45・転生ものぐさ皇妃と『3A17』
(ど……、どうして、林檎のマークのアレがこんなところに……)
前世のガートルードの両親は新しもの好きだったので、使いもしないくせによく高価な買い物をしては放置し、がらくたの山を築いていた。その中でも特に高価だったからよく覚えている。
――異なる世界からやって来た職人。
それだけなら、ガートルードの前世と違う異世界の出身だという可能性もあると思っていた。
だがこれほど特徴のあるデザインが他の世界にも偶然存在したと考えるよりは、ガートルードと……櫻井佳那と同じ世界から迷い込んできたと考える方が自然だ。
職人というからには、ある程度歳を重ねた人だったのだろう。この機種は何度もモデルチェンジを重ねているが、このころんとしたフォルムはガートルードが幼稚園児か、せいぜい小学校に上がるくらいまでだったはず。
そのころ大人だった人がガートルードと同じ世界の、七百年前のアダマン王国に迷い込んだ?
(どういうことなの……?)
「我が女神……?」
「あ、……ああ、大丈夫よ、レシェ。……後で話すわ」
前世の絡む話を、アンドレアスの前でするわけにはいかない。聡い異形はガートルードの言いたいことをすぐに察し、頷いてくれた。
「起動せよ」
アンドレアスが呼びかけると、モニターがぱっと光を放ち、手前に長方形の板が浮かび上がった。
(板……っていうか、あれ、まるきりキーボードよね。やたらときらきらしてるけど)
カタ、カタ、カタ。
懐かしくすらあるキータッチ音を響かせる、金髪翡翠の瞳の皇帝。シュールな光景に見入っていると、アンドレアスが手招きをした。
『パスワードを設定してください』
促されるがまま覗き込んだモニターには覚えのあるデザインのウィンドウが浮かび、そうメッセージが表示されていた。……日本語で。
(あ、やっぱりそうだったんだわ)
かの職人がガートルードと同じ世界の、しかも同じ日本人だったらしいことまであっさりと証明されてしまった。ざわめく胸をなだめながら、ガートルードは首を傾げてみせる。
「これは、なんと書いてあるのですか?」
「かの職人が使っていた言葉で、暗号を打ち込め、という意味だそうだ」
たぶん『パスワード』だと通じないので、暗号としたのだろう。感心するふりでキーボードを眺める。テンキーまで揃った、懐かしい配列のキーボードだ。
ありがたいことに、この世界で使われている文字は前世のアルファベットとほとんど変わらない。アラビア数字が使われているのも同じだ。
なのに、敢えて文字表記を日本語にした理由。
それが異なる世界で命を終えなければならなかった者が刻んだアイデンティティーであり、いつか現れるかもしれない同胞へ向けたメッセージなのだとしたら。
自分は確かにここにいたのだと、伝えたかったのだとしたら。
(……確かに受け取りました。安らかにお眠りください)
ガートルードはそっと胸の前で両のてのひらを合わせる。前世、日本人なら当たり前だった礼と共に顔も知らない同胞の冥福を祈り、うつむけていた顔を上げた瞬間、モニターがちかちかと点滅した――ように見えた。
だがアンドレアスもレシェフモートもガートルードの行動をいぶかしみはしても、モニターにはまるで注意を払っていない。気のせいだったのだろうか。
「……失礼しました。この、キー……板みたいなものを、どうすればいいのかと思って」
慌ててごまかすと、ああ、とアンドレアスは頷き、キーを指先で押し込んでみせた。パスワード入力欄に『g』が表示される。
「このように押し込むと、そこに記されてある文字が現れる。間違った文字を出してしまった場合は、こちらを押せばいい」
アンドレアスの指がバックスペースキーを押し、『g』の文字は消えた。操作方法も前世と同じだ。
「なるほど、そうやって暗号を打ち込めばいいのですね。暗号はどんな文字でもいいのですか?」
「ああ、四文字以内ならなんでも。万が一に備え、人にあまり知られておらず、それでいて自分は絶対に忘れない文字の組み合わせがいいと伝わっているが」
(そこは前世と同じなのね……)
ガートルードが死ぬ直前はセキュリティが強化され、八文字以上で半角英数を組み合わせ……などと面倒くさい要求をされていたが、かの同胞の時代はそこまで厳しくなかったのだろう。
四文字以内で人に知られておらず、自分は絶対に忘れない組み合わせなら、うってつけのものがある。
「では、やってみますね」
前世ではブラインドタッチもできたが、わざと慣れないふりで、人差し指一本だけでキーを打ち込んでいく。
『3』『A』『1』『7』……『3A17』、三年A組17番。櫻井佳那の、中学校の出席番号だ。この世界で知る者はガートルードだけのはずだし、忘れることもないからパスワードには最適である。
「できました」
「うむ。……では、最後にそれを押せ」
パスワードからは目を逸らし、アンドレアスがエンターキーを指差した。頷いて押し込めば、入力欄が閉じ、『パスワードを設定しました。次回より封印解除にはこのパスワードが必須になりますのでご注意ください』と表示される。細やかさに日本を感じる。
アンドレアスが再び祭壇の翡翠に触れると、起動時とは逆の方向に光が走り、モニターが壁の中に引っ込んだ。
「これでこの『不朽の屍櫃』は、貴方でなければ開けられなくなった。……礼を言う」
アンドレアスは満足そうに言うが、彼もガートルードが設定したパスワードを知らないのだから、中に収めたものを自分で取り出すことはできなくなってしまったのである。
それでいいのだろうか。
「いいのだ。そのために、貴方に無理をお願いしたのだから」
「超、……陛下」
「貴方には最初から無理ばかり強いてしまい、申し訳なく思っている。だが、もう……貴方に頼むしか、ないのだ」
大帝国の皇帝で、相思相愛の妻がいて、愛する息子がいて、あまたの臣下にかしずかれている。
言わば生まれながらの勝ち組。前世のガートルードなら絶対に縁のなかったタイプ。恵まれない人々を高みから見下ろす存在。
なのに、なぜだろう――寂しげに微笑むこの人が、たった一人ぽつんと取り残され、途方にくれる子どものように見えるのは。
「今夜の超、……陛下は、なんだかいつもとは別人のようですね」
思わず指摘すると、アンドレアスは虚を突かれたように翡翠色の双眸をしばたたき、ふっといたずらっぽく笑った。
「そう言う貴方こそ、普段の皇妃とは別人のようだ。……先ほどから俺を呼ぶ前に『超』をつけるのはなぜだ?」
「うっ」
(き、気づかれてたー!)
慌てるガートルードにレシェフモートが視線で『消しますか?』と問いかけてくる。ガートルードはぶんぶんと首を振った。こんなことで皇帝が暗殺されてはたまらない。
「じ、実は……」
仕方なくガートルードは白状した。アンドレアスをこっそり超アンドレアスと呼ぶようになった経緯を。
怒られるか呆れられるかを覚悟していたのだが、意外にもアンドレアスは笑った。腹を抱え、おかしくてたまらないとばかりに。
「はっはっはっはっ! そうか、初代とまぎらわしいから超アンドレアスか!」
「……怒っていらっしゃらないのですか?」
「怒るものか。確かにまぎらわしいし、なにより俺が気に入った。公式の場以外でなら、超アンドレアスと呼ぶことを許そう」
(許された!)
まさかの本人公認超アンドレアスの誕生に、今度はガートルードが黄金の散った碧眼をぱちぱちとしばたたく。形ばかりの『妻』をまだ笑いの余韻の残る目で見下ろし、アンドレアスは告げる。
「覚えておいて欲しい。もしも……」
アンドレアスの願いは思いもよらないものだったが、真摯な表情に打たれ、ガートルードは受け入れた。
後にガートルードは何度も思い出す。
アンドレアスと余人を交えず話した、最初で最後のひとときを。




