37・新たな王配候補は策略をめぐらせる(第三者視点)
「よろしかったのですか? あのような偽り……本国にばれたら、反逆罪に問われかねませんよ」
一回目の交渉を終え、貴賓室に引き上げてくるとすぐ従者が詰め寄ってきた。いつもひょうひょうとしている顔は、めずらしく青ざめている。
「偽り? なんのことだ」
「フローラ殿下のことに決まっているではありませんか。ガートルード殿下の代わりにフローラ殿下を輿入れさせるなど、あの女王陛下がお許しになるわけがありません。閣下の独断でしょう」
(よくわかってるじゃないか)
モルガンはひそかに感心した。
クローディア女王は、為政者としては情が深すぎる女性だ。良く言えば慈悲深い、率直に言えば甘すぎる。
妊娠したフローラを自国に留まらせたのは仕方なかったにしても、その後は修道院に幽閉なんて生ぬるい。出産後、勝手に孕めないよう処置を施した上で、帝国以外の他国の王侯貴族の妾なりなんなりとして高値で売れば良かった。帝国以外にも破邪の力を欲する国は多いのだから。
クローディア女王が王子しか産めない今、フローラは貴重な直系王女の一人だが、彼女が娘を産めばその価値は相対的に下がる。フローラの娘は十数年もすれば子を産める身体になるだろうし、それまでの間にドローレスやエメラインも王女を産むだろう。
なのにフローラを修道院に幽閉するのは、彼女を守りたいからに他ならない。幼い妹王女を身代わりとし、男に股を開いて帝国行きを逃れた王女だという周囲の非難から。
「確かに、女王陛下は何もご存知ないな」
「……! やはり……」
「だが、どうしてもガートルード殿下を取り戻したいのならこれ以外ないだろう。あちらはヴォルフラム皇子のため、破邪の力を持つシルヴァーナの直系王女は絶対に手放せないんだ。他に何も要らないからガートルード殿下を返せ、なんて通るわけがない」
帝国の……ヘルマンの暴挙をかんがみれば、もはやガートルードを置いてはおけない、祖国に連れ戻す、という要求は正しい。道義的にも法的にも。
だが正しい主張が常に認められるのなら、紛争が起きることはないのだ。
「こちらが絶対的に正しいとしても、どこかで譲ってやらなければあちらも譲りようがない。そしてお互い妥協できるのは、『帝国が必要としているのは破邪の力を持つ王女であって、ガートルード殿下ではない』という点だろう?」
「それは、そうかもしれませんが……」
「おまけに、こっちはヘルマンの身柄引き渡しを諦めてもいいとまで譲ってやった。負い目のある相手にここまで譲らせたんだ。帝国も少しは譲らなければ、と思うのは当然だよな」
元々、ヘルマンの身柄などどうでも良かったのだ。百年以上前の記録を持ち出したのは、ヘルマンの身柄引き渡しを認めれば、自分たちがヘルマンを殺したも同然だと思わせたかっただけ。
直系王女を害した者に厳罰が下されるのは本当だが、現代ではさすがに車裂きなど行われてはいない。よほど強い故意や害意がない限り、金銭的な賠償で許されるのがほとんどだ。
粗相をするたび命の危機にさらされるのでは、侍女もろくに集まらない。
「……ヘルマンは釣り餌ですか。本人や家族は生きた心地がしないでしょうに」
じとっとした目を向けられ、モルガンは肩をすくめる。
「拝み倒して輿入れして頂いた、なんの落ち度もないガートルード殿下にクソガキが剣を向けたのは事実だ。一生震え上がるほど怖がらせておくのは、大人の慈悲ってもんだぞ」
「それにしたって、車裂きは……」
想像して気分が悪くなったのか、従者は備えつけの厨房に引っ込み、香草茶を淹れて戻ってきた。ちゃっかり自分の分まで用意してきたことは、極上の香りに免じて許してやる。
「ガートルード殿下とフローラ殿下の入れ替えは、現実的な落としどころだ。外務大臣はまんざらでもなさそうな顔をしてただろ」
香草茶で喉を潤し、モルガンは話を再開した。車裂きから話題が逸れ、従者は安心したように頷く。
「確かにそうですね。皇帝陛下も賛成されるかと思ったんですが、なぜ突然反対に転じられたんでしょう」
それはモルガンも疑問に思っていた。皇帝アンドレアスは入れ替え案を提示した当初こそ驚愕していたが、話が進むにつれ、納得の色が広がっていったように見えた。アンドレアスにしてみても、皇妃がガートルードであろうとフローラであろうと大差はない。
むしろ抱けばすぐに子を産んでくれるだろうフローラの方が、利用価値は高いかもしれないのに、最終的にアンドレアスが出した結論は『入れ替えには応じない』だったのだ。
そこでモルガンは、ふっと思い出す。
「……原因は、皇后かもしれない」
「コンスタンツェ皇后陛下ですか?」
「俺が入れ替え案を提示した時、一瞬だが、殺してやりたいって顔をしてたからな」
おそらくコンスタンツェ本人も気づいてはいまい。だがモルガンは確かに見た。コンスタンツェの中に、モルガンに対する憎悪が芽生えた瞬間を。
ガートルードはまだ六歳だ。特殊な嗜好の主でもなければ性的な対象にはされないし、アンドレアスはそうした嗜好の主ではないだろう。
だがフローラは適齢期の少女であり、子を産めることも証明している。性格はどうあれ、見た目は極上だ。
「皇帝だって男だ。愛妻家と言われても、目の前に妻より若くて美しい女が現れればふらっといっちまうもんだろ」
「なるほど……皇帝陛下は妻の悋気を察して反対に回った、というわけですか」
ううむ、と従者は首をひねる。
「ですが仮にも国家間の交渉ですよ。閣下もおっしゃった通り、ここしか落としどころがないのに、妻の機嫌なんて気にしている場合ですか?」
「同感だが、そもそも皇帝があの皇后にこだわってるのがすべての発端だからな。よほど皇后を手放したくないんだろうよ」
ヴォルフラム皇子が瘴気を蓄積する体質で成長は見込めず、コンスタンツェが子を産めなくなったと判明した時点で、アンドレアスはコンスタンツェを廃后しておくべきだった。
そして新たな皇后を迎え、健康な世継ぎを作っておけば良かったのだ。そうすればシルヴァーナがアンドレアスの申し出に混乱させられることも、モルガンが不毛な交渉に駆り出されることも、ガートルードに出逢うこともなかったわけで……。
(……おみ足……)
「うーん……」
忘れ得ぬ感触に浸っていると、従者が唸った。
「でも、皇后陛下ってそこまでのお方なんでしょうか? 伯爵家出身なら実家の後ろ楯は弱いですし、下々の受けはいいかもしれませんが貴族からは舐められているでしょうし、帝国ではめずらしいくらい淡い金髪は綺麗だと思いましたけど、絶世の美女というほどでもなし……」
「まあ、それは皇帝にしかわからない良さってものがあるんじゃないか。幼なじみだそうだし」
「ああ、そういえば閣下に噛みついていたあのフォルトナー卿も幼なじみで、皇帝陛下の従弟に当たられるんでしたっけ」
言われて思い出す。燃えるような目でモルガンを睨み付けてきた青年を。
リュディガー・フォルトナーの勇名は王国にもとどろいている。最強の騎士にして、甘く華やかな貴公子だと評判だが。
(あれは貴公子でも騎士でもないな。本質は狂戦士だ)
あの青年の奥には情熱がたぎっている。一度理性のくびきが外れれば、烈火のごとく燃え上がるにちがいない。
本人も気づいてはいないだろうそれを目覚めさせたのは――ガートルードか……?
(皇帝と同じなのは、髪と目の色だけだな)
妻のためにこちらの案を蹴っておいてさえ、皇帝の瞳の奥には情熱らしきものが見えなかった。
コンスタンツェは感動していたようだったが、モルガンにはわかる。あれは有利な駆け引きのためなら身内の命すら天秤にかけられる者の目だ。リュディガーには、そんな真似は絶対にできない。
情に流されるかと思えば冷徹。アンドレアスがなにを考えているのかはまだ読めない。
だが、まだ一度目の交渉が終わっただけだ。一度テーブルにつかせたなら、最後には必ずモルガンの望み通りの結果を導き出してみせる。
種馬を回避するためにも。
(おみ足、……おみ足……)
ガートルードを連れ帰るためにも。




