20・新たな王配候補の出立(シルヴァーナ王国サイド)
ヴォルフラムが自己嫌悪を噛み締めた十日ほど後。
ガートルードの故郷シルヴァーナ王国では、女王クローディアの使節が帝国へ出立しようとしていた。
「では陛下、行って参ります」
見送りの貴族たちが詰めかけた謁見の間。
無遠慮な視線に小揺るぎもせず、玉座の前にひざまずくのは、使節の責任者にして女王の代理人を仰せつかったブラックモア侯爵モルガンだ。
「侯爵様、今日はいつにも増してお美しい……」
ほう……、と貴婦人たちがため息を漏らす。
美形揃いのブラックモア侯爵家においても際立った麗質の主と評判のモルガンは、紫紺の髪を綺麗に撫でつけ、黒絹の正装にすらりとした長身を包んでいた。
涼やかな藍色の瞳に、長いまつげに縁取られたまぶたが禁欲的でありながらどこかなまめかしく、片眼鏡が二十歳の若々しさに艶冶な深みを与えている。前世の隙間時間に九十年代のドラマを観ていたガートルードなら、『綺麗なお兄さんは好きですか?』とつぶやいたかもしれない。
「頼みましたよ、ブラックモア侯爵。必ずやガートルードを離婚させ、シルヴァーナへ連れ帰るのです」
「承知いたしました。どうぞお心を安らかに、朗報をお待ちください」
頷くクローディア女王の斜め後ろ、玉座よりやや小さめにしつらえられた王配の座が空席なのはいつものことだ。
シルヴァーナにおいて王配は女王との間に世継ぎとなる王女をもうけて初めて、公の場に姿を現すことを許される。クローディア女王と王配オズワルドは非常に仲むつまじく、すでに二人の子に恵まれたが、どちらも王子だった。
シルヴァーナ王家に男子が生まれる確率は低い。クローディア女王の前、最後に男子が生まれたのは百年以上前のことだ。女王が立て続けに王子を産んだ例にいたっては、クローディア女王が初めてである。
第二王女ドローレスが王太女に立ってはいるが、クローディア女王に世継ぎの王女が生まれ、成長するまでのつなぎである。クローディア女王には一日も早く次の子を……今度こそ王女を産むことが熱望されている。
だからこそ王配オズワルドに対する風当たりは強くなる一方だった。
弱小男爵家から王配に選ばれたにもかかわらず、王女の一人も産ませられない無能。恩知らず。種無し。良識ある人間なら眉をひそめずにはいられない罵倒が、オズワルドには当然のように浴びせられる。
それでもオズワルドは献身的に女王を支えているのだから、二人の愛は真実なのだろう。真実が必ずしも人を幸せにするわけではないが……。
「ああ、侯爵様が行ってしまわれるわ……」
優雅に立ち上がり、去っていくモルガンに貴婦人たちが切なげな眼差しで追いすがる。
「嘆いている暇などなくてよ。麗しいお姿をしっかり焼きつけておかなければ」
「そうですわね。帝国よりお戻りになれば、すぐにでも後宮へ入られるのでしょうし」
「次にお姿を拝見できるのは、何年後になるのかしら」
「寂しいですが、仕方ないですわね。新しい王配におなりあそばすのですもの」
貴婦人たちの嘆きに、男性陣も頷く。同情半分、羨望半分の表情で。
「ブラックモア侯爵もとうとう後宮入りか。オズワルド王配もこれまでだな」
「まだ、わからぬぞ。帝国との交渉がまとまるかどうかにかかっているのだからな」
「侯爵のことだ、きっちりまとめてくるだろうよ。麗しき女王陛下に侍り、王家に血を混ぜるのは王国貴族の男として最高の誉れだ」
「出自正しき侯爵の種なら、きっと王女殿下がお生まれになろう。女神の愛し子たるガートルード殿下もお戻りになれば、王国の未来は光り輝くにちがいない」
貴族たちのさえずりを悠然と聞き流しながら謁見の間を出たモルガンは、控えていた従者と合流し、王家の紋章が刻まれた馬車に乗り込んだ。どかりと座席に腰を下ろしたとたん、禁欲的な美貌がゆがむ。
「好き勝手にほざきやがって。種馬のどこが最高の誉れなんだよ、ふざけるな」
撫で付けられた髪をいらいらとかきむしり、重たいだけの勲章や正装用の大粒の宝石が嵌め込まれたチョーカーをむしり取る。ついでに襟元をくつろげれば、白い首筋からは退廃的な色香が漂った。
貴婦人たちなら頬を染め、卒倒しかねない光景だが、長年の付き合いである従者は今さら動じない。
「種馬など、不敬ですよ」
「事実だろうが。こそこそ隠れて後宮に納められ、政務にはいっさい関われず、王女が生まれるまでひたすら『お勤め』に励む。一人生まれれば早く次を、次が生まれれば三人目を、と急かされる。種馬じゃなければなんだっていうんだよ」
正直なところ、モルガンは王配オズワルドに同情していた。
オズワルドはウェイン男爵家の次男であり、本来、王配になれるような家柄ではない。なのに王配の座を許されたのは、先代女王ブリジットが急死し、クローディアが予定よりずっと早く即位せざるを得なかった時、王配にオズワルドを強く望んだからである。
オズワルドはクローディア女王の乳母の一族であり、その縁からたびたび王宮にも上がっていた。それは継ぐべき家がないオズワルドに将来、王宮での職業を与えてやりたいという男爵夫妻の親心だったのだが、幼いクローディアと思いがけず出会い、遊び相手を務めるようになったことが運命を激変させたのだ。
身分違いの恋を成就させたクローディア女王に、批判の声はさほどぶつけられなかった。
シルヴァーナにおいて、王配の務めはなによりも『王女を産ませること』だからだ。家柄や血筋よりも、子を産ませる能力……モルガンに言わせるならば『女王をその気にさせられる見た目と、活きのいい子種の持ち主』が優先される。
もちろん、最低限貴族であることは要求されるが、次男とはいえ男爵家出身のオズワルドはかろうじてクリアしていた。
性格は穏やかで、見た目も整っており、若く体力にも恵まれ、なにより女王に愛されている。先代女王ブリジットは五人の王女に恵まれたのだ。クローディア女王にもきっとすぐにでも王女が生まれるはずだと、周囲は期待していたのだが。
生まれたのは二人とも健やかな男子――王子だった。もちろん銀髪も、金の粒が散った碧眼も受け継いではいない。
他国なら祝福の嵐となるはずの王子誕生は、シルヴァーナには暗雲をもたらした。
女神の破邪の力は、直系の王女にしか受け継がれない。小国のシルヴァーナを物理的にも権力争い的にも守っている力を持たない王子に、存在価値など皆無。むしろ女王の胎を無駄に疲弊させる厄介者扱いである。
破邪の力は女系でしか受け継がれない、つまり王子が子をもうけてもやはり男の子しか生まれないことは長い歴史で証明されているため、クローディア女王の二人の息子はいずれどこかの離宮に幽閉されるだろう。要らぬ混乱を避けるため、子を作れない処置を受けて。
息子たちを愛するクローディア女王はなんとか幽閉だけは避けられないかと模索しているようだが、おそらく無駄に終わるはずだ。
若いクローディア女王とオズワルドの間には、まだまだ子が生まれる可能性はある。しかし男性と違い、女性が子を産むには体力的にも年齢的にも限界がある。
すでに無駄な王子を二人も産ませたオズワルドの種では、また王子が生まれてしまうのではないか。ならば今度は王家にふさわしい高貴で優秀な種を――と、上層部の一人が言い出した。
そこで白羽の矢が立ったのがモルガンだったのだ。
建国以来の名門ブラックモア侯爵家を若くして采配し、貴婦人を夢中にさせる美貌の主であり、魔力も高く健康。決め手となったのは四人の姉と母の存在だろう。母は三姉妹の長女で男子が生まれなかったため、父が婿養子となり侯爵家を継いだ。
モルガンの代はモルガンが末っ子長男として生まれたが、これはめずらしいことで、ブラックモア侯爵家は基本的に女系なのだ。
女の子に恵まれるブラックモア侯爵家の種なら、きっとクローディア女王に王女を産ませてくれる。
お偉方相手に『ふざけんなくそジジイ、女児と男児が生まれる確率は同じに決まってんだろ』と罵倒するわけにもいかず、モルガンは新たな王配候補筆頭に躍り出てしまった。
このままではせっかく建て直したブラックモア侯爵家を姉の子たちの誰かに譲り、後宮で日陰の立場を押しつけられることになる。
いっそソベリオン帝国に亡命でもしようかと思っていた時だったのだ。シルヴァーナの王女を形ばかりの皇妃に欲しいと、皇帝アンドレアスが申し入れてきたのは。




