41・隻眼の騎士は皇后を糾弾する(第三者視点)
「安全な場所から心をこめて祈れば、魔獣は消滅するのか?」
「え、あ」
「傷ついた兵士は治るのか? 傷口は浄化されるのか? 飢えは癒されるのか? 寒さに震えなくなるのか? 死んだ兵士は生き返るのか?」
矢継ぎ早に放たれる詰問には熱がなく、どこまでも冷ややかだ。だからこそぶつけられた者は逃げられない。
リュディガーは昔を思い出した。ジークフリートはなにがあっても決して苛立ったり、声を荒らげたりもしない。ただ冷静に落ち度や矛盾を突き、相手の逃げ場を奪ってゆく。
「わ、私は、ただ、皇后陛下が、対魔騎士団のためにどれだけお心を砕いていらしたか、お伝えしたかった、だけで」
「だから具体的にどんな効果があったのかを尋ねている。皇后陛下が心配なさればたちまち兵士たちの腹が膨れ、怪我が治り、魔獣は消えるのか?」
「ブライトクロイツ卿、どうかそれ以上は。ニーナの無礼は私がお詫びしますから」
泣きそうなニーナを見ていられなくなったのか、ようやくコンスタンツェが助け船を出した。
(だが、遅い)
リュディガーの直感は正しかった。とん、とジークフリートが長い指でテーブルを叩く。
「なぜ、皇后陛下が謝罪なさるのですか?」
「……使用人の不始末は主人の不始末でもあるからです」
「なるほど。ではそこの侍女ではなく陛下にお答え頂きたい。貴方が心を砕いたことで、我らになにか益がありましたか?」
オパールの左目からも質問からも、コンスタンツェは逃げられない。答えない限り、ジークフリートは謝罪を受け取らない――ニーナの無礼は許されないから。
「……私は、帝国のため命がけで戦う対魔騎士団の皆の無事を願っておりました」
答えにならない答えに、はあ、とジークフリートはため息を漏らした。
「皇后陛下。貴方は皇后になられるべきではありませんでした」
「っ……!」
コンスタンツェとニーナ、そしてリュディガーの息を呑む音が重なる。
今までもさんざんコンスタンツェに浴びせられてきた言葉だ。だが面と向かって、なんの嘲りも打算もなく告げたのは、ジークフリートくらいだろう。
「皇后とは皇帝を支えるのみならず、帝国に益をもたらす存在でなければならない。ですが陛下、貴方は益をもたらすどころか無用の混乱を招いている」
「ブライトクロイツ卿、不敬ですよ」
ニーナとジークフリートではジークフリートの方が圧倒的強者だが、コンスタンツェは曲がりなりにも皇后だ。公爵子息では分が悪い。これ以上はジークフリートのためにならない。
コンスタンツェよりも、ジークフリートを慮った警告だったのだが。
「お前はなにも疑問に思わなかったのか?」
ジークフリートは透徹したオパールの左目でリュディガーを射貫いた。
「アンドレアスは、国母にふさわしくない者を皇后に立てるような……理性より感情を優先するような男だったか?」
「……それは」
言われて思い出す。アンドレアスの父、先帝ルドルフは優秀な兄から凡庸な自分が玉座を奪ってしまったと、強い罪悪感を抱いていたことを。そのせいでアンドレアスには、兄の娘を娶るにふさわしい男に育て上げるべく、必要以上に厳しく当たっていたことも。
それでもアンドレアスの生母、先代皇后が生きていたころはまだ良かった。夫をなだめ、いきすぎた帝王教育からアンドレアスを守っていたからだ。おかげでアンドレアスは短い間ながら、少年らしい日々を過ごせた。
だが先代皇后が亡くなると、歯止めを失ったルドルフの『指導』は過酷を極めた。時にはアンドレアスを閉じ込め、寝ずの勉強を強いることすらあり、ふだんはことなかれ主義を貫くリュディガーの父フォルトナー公爵がさすがに見かね、進言してようやく解放されたのだ。
『仕方ない。俺は皇帝になるんだからな』
衰弱しきったアンドレアスの姿にリュディガーは泣いたが、アンドレアスは平然としていた。なにもかも諦めた目だった。
この人を支えたいと思った。だからなにがあってもそばにいた。
けれど、アンドレアスは。
『たす』『けて』
アンドレアスは……。
「……私が皇后にふさわしくないことは、私自身が一番よくわかっていた」
コンスタンツェがぎっとジークフリートを睨み付ける。
血走った目の奥には不穏な光が揺らぎ、リュディガーは悟る。彼女が理性を手放しかけていることを。
「私には無理だって、何度も断ろうとした! でも陛下が! アンドレアス様が、私でなければ駄目だって……俺の皇后になれるのはお前だけだとおっしゃった!」
コンスタンツェが大きくかぶりを振った弾みで宝玉の櫛が外れ、淡い金髪が宙に舞う。ジークフリートと同じ黒髪だったエリーゼとは対照的な、光にきらめく髪。
「私は愛されていた! 今も愛されている! だからアンドレアス様の一番の存在に、皇后になったのよ! 誰にも、文句は……」
「皇后陛下!」
ぐらりとよろめいたコンスタンツェを、ニーナが慌てて支える。
「もう帰りましょう、陛下。あんなことがあって、ただでさえお疲れなのに、無礼な方々に付き合う必要はありません」
「あんなこと?」
「っ……、貴方には関係ないことです」
淡々と問うジークフリートに怒鳴りかけ、どうにかこらえたのは、最後の理性が働いたからか。それにしても公爵子息に対する態度ではないが。
「『あんなこと』か。よほどのことが起きたようだな。妙に化粧が濃かったのも、簡単に余裕を失ったのもそのせいか」
ニーナたちに支えられたコンスタンツェが出て行ってしまうと、ジークフリートはつぶやいた。
「……もしや、それを確かめるためにわざとあんな真似を?」
リュディガーの問いにジークフリートはオパールの左目をわずかに細めただけだったが、絶対にそうだとリュディガーは確信した。
(この人はそういう人だった)
対魔騎士団団長として突然辺境へ行ってしまい、変わってしまったのだと思っていた。
けれど久しぶりに会ったジークフリートはなにも変わらない。リュディガーの知る、知的で穏やかで皮肉屋で……けれど懐に入れた者は必ず守る男だ。
(ニーナを詰問したのも、対魔騎士団を軽んじられたからだ)
ならば、変わったのは誰だ?
『たすけて、ジーク』
あの言葉の意味は?
「ガートルード皇妃」
寂びた声で紡がれた名が、胸にじわりと染み込んだ。
「かの皇妃に剣を捧げたそうだな。皇帝夫妻のわがままの犠牲にされた幼い姫を、哀れんでのことか?」
「違います」
リュディガーは毅然と反論した。いくらジークフリートでも、ガートルードを見くびるような物言いは許せない。
「私はかの姫君こそ我が淑女と思ったからこそ剣を捧げました。他に理由などありません」
ジークフリートはオパールの左目を見張り、ふっと細めた。
「そうか。かのお方はお前が剣を捧げるに値する姫君か。……ならばやはり、『欠陥品』にはふさわしくないな」
ぼそりと付け足されたつぶやきに、忘れかけていた警戒心がよみがえる。
『欠陥品』。それはアンドレアスとコンスタンツェの一人息子、ヴォルフラムに浴びせられる心ない罵倒だ。
「ヴォルフラム殿下から、皇妃殿下を奪うおつもりですか?」
ガートルードは形式上、アンドレアスの側室だ。そのガートルードをヴォルフラムから……アンドレアスから奪おうとするのなら、それは。
アンドレアスを弑し、帝位を簒奪するつもりに他ならない。
ジークフリートは答えず、おもむろに立ち上がった。リュディガーを待たずに部屋を出ていく直前、肩越しに告げる。
「よく考えろ、リュー。目に見えるものだけがお前の世界のすべてではないぞ」
失われた右目になにが見えているのか。
リュディガーにはわからなかった。




