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48・皇后の悪夢(第三者視点)

「申し訳ありませんでした、ヴォルフラム様。まさか姉があのような無礼をするとは思わず……」



 ニーナが肩を落として去っていくと、ヨナタンは面目なさそうに頭を下げた。



「いや……別に怒ってはいない」



 ニーナのような人間はめずらしくない。前世にも彼女のような女性はいた。前世の母だ。



 息子に完璧であることを求めるくせに、都合の悪い時は子どものくせに、子どもなんだからとヴォルフラムを責めた。子どもであるべきかどうかは常に母が決めていた。

 だからヴォルフラムは母の前でさえ子どもではいられなくなり、そもそも子どもとはどういう生き物なのかも忘れてしまった。



 もしかしたら。



『汚くなんかない……わけじゃないけど、誰のお腹の中にだって入ってるんだよ。栄養になってくれるのに、汚いなんて言ったらダメでしょ』

『入ったんだから出ることだってあるよ。理由なんて聞いても意味なくない?』



 そんなふうに言ってくれる人が幼いころからそばにいてくれたら……なにかが違ったのかもしれないけれど。



「本当に申し訳ありません。皇后陛下を心配するあまりとはいえ、ヴォルフラム様にあのような口をきくことなど許されるわけがないのに……」

「……ヨナタンは、私がおかしいとは思わないのか? 子どもらしくないと」



 ふと問うたヴォルフラムにヨナタンはきょとんとし、ふはっ、と笑った。



「今さらですよ、そんなの。大人だって色んな人がいるんだから、子どもだって色々でしょう。大人は子どもが成長してなるものなんですし」

「……そう、か」

「そうそう、そうですよ」



 重苦しかった心が少し軽くなる。ヴォルフラムみたいな『欠陥品』に付けられて苦労が多かっただろうに、ヨナタンはずっとこんなふうにヴォルフラムに寄り添ってくれた。

 前世なら陽キャと呼ばれ、クラスの中心になっていたタイプだろう。



「ニーナと長く話したのは初めてだと思うが、なんというか……ヨナタンとはあまり似ていないんだな」



 顔も性格も、と告げなくても伝わったのだろう。ヨナタンは苦笑する。



「ハーゲンベック家は武門の家柄ですから、女性も強くあれと育てられてきたんです。でも姉が生まれてしばらく経ったころから教育方針ががらりと変わってしまって」



 それまでは男女の隔てなく武道にまい進し、女性なら高位貴族令嬢の護衛騎士に任命されることを目指すものだった。コンスタンツェがそうだったように。適齢期になれば同じような家柄に輿入れしたり、婿を迎えたりするのだ。



 だがそうやって育てられたコンスタンツェが皇后になってしまった。



 ハーゲンベック伯爵家としては皇后を出したことを喜ぶより、驚愕と動揺の方が大きかった。そもそも皇室になどなんの縁もゆかりもなかった中級貴族が、いきなり皇后の実家になったのだ。



 皇后を出したかった高位の貴族家からは恨みを買い、コンスタンツェが仕えていたブライトクロイツ公爵家からは激しい嫌がらせを受け、泥棒猫の真似事をされてはたまらないからと、貴族令嬢の護衛依頼もなくなってしまった。

 それでも孤立しがちなコンスタンツェを支えなければならないのは、皇后の実家であることのメリットよりも、デメリットの方が大きい。



 二人目のコンスタンツェが出てはたまらないと、コンスタンツェの兄マルティンは娘のニーナにコンスタンツェとは正反対の教育を施した。武術などもってのほか、常に大人しく控えめであるよう、淑女教育を重点的に。



 一方で、次男で末っ子の自分はかなりのびのびと育てられたため、見た目も性格も似ていない姉弟になったのだろう……とヨナタンは評するが。



(あれは生育環境ではなく、生まれつきの性格のような……)



 他人に共感を強制するところは、ニーナとコンスタンツェはそっくりで、血のつながりを感じさせる。だからこそ相性も良いのだろう。



(性格と言えば、皇后の状況も……)



 きっかけとなったドレスや香水の事件は生きた人間の仕業だとしても、それ以降は自らの思い込みで自分を追い込んでいっているように思えてならない。



 疑心暗鬼を生ず、と前世では言った。エリーゼは自分を恨んでいるにちがいない、だから私を苦しめているにちがいない、とコンスタンツェは思い込み、その結果が悪夢という形で現れているのではないだろうか。



 推測が正しければ、もう心療内科の領域だ。循環器が専門だったヴォルフラムの手が及ばない領域である……などと考えてしまうあたりが、ニーナに非難されるところなのかもしれない。



「でも、姉も昔からあんな人だったわけじゃないんです。どうも恋人とうまくいっていないせいで、いらいらしているみたいで」



 はあ、とヨナタンがため息をついた。



「恋人? ニーナに恋人がいるのか。婚約者ではなく?」



 貴族令嬢は親が決めた相手と結婚するのが普通だ。婚約期間にその相手と交際することはあるが、前世のように自由な恋愛が許されることはない。



「姉には婚約者はいなかったんですよ。皇后陛下の一件で、父がやたらと慎重になってしまって」



 いわくつきの『ハーゲンベック伯爵令嬢』を娶ろうとする貴族家は、もともとそんなに多くはなかった。その少ない候補から娘をしっかり捕まえ監督してくれる相手をマルティンが吟味しているうちに、ニーナは恋人を見つけていたという。



「ではその相手というのは、皇宮に仕える者か?」

「はい、中の宮殿で働いている文官だそうです」



 皇帝のそば近くで働くことを許されたのだから、最低でも中級以上の貴族であり、人格的にも信頼のおける男なのだろう。伯爵令嬢の相手としては悪くない、いや、ニーナの年齢をかんがみれば良い相手だ。



「詳しくは聞いていないんですが、その相手とすれ違いが続いているみたいで、私にも風当たりが強いんです。ヴォルフラム様にあんな口を叩いたのも、そのせいじゃないかと。もちろん、だからと言って許される無礼ではありませんが」

「別に、気にしていない。むしろ母の息子としてすまなく思う」



 ニーナに婚約者がいないのも、教育方針が突然変わったのもコンスタンツェが原因だ。恋人とうまくいっていないのも、おそらくは。ろくに宿下がりも許されないのでは、デートもままならないだろうから。



「それこそ、ヴォルフラム様が責任を感じられることではありませんよ。どんな状況に置かれたとしても、結局は自分の行いは自分に返ってくるんですから」



 ヨナタンは肩をすくめた。





 奥の宮殿の、皇后の寝室で。



「わたくしは悪くない……、わたくしは悪くない……」



 皇后コンスタンツェは頭から布団をかぶり、がたがたと震えていた。



 ここしばらく毎夜さいなまれている悪夢。

 今日の夢では、エリーゼは最初、お気に入りのソファに座って刺繍をしていた。



 身体が弱い彼女の趣味は裁縫で、刺繍は玄人はだしの腕前だった。護衛騎士だったころのコンスタンツェはよくその背後からエリーゼを見守っていたものだ。時折、とりとめもないおしゃべりに付き合いながら。



『ねえ、コンスタンツェ』



 流行りの刺繍の図案、今朝公爵邸の庭園に咲いた薔薇の花の美しさ。

 金糸雀のような声でさえずっていたエリーゼの手が、ふと止まって。



『どうして、アンドレアス様を奪ったの?』



 ぐるん、とこちらを向いた。首だけが。胴体からねじ切れて。



『わたくし、あの方と結ばれることだけが支えだったのに』

『貴方は知っていたくせに』

『わたくしから、アンドレアス様を、奪ったわね』



 愛らしい笑みを浮かべた首がコンスタンツェをなじる間、首なしの胴体は宝石がちりばめられた裁縫箱から大きな裁ちばさみを取り出し、優雅に立ち上がる。



『死ねばいいのに』



 しゃき、しゃき、しゃき。

 首のさえずりに合わせ、胴体が裁ちばさみを動かす。



『死ねばいいのに』

『わたくしからアンドレアス様を奪おうとする裏切り者なんて、死んでしまえばいいのに』



 ゆっくりと近づいてくる胴体から、コンスタンツェは逃げられない。床から生えた無数の腕に脚を掴まれているせいで。



 そうして。

 大きく開かれた裁ちばさみは、コンスタンツェの喉に押し当てられて。



『違います、エリーゼ様!』



 叫んだ瞬間、場面は暗転し……コンスタンツェは馴染んだ寝台で汗だくになっていたのだ。


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― 新着の感想 ―
美智子上皇后様と同世代の婆さま。 クラスメイトに、週刊誌に皇太子妃候補筆頭と書かれた人がいたのですが 口癖は「玉の輿にはのったらだめ」でした。 「実家が大変になるから」 冠婚葬祭、その他イベントの度に…
過去は変えられないんだから、クヨクヨするのやめようって思えればこんなことにはなってないんだろうなぁ。性格も境遇もある意味めぐり合わせで、良いとか悪いとか決められるものでもないし、決めたところで何にもな…
自分がやらかした自覚があるからこそ、自分は悪くないって必死に言い訳するんですよねーw コンスタンツェはアンドレアスに求婚された時、皇后でなくガートルードと同じ皇妃になっておけば周囲の反発も少なかったの…
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