46・ヴォルフラム皇子と前世の残滓(第三者視点)
『薫、……薫……』
めき、めき。
なにかが殻を破ろうとうごめく中、懐かしい……だがまるで恋しくはなかった声が聞こえてくる。
『貴方はお兄ちゃんみたいにならないでね』
『学校のランクを落とした分、絶対に首位から転落しちゃ駄目よ』
『もう失敗は許されないんだからね。わかってる?』
右からは、弁護士だった前世の母。
『二人続けて失敗作なんてごめんだからな』
『お前だけは我が家の恥になってくれるなよ』
『俺の優秀な遺伝子を受け継がせてやったんだ。できないのはお前の努力が足りないだけだ』
左からは、医師だった前世の父。
どちらも自分は生まれながらに選ばれた優秀な人間で、『底辺の貧乏人』とは住む世界が違うと信じていた。そういう意味では似た者夫婦で、お似合いだったのだろう。
めき、めき、めき。
『私のキャリアを中断してまで産んであげたのよ。貴方だけはちゃんと恩返ししてちょうだい』
『俺の一族に、医者になれなかったやつはいない。お前の兄は失敗作だった』
めきめき、めき、めきっ。
『失敗しないで』
『失敗作になるな』
めき、めき……っ。
『完璧でなくちゃだめよ』
『完璧でなければ俺の息子と認めない』
『完璧』
『完璧』
『完璧完璧完璧完璧完璧完璧完璧完璧完璧完璧完璧』
……めきぃぃ……っ!
「……っ……」
骨に亀裂が入るような激痛で、ヴォルフラムは跳ね起きた。
寝室はまだ薄暗い。従者が起こしに来るまで、あと一時間はあるだろう。
「はあ、はあ、はあ……」
荒い呼吸を何度か繰り返すうちに、ゼヒュー、ゼヒュー、と混じっていた嫌な音は治まっていった。過呼吸は免れたようだ。
夜着の中に手を入れ、触診で骨や臓器の状態を確認していく。前世で医師として、数えきれないほど行ってきた記憶をたどりながら。
熟練した医師の手は様々な異常を発見できる。腫瘍や膿瘍、臓器の肥大、腸の動きなど、得られる情報は多岐にわたる。
(……腹部、甲状腺共に異常なし)
しっかり頸部にも触れ、次は胸部へ。大きな血管や心臓の拍動を確かめながら心尖……心臓の下方にある尖端部よりやや下を強めに押すと、硬い感触が押し返してきた。
腫瘍の感触ではない。骨とも違う。前世でも一度も触れたことのない感触は、まるで石のようだ。
およそ人体の中にあることが信じられない、無機質な感触。決して小さくはない。
初めてこの感触に気づいたのは、十四日ほど前……皇宮が地震で大騒ぎになった日の夜だった。感じたことのない異様な胸の圧迫感で目覚め、触れてみると、この感触を探り当てたのだ。
物心ついてからずっとこの身体を診てきたけれど、こんな感触には気づかなかった。
指に触れないほど小さかったものが一晩で急に大きくなったというのか。医学的には考えにくいが、魔力や魔法が存在するこの世界の医学が前世と逐一同じだという保証もない。
皇宮の図書館をしらみつぶしに探したものの、そもそも医学書と呼べる本がほとんどなくて絶望した。見つかった数少ない本も、前世なら医学生すら一笑に付すにちがいないほど稚拙なもの。
代わりに豊富だったのは、治癒魔法の書物だった。医薬品や医療機器なしでも魔力さえうまく操れれば、症状の原因や人体の仕組みなどわからずとも治せてしまうのだから、前世的な医学が発展しなかったのは無理もないかもしれない。
書物を読破していくうちになぜか治癒魔法が使えるようになってしまったが、どこの国も子どもが魔力を使うことには否定的で、魔法の習得は最低でも八歳以降が推奨されている。しばらくは黙っておいた方がいいだろう。
(皇后も、うるさそうだしな……)
女性特有の粘っこさや陰湿さとは無縁の、おおらかで寛容な皇后。相思相愛の夫を献身的に支え、病弱な息子を周囲の悪評にもめげずに守り慈しむ良妻賢母だと、今世の母コンスタンツェは己を評しているようだ。周囲にもそう思っている者は多い。
だが前世で何人もの患者と接してきたヴォルフラムから見れば、コンスタンツェほどどろどろした女性はいない。
彼女がおおらかで寛容でいられるのは、あくまで彼女が自分より下だと思える相手に対してのみだ。その証拠に皇后の取り巻きに侯爵家以上の夫人はほとんどいないし、同世代で義理の従姉妹にも当たるティアナともまるで親交はなかった。あれはティアナの性格が最悪だったのもあるだろうが。
出自も血統もなにもかも勝るガートルードを許容できたのは、息子のためだったのはもちろん、王女である彼女が自分より格下の皇妃に落とされることで劣等感が和らいだからだろう。一生子を産むことも許されない、というのも優越感をくすぐったにちがいない。
欠陥品となじられるヴォルフラムを見捨てないのだって、コンスタンツェはもう新たな子を望めない身体になってしまったがゆえだ。決して母の無償の愛情などではない。
なぜならコンスタンツェのアイデンティティーは『アンドレアスという最高の男に愛され、望まれる自分』だからだ。それを守るためならなんでもする。他国の王女の一生を踏みにじることだって、簡単に。
だからコンスタンツェはヴォルフラムがガートルードのおかげで健康を取り戻した時は狂喜したし、非難の的だった息子が想像以上に優秀だと判明すれば有頂天になった。さすがは自分とアンドレアスの血を継ぐ子だと。
ある意味、前世の母の同類だ。自分に絶対の自信がないから、周囲の評価でしか己をはかれない。
そんなコンスタンツェが、息子が三歳にして数ある魔法の中でもとりわけ難しいとされる治癒魔法を発動させたと知れば、喜びのあまりなにをしでかすかわからない。ただでさえ最近、様子がおかしいというのに。
皇帝夫妻とシルヴァーナの女王の使者との交渉で、なにかあったのだろうか。使者のモルガンとしては、これを期にガートルードをシルヴァーナへ連れ戻したいのだろうが……。
「……っ」
強烈な拒絶感がわき上がると同時に、心臓の下あたりを抉られるような痛みが走った。思わず胸を押さえ、ヴォルフラムははっとする。
(………拍動している?)
あの硬い感触から、かすかな脈動が伝わってくる。ヴォルフラムとは別個の存在だと知らしめるように、心臓のそれとはずれた脈動が。
(MRIかIVUS、OCT……いや、贅沢は言わないからせめてエコーかレントゲンでもあれば……)
前世の勤務先の病院で、当たり前のように使っていた検査機器がたまらなく恋しくなる。硬い感触の正体が判明したところで、生検もできないのでは意味がないかもしれないが。
(動脈瘤……いや、さすがに三歳では……そもそも触れた感触が違いすぎる……)
前世の知識と経験を総動員し、あらゆる可能性を検討するが、当てはまる症状はない。そもそもこれがこの世界特有の疾患であれば、ヴォルフラムには診断できないのである。
この身体は魔獣が発生させる瘴気を異様に取り込み、蓄積してしまうという特異な体質の主だ。
それと関係する症状なのか。だとすればやはり、この世界の医師の知見が欲しいところだが……。
「……ヴォルフラム様、お目覚めですか?」
八方塞がりの状態に悶々としていると、遠慮がちなノックと共に、扉の外から声をかけられた。もうそんな時間かと思ったが、室内はまだわずかに薄暗い。
「起きているが、何かあったのか?」
「実は、先ほど私の姉が参りまして……皇后陛下のことでお伝えしたいことがあると申しているのですが……」
「こう、……母上の?」
なぜこんな早朝に?
首を傾げつつも入室の許可を出せば、従者のヨナタンが若い侍女を連れて入ってきた。




