なのはジークフリートだ。
リュディガーと同じく皇帝の従兄。しかも父のブライトクロイツ公爵は先帝ルドルフの兄、本来なら皇帝になるべき男だった。
リュディガーほど華々しい武勲はないが、長きにわたり対魔騎士団長として魔獣の脅威から帝国を守った功績はリュディガーに勝るとも劣らない。
リュディガーはブライトクロイツ公爵にとって末弟の息子、すなわち甥に当たるが、両者の間に親族らしい交流はほとんどない。公爵がどちらを『帝国最高の男』と評したのかは、考えるまでもないだろう。
容姿、武力、知性、人格はアンドレアスに劣らない。血筋はむしろアンドレアスに勝るかもしれない。
コンスタンツェを廃后したくないあまり、他国の幼い王女を無理やり側室にしたアンドレアスと、長年帝国を守り続けてきたジークフリート。
どちらが人心を得られるだろうか。どちらが……女神のごとき皇妃にふさわしいだろうか。
ガートルードがアンドレアスの側室にされたのは、ヴォルフラムを瘴気から守り、生かすためだ。
つまり帝国に縛りつけられるのならば、別にアンドレアスの側室……コンスタンツェに次ぐ地位に甘んじさせなくても良いのである。
『最高の男』であるジークフリートの『正当なる伴侶の地位』。それこそがガートルードに与えられるべき栄誉ある地位だと、ブライトクロイツ公爵は主張している。
シルヴァーナ王国からの使者がガートルードを連れ戻そうとしている今、より魅力的な男と添わせ、ガートルードがその男を心から愛せば、ガートルード自身の望みということで、アンドレアスと離婚してもシルヴァーナには帰らず帝国に留まってくれるかもしれない。
そう、期待する者は少なくないだろう。
(……どうしてそんなことをするのよ、公爵は!?)
自分の席に戻ってすぐ、モルガンからブライトクロイツ公爵の意図を教えられ、ガートルードは公爵に頭から水をかけてやりたくなった。
『皇妃は我が妃としてシルヴァーナより輿入れを乞うた身。余以外の男に渡すわけにはいかぬ』
アンドレアスがそう宣言したことで、場に満ち始めていた熱は鎮まった。少なくとも表面上は。
しかし皇后コンスタンツェが体調を心配したアンドレアスにより途中退場させられると、熱は再び静かに広がり始める。
なぜならこれから行われるのは、近衛騎士団長リュディガーと対魔騎士団長ジークフリートの模擬試合だからだ。当初の予定では近衛と対魔、双方から有力な騎士が数人選出され、試合が組まれるはずだったが、コンスタンツェの退場により今日の式典を大幅に短縮せざるを得なくなり、急きょ団長同士がぶつかることになったのである。
二人の共通点は皇帝の従兄弟であることと、騎士団長であること、趣は違えどどちらも貴婦人をうっとりさせる若い美男子であること……だけではない。
リュディガーはガートルードをシルヴァーナ王国まで迎えにおもむいた際、個人的に剣を捧げている。
ジークフリートもまたガートルードに忠誠を誓い、騎士団の貴婦人と仰いだ。
どちらがガートルードに勝利を捧げるのか。
観客の興味と期待は高まる一方だ。皇帝の御前での試合だというのに、最も注目を集めるのはアンドレアスでもリュディガーでもジークフリートでもなく、ガートルードである。
「うっとうしい羽虫など、焼き払ってしまいましょう? ……我が女神」
背後から回されたレシェフモートの手がガートルードの長い銀髪を掬い取り、愛おしそうに口づける。
自分の席に戻ってから、ガートルードはレシェフモートの膝に座っているのだ。今にも異形の本性に戻り、練兵場……いや、皇宮ごと蹂躙しかねない男の怒りを鎮めるために。
おかげでガートルードはますます注目を浴びてしまうのだが、レシェフモートを暴走させるよりはずっといい。
(一番いいのはさっさと引き上げてしまうことなんだけど……)
コンスタンツェに続きガートルードまでいなくなってしまったら、模擬試合は成り立たなくなってしまう。
レシェフモートはそれでもまるで構わないのだろうが、これ以上帝国が混乱するのはガートルードの望むところではない。ガートルードとしては一連の祝賀式典が成功してくれることを心から祈っている。
だって帝国が安定してくれていてこその食っちゃ寝ライフなのだ。
ロッテが教えてくれた情報からかんがみるに、きっとブライトクロイツ公爵はガートルードとジークフリートを結ばせ、女神の愛し子と神使の威光でもってかつて手に入らなかった栄光を――皇帝の地位を、息子に与えたいのだろう。果たして息子がそれを望んでいるかどうかまでは、まだわからないけれど。
(冗談じゃないわ)
皆、ガートルードがまだ六歳の幼女ということを忘れてはいまいか。
ガートルードにしてみればアンドレアスでもジークフリートでも変わりはないし、どちらも好きでも嫌いでもない。好悪を抱くほど二人を知らない。
ならばどちらでも同じだろうと、ブライトクロイツ公爵や彼に賛同する者たちは考えるのかもしれない、けれど。
(……わたし、どうしてこんなに怒っているのかしら)
ガートルードが一番に望むのは食っちゃ寝ライフだ。それを叶えてくれる相手なら誰でも同じ。アンドレアスでもジークフリートでも。ブライトクロイツ公爵に憤る必要なんてない。もし万が一公爵の野望が叶ってしまったら、アンドレアスの代わりにジークフリートを夫にすればいい。
どうせ、形ばかりの妻なのだから。
なのになぜ、この胸はざわめくのだろう?
「……誇り、ですね」
左の席から声が聞こえてきた。ガートルードが吸い寄せられるようにそちらを向けば、モルガンはガートルードの足元から顔へ視線を上げる。
(今また、わたしの足を見ていたような……)
「己の意志を無視して他人の身勝手な欲望や理屈ばかり押しつけられ、それがさも『貴方のためだ』などと言われれば憤るのは当然です。ガートルード殿下は誇りを持つ人間なのですから」
「ブラックモア卿……」
いつになく真摯な表情に、なぜ足ばかり見るのかしら、という疑問は溶けていった。
モルガンの言葉にあまり耳を傾けてはいけない、ということはわかっている。彼は祖国の貴族であり、姉の新たな王配候補でもあるが、ガートルードをシルヴァーナ王国へ連れ戻そうとしている人物なのだ。この模擬試合が行われる理由の一つは、モルガンに帝国軍の威容を見せつけ、威嚇するためでもある。
けれど今のモルガンの言葉には、聞き入らずにはいられない響きがあった。
それは、たぶん。
「……貴方にも、あったのですね? 己の意志を無視され、他人の身勝手な欲望や理屈を押しつけられたことが」
ガートルードの問いかけに、モルガンは藍色の双眸をゆっくりとまたたかせた。




