29・転生ものぐさ皇妃とアッヘンヴァル侯爵子息夫妻の顛末
『けれどわたしは、わたしのせいで誰かに命を落として欲しくありません。ですからヘルマンがもう一人、謝るべき人に謝り、その許しを得られたら、わたしからお姉様にヘルマンを許してくださるようお願いしてもいいと思っています』
ガートルードが出した条件を、アッヘンヴァル侯爵はその日のうちに実行した。謹慎中のヘルマンをヴォルフラムのもとへ連れて行き、臣下の分をわきまえひざまずかせた上で、ヴォルフラムにこれまでの無礼を詫びさせたのだ。
そこにいたるまでにはひと悶着あった。ヘルマンの母、次期侯爵夫人のティアナが狂ったように反対したのだ。
『ヘルマンは皇族の血を引く数少ない男子なのですよ!? ヴォルフラム皇子が死ねば皇太子にも選ばれるかもしれないのに!』
ヴォルフラムの死を願っているようにも聞こえるその叫びが、この期に及んで反省のかけらもない態度が、アッヘンヴァル侯爵に残されていた最後の情を断ち切った。
『ティアナ、お前とニクラスを離婚させる。すぐにこの家から出て行きなさい』
ヘルマンの罪を表立って償うのは当主たる侯爵とヘルマン本人だが、両親……特に深く養育に関わっていたティアナもまた重い責任を問われることになる。
もはやティアナにヘルマンの養育は任せられない。
だが当初、アッヘンヴァル侯爵にはティアナとニクラスの離婚までは考えていなかった。
貴族夫人としては死んだも同然、社交界では後ろ指を指される存在に成り果てたティアナでも、フォルトナー公爵家と皇帝の圧力に屈し、最終的に息子の嫁として迎え入れたのは侯爵自身だ。嫁が侯爵家になじめなかったのは、息子ニクラスのせいでもある。
だからアッヘンヴァル侯爵は当初、ティアナをニクラスと結婚させたまま、侯爵家が所有する田舎の別荘に幽閉するつもりだった。二度と表舞台には出られず、夫や息子とも会えないが、家族としてのつながりは残る。
貴族夫人の身分も、ゆくゆく大きな助けになるだろうという最後の思いやり――だったのだが。
『お前のような女を我が侯爵家に留めておけば、いずれまた災いを招く。それだけは避けなければならない。我が侯爵家に、もはや失敗は許されないのだから』
もはや情けなどかけるだけ無駄だと、アッヘンヴァル侯爵は判断した。
ティアナを溺愛する父、フォルトナー公爵オイゲンが健在ならば難しかっただろう。だが孫の不祥事の責任はオイゲンにも及ぶ。
皇帝アンドレアスはおそらくこれを機に、公爵家の家督を嫡男リュディガーに譲るよう勧告するはずだ。さすがのオイゲンも今回ばかりは拒めず、リュディガーが新たなフォルトナー公爵になる。
ならばもはや、ティアナを取り除く障害はない。
『り、……離婚? この、わたくしが?』
なにを言われたのか、ティアナは理解できないようだった。いや、理解したくなかったのか。
『お義父様、冗談はおよしになって。わたくしは皇帝陛下にも認められた次期アッヘンヴァル侯爵夫人であり、嫡男の母ですのよ。離婚など許されるはずが……』
『むろん冗談などではない、本気だ。今すぐ出て行けと本気で言っている。……安心しなさい。陛下はきっとお許しくださる』
リュディガーは後ろ楯の弱いアンドレアスにとって、貴重な味方であり身内だ。同じ身内のブライトクロイツ公爵家との関係が冷え込んでいる今は、なおさらしっかり捕まえておきたい。
やっと公爵家当主になったリュディガーの足枷となりそうな両親は、出戻ったティアナ共々目の届くところで隠居という名の監視下に置きたいはず。離婚に反対はしないだろう。
ならば最初からティアナとニクラスの結婚を許可しないで欲しかった、という恨み言は封印せねばなるまいが……。
『……わ、わたくしは、陛下の従妹で、公爵家の娘で……』
『ええ、だからこそ貴方は今までアッヘンヴァル侯爵家の嫁として扱われてきました。……ですがもう、それは意味をなさなくなった。そうさせたのは貴方なのですよ』
アーデルハイトが告げると、ティアナはがくがくと細い身体を震わせた。
やがて、すがるような眼差しを向けたのは……ずっと黙ったままの夫ニクラスだ。
『貴方!』
『……』
『なんとか言ってください、貴方。わたくしと離婚なんて、望んでいらっしゃらないわよね? 侯爵家の貴方が、公爵令嬢のわたくしを妻にできたのですもの。わたくし以上の妻なんて……』
『……君は、いつもそれだ』
ニクラスは冷ややかにティアナを見つめた。
『なにかと言えば公爵家、公爵家。君がそんな態度だからヘルマンまで私を見下し、増長した末にこんなことをしでかしたんだろう。……全部、君のせいだ』
『っ……、あ、貴方……』
『もう君の夫であることには耐えられない。離婚して実家に帰れ』
格下の夫にそこまで言われるとは思わなかったのか、ティアナはしばしぼうぜんとしていたが、やがてまなじりをきっと吊り上げた。
『それで貴方は、あの女とよりを戻すおつもりなのでしょう!? あの、身のほどをわきまえない女と!』
『ミリヤムを悪く言うな! 君が彼女に勝っているのは血筋くらいだ!』
『いい加減にしないか、二人とも! 見苦しい!』
見かねたアッヘンヴァル侯爵が一喝し、言い争いはひとまずおさまった。
ティアナは断固離婚には応じない構えだったが、数日後、迎えに来た兄リュディガーになかば引きずられるように連れて行かれたという。
リュディガーが公爵位を継ぐのに合わせ、両親と共に別邸で余生を過ごすことになるだろう。まだ若いティアナは再婚もじゅうぶん可能だが、新たな夫に名乗り出る者はいまい。
その後、アッヘンヴァル侯爵の予想通りアンドレアスはティアナとニクラスの離婚を許したため、ティアナはフォルトナー公爵令嬢の身分に戻った。
だがヘルマンは侯爵家嫡子のまま侯爵家に残り、祖父侯爵の監督下に置かれることになる。ティアナはもはやヘルマンの扱いに口出しができない。
そこまでやって、ヘルマンの謝罪はようやく実現したのだ。
ヴォルフラムは謝罪を受け入れ、寛大に許したという。これによってガートルードが提示した条件は揃い、今度はガートルードが姉女王をなだめる番になったわけだが、アッヘンヴァル侯爵夫妻の用件はその報告だけではなかった。
『多大なる恩を頂いた皇妃殿下にもお礼を献上しなければならないところですが、殿下は俗世の価値には囚われないお方。ならば我が家の誠意を示すためにも、おそばでお役に立てる者をと思いまして』
そう前置きして侯爵が紹介したのが、ロッテとエルマだったのだ。ロッテは侍女として、エルマは護衛騎士として。
ロッテはアッヘンヴァル侯爵家の分家に当たるフライ男爵家の五女。
貴族令嬢が嫁ぐには相応の持参金を持たせてやらねばならないのだが、実家にはロッテの分の持参金まで用意する余裕がなく、独り身のまま実家で過ごしていたそうだ。しかし生来気立ても良く聡明な娘をこのまま腐らせるのは忍びない、と男爵夫妻から相談を受けたアッヘンヴァル侯爵がロッテと面談し、ロッテ本人も強く希望したことから、ガートルード付き侍女に推挙された。
エルマがノイベルト子爵家の次女だということは帝国への道中で聞かされていたが、ノイベルト子爵家がアッヘンヴァル侯爵家の遠縁に当たるのは初耳だった。と言っても、下級貴族の大半は高位貴族の分家かそのまた分家なので、貴族はみな系譜をたどれば遠縁ということになるのだが。
敢えてエルマが選ばれたのは、彼女がガートルードの知己であるがゆえだろう。
しかしガートルードの専属護衛騎士になるには、せっかく入団した近衛騎士団を辞めなければならない。近衛騎士の主君はあくまで皇帝のため、アンドレアスの命令次第では専属を解かれてしまう可能性があるからだ。
近衛騎士団はエリート中のエリート。騎士なら誰もが憧れる頂点である。
それを簡単に辞めてしまっていいのか、侯爵に無理強いされたのでは、とガートルードは危ぶんだが、エルマは否定した。
『皇妃殿下をお守りできるのなら喜んで! こんな私でも盾くらいにはなれるでしょうし……それに私が近衛にいたら、団長にご迷惑がかかるかもしれないですから……』
その理由までは聞かなかった。エルマは話したくなさそうだったし、ガートルードも尋ねる必要性を感じなかったからだ。




