52・転生ものぐさ皇妃と騎士団の貴婦人
「皇后陛下の侍女があのような無礼なことを申したのは、私がいたからです。皇妃殿下と神使様だけならば、なにもできず引き下がったでしょうに」
ロッテは細い肩を震わせた。確かにこの宮殿に住まうのがガートルード本人とレシェフモートだけなら、皇后の侍女は近づこうとすらしなかっただろう。
ロッテという人間の、そしておそらく格下だと思える窓口がいたから、あんな伝言ができたのだ。皇后の侍女ともなれば、かなり高位の貴族令嬢だろうから。
「私のせいで、皇妃殿下におつらい思いを……」
叶うなら消え入ってしまいたい、とばかりのロッテに、ガートルードはやっと悟る。
(ああ、そうか。ロッテは皇后陛下でも侍女でもなく、『自分のせいで他人を苦しめてしまったこと』に怒って……ううん、自己嫌悪しているんだわ)
それはガートルードにも覚えのある感情だった。十二人もの弟妹たちを育てた前世、毎日誰かがなにかしらやらかしては、やらかした相手に謝り続け、お前の育て方が悪いせいだと罵倒され続けた。
そんなのわたしのせいじゃない、わたしが産んだわけじゃない、と反発していたのは最初だけで、一番下の妹が幼稚園に上がるころには、弟妹たちの不始末はすべて自分のせいだと思い込んでいた。
今になってみれば、反論できないくらい疲れはてていたのだろう。怒ること、立ち向かうことには、体力と気力が必要だから。
ロッテにも、あったのだろうか。
本当は悪くないのに、自分のせいで他人を苦しめてしまったと思い込み、自分自身を追い詰めていたことが。心に刻み込まれ、ふとした弾みで激しい痛みを訴えるくらいに。
「それは違うわ、ロッテ」
ガートルードはまっすぐにロッテを見つめた。
「確かに、皇后陛下の侍女は貴方だからあんな伝言を託したのかもしれない。でも伝言するよう命じたのは皇后陛下で、それでいいと受け入れたのはわたしよ。貴方はなにも悪くないわ」
「で、ですが……」
「本当にどうしても紅色が着たかったら、そうしているわ。わたしには聖ブリュンヒルデ勲章があるんだから。そうしなかったのは、紅色なんてどうでもよかったからよ」
うっかり本音をぺろりと出してしまったら、ロッテが目を見開いている。皇妃のくせに紅色がどうでもいいなんて、問題発言だっただろうか。でも本音なんだから仕方ない。
「……どうでも、よかったから……」
つぶやくロッテの前で、ガートルードはくるんと回ってみせる。腰のリボンとレースを重ねたスカートがふんわりと紋白蝶の羽のように舞う。
「ね? 可愛いでしょう? わたしは紅色より、だんぜんこっちの方が好きよ」
「我が女神……」
レシェフモートが金色の双眸を感動に潤ませ、エルマもこくこくと頷く。ガートルードが白を好むのは、弟妹たちの育児に忙殺されていた前世では汚れの目立つ色、特に白は絶対に着られなかった反動なのだが。
「……はい。とてもよく、お似合いです」
ロッテは吹っ切れたように微笑んだ。そんな笑いかたをすると薄幸度が下がり、明るくふんわりとした雰囲気に包まれる。
「それにしても、どうして皇后陛下はここまでして皇妃殿下に紅色を着せたくなかったのでしょう。前日の晩に伝えてくるなんて、皇妃殿下には神使様がいらっしゃるからいいですが、普通なら代わりのドレスが用意できず、式典にも参加できなくなると思うんですけど……」
たった一人の同僚をにこにこと嬉しそうに眺めていたエルマが、首を傾げる。
それはガートルードも不思議に思っていたことだった。コンスタンツェはガートルードが輿入れするまでも、紅色をまとい、皇后としての務めを果たしていたのである。今さらガートルードが紅色をまとうのを阻止しなくても、式典で最も注目を集めるのはコンスタンツェだと思うのだが。
「……対魔騎士団の貴婦人のせい、かもしれませんね」
思案顔のロッテによれば、各騎士団には騎士たちが忠誠を捧げる『騎士団の貴婦人』が存在する。基本的には各騎士団の主人の妻だ。弱き者を助け貴婦人に礼を尽くす騎士たちの、理想を体現すべき女性である。
たとえばかのアッヘンヴァル侯爵も自前の騎士団を抱えているが、騎士団の主人はアッヘンヴァル侯爵であり、騎士団の貴婦人はその妻アーデルハイトである。ティアナも離婚しなければ、いずれ騎士団の貴婦人と呼ばれただろう。
これが皇帝を主人とする騎士団、近衛騎士団などになると、騎士団の貴婦人は皇后ということになる。
その決まりに従えば、今回帰還した対魔騎士団の貴婦人も皇后コンスタンツェだ。しかし彼らを率いる騎士団長ジークフリートは皇帝の従兄でありながら病死した元婚約者エリーゼの実兄、という非常に複雑な関係である。ジークフリートの父、ブライトクロイツ公爵は皇帝アンドレアスの伯父に当たるが、アンドレアスにもコンスタンツェにも敵意を隠さないという。
エリーゼをとても可愛がっていたというジークフリートも、当然、皇帝夫妻に良い感情を抱いてはいないだろう。辺境でほとんど使い捨て同様の扱いを受けていた対魔騎士団はなおのこと、皇帝夫妻に対する嫌悪をあらわにする。
そんなジークフリートと彼の配下たちを、騎士団の貴婦人としても迎えなければならないのだ。貴色であり屋外でも目立つ紅色を自分だけがまとい、少しでも箔付けをしたいのだろう……と、できる秘書、もとい侍女のロッテは分析する。
「なるほど……たしかフォルトナー卿も超、……皇帝陛下の従弟なのよね」
「はい。ブライトクロイツ公爵は先帝の兄君で三兄弟のご長男、先帝ルドルフ陛下が次男、フォルトナー卿のお父君フォルトナー公爵が三男であられました」
ルドルフが次男でありながら皇帝に指名された経緯やアンドレアスとエリーゼとの婚約の事情など、もろもろをざっと聞かされ、ガートルードは前世で観た人間関係ドロドロのドラマを思い出してしまった。
あれはドラマだったから『うわぁ』と思いつつも楽しめたが、自分が当事者側になると、とてもそうはいかない。ジークフリートから見れば、ガートルードだって皇帝側の人間だ。
(ジークフリートがタワシをコロッケにするようなタイプだったらどうしよう……この世界にタワシはないかもしれないけど……)
「そういう事情があるなら、皇后陛下がなんとかして皇妃殿下よりも目立とうとなさるのも無理はないかもしれませんね……納得はできないですけど」
むう、とエルマがうなり、ロッテが頷く。レシェフモートも美貌をゆがませていた。わからないのはガートルードだ。
「わたしなんてオマケみたいなものなんだから、目立ちようがないと思うんだ、……けど……」
だんだん声が小さくなっていったのは、三人が揃って信じられないと言わんばかりの顔をしたからだ。
レシェフモートまでそんな顔をしたことには驚いた。エルマとロッテという人間が身近に増えたことで、人間らしさを学んでいるのだろうか。
「我が女神……」
レシェフモートが長い銀髪をふわりと舞わせながらひざまずき、ガートルードの手を取った。揺れる炎を宿す金の瞳がもどかしげにガートルードを見上げる。
「貴方こそ地上に舞い降りた女神。この世のすべての称賛は貴方に降り注ぐ。いかなる身分や宝石で飾り立てようと、貴方を前にすれば路傍の石も同然の存在に成り下がるでしょう。皇后はそれを恐れているのです」
「皇后陛下が、……わたしを?」
ありえない、と思った。ひたすら食っちゃ寝しているだけのガートルードと違い、コンスタンツェは皇后としての責務を日々果たしている。なにより世継ぎヴォルフラムの生母だ。
そんな彼女よりガートルードの方が目立つなんて。
(ありえない……、わよね?)
同意を求め護衛騎士と侍女を振り返ったが、揃って首を振られてしまった。




