12・転生ものぐさ皇妃と加納さんの屈辱
おかげさまでこの『転生ものぐさ王女よ、食っちゃ寝ライフを目指せ!』の書籍化が決定しました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
「なにそれ、『加納さんの屈辱』……?」
ガートルードはぽろりとつぶやいた。
コンスタンツェのお茶会不参加事件から数日間、自分の宮殿に引きこもっている間、二人の男が宮殿の外でずっとひざまずいていたと聞かされての第一声である。
レシェフモートが首を傾げた。
「『加納さんの屈辱』、とは何でしょうか?」
「あっそうか、レシェは知らないわよね。えーと、わたしの前世で、と言ってもわたしが生きていたころよりだいぶ前の出来事なんだけど……」
うんうんとうなりながら、ガートルードはおぼろげな記憶をたどる。
「……どこかの国の王様が、えらいお坊さんを怒らせてしまったの。どうしても許してもらわなくちゃならないから、お坊さんの家まで押しかけて、ぼろぼろの格好で断食とかしながら許しを乞うて、ドン引きしたお坊さんになんとか許してもらったのよ」
「なるほど、確かにこたびの一件とよく似ておりますね。しかし、加納さんはどこに登場するのでしょうか」
「んーー……、……たぶん王様の名前とかじゃない? 屈辱味わってるのは王様だし」
違う、そうじゃないと前世の世界史教師がいたら突っ込んだだろう。しかしここにはガートルードを全面的に肯定する下僕しかいない。
「さすがは我が女神、何と教養豊かでいらっしゃることか。このレシェフモート、感服いたしました」
「ふふふ、まあ、それほどでもないわよ」
ぱくり。
口に入れてもらったトリュフチョコレートをうっとりと味わう。ガートルードはすっかりチョコレートの虜だ。
「しかし仮にも王たる加納さんが坊主ごときに許しを乞うたから、世を騒がせたのでしょう? 只人が我が女神たるガートルード様にひざまずいて許しを乞うのは、当然の理だと思いますが」
「只人……って、言っていいのかなあ? 外務大臣と侯爵って。あ、元外務大臣と侯爵か」
コンスタンツェのお茶会におもむく途中、剣が飛んできたあの日、ガートルードはどうにかなだめることに成功したレシェフモートと共に宮殿へ引き返した。
それから熱を出し、こんこんと眠り続けてしまった……らしい。というのは、ガートルード自身はまるで覚えていないからだ。数日間、自分がどうやって過ごしていたのか。
ただ苦しくて目を覚ませばいつもレシェフモートがいて、優しく抱き締め、食事をさせたり飲み物を飲ませたりとかいがいしく世話を焼いてくれた。前世では看病する側にしかなったことがなかったから、とても嬉しかったのを覚えている。
そうしてやっと起きていられるようになったら数日が過ぎていて、くだんの『加納さんの屈辱』事件を教えられたのだ。
何でもガートルードが戻った直後、アッヘンヴァル侯爵と名乗る初老の男性が衛兵と共に訪れ、ガートルードに許しを乞いたいと願い出たのだという。アッヘンヴァル侯爵はレシェフモートにくびり殺されそうになった、あのヘルマンと呼ばれていた男の子の祖父だそうだ。しかもヘルマンの母ティアナはあのリュディガーの妹だそうで、思わぬつながりに驚かされた。
ガートルードとレシェフモートが去った後、ヘルマンは治癒魔法使いの治療を受け、無事回復したそうだ。しかしもちろん、それでめでたしめでたしとはならなかった。
皇帝アンドレアスが是非にと乞うて迎えた皇妃、それも女神の愛し子に剣を向けたのだ。わざとではなかった、なんて言い訳が通用するわけがない。
回復したヘルマンはそのまま皇宮の一室に軟禁されている。
あの一件はヴォルフラムとの度重なる訓練の間に起きたことであり、ヴォルフラムも皇帝夫妻にその事実を伏せていたという落ち度があったため、皇帝からヘルマンにくだされた罰は『成人までの間、皇宮主催の公式行事への参加禁止』にとどまったそうだ。
帝国に限らず、貴族の子弟は成人するまでの間にあちこちの催しに出入りし、友人を作ったり年長者との顔繋ぎをして自分の立場を固めておく。それから満を持して成人の仲間入りをするのだ。
皇宮主催の公式行事に参加できないとなれば、地盤固めの大きな機会を失くしてしまう。貴族の子弟としては大ダメージだが、フローラのお相手の侯爵子息のように貴族籍を剥奪されたわけではない。
それにヘルマンの母はリュディガーの妹、ということは元公爵令嬢だ。本人の努力しだいでは挽回の可能性もある。
……被害者がガートルードでさえなければ。
ガートルードはシルヴァーナの王女だった。正当な政略結婚だったとしても、王女だった妃に輿入れ先の貴族が剣を向ければ国際問題だ。
しかもガートルードの場合は事情が事情である。息子のために六歳の王女を無理やり娶っておきながらこのざまかと、一報を受けた姉クローディア女王は怒り狂っているという。
いずれ正式な抗議の使者が派遣されれば、間違いなくガートルードの離婚と帰国、及び元凶となったヘルマンの身柄を要求するだろう。
帝国としてはガートルードの離婚と帰国だけは絶対に受け入れられないが、ヘルマンの身柄なら渡してもさして惜しくはない。少しでも女王の怒りを和らげるため、即座に渡してしまいかねない。
それはあまりに不憫ということで、祖父のアッヘンヴァル侯爵はガートルードの宮殿の前で加納さんの屈辱状態に甘んじている……という経緯のようだ。ガートルードに姉女王をなだめてもらい、ヘルマンを助命したいのだろう。
そこになぜ外務大臣が加わったのかというと、こちらは完全に別件だ。
ガートルードの輿入れの際、シルヴァーナはガートルードが事故の影響で馬車を怖がるため、輿で進むよう要請していたのに、外務大臣のレヴィン伯爵はその情報を故意に握りつぶしたのである。
目的は一日でも早くガートルードを帝都に到着させ、ヴォルフラムを助けさせるため。皇后コンスタンツェの親族であるレヴィン伯爵は、万が一にもヴォルフラムに死んでもらっては困るのだ。
その件は見事にばれてしまい、皇帝によって解任と親族への家督委譲を命じられたそうだ。解任は当然としても、家督の委譲は異例である。
このような場合、普通は本人を隠居させ、息子か孫に家督を譲らせる。だが親族とはいえ他人に譲るのでは、レヴィン伯爵の息子は継ぐべき家を失い、その血筋もそこで途絶えることになる。
それもまたアンドレアスがくだした罰なのだが、納得できないレヴィン伯爵はガートルードへの直接謝罪を思いついた。幼い皇妃くらい、外務大臣として鍛えた弁舌でいくらでも言いくるめられると思ったのかもしれない。
機会を窺っていたところ、ヘルマンがやらかし、アッヘンヴァル侯爵がガートルードに許しを乞い始めた。
アッヘンヴァル侯爵はガートルードを帝国まで警護したリュディガーの縁戚だ。侯爵と共に謝罪すれば、ガートルードも無視できまい。レヴィン伯爵がそうもくろんだ結果、加納さんは二人に増えたらしいのだが。
「他人の威光を笠に着るなんて印象最悪じゃない。その人、よくそれで今まで外務大臣なんて務まってたわよね……」
ガートルードはドン引きしていた。一瞬、レシェフモートが匙で掬ってくれたショコラムースに食いつくのが遅れてしまうくらいに。
「皇后の親族ということで、周囲も忖度していたのでしょう。帝国が外交交渉で下手に出なければならない事態はそう多くありませんから、部下が優秀なら問題なく務まっていたのではないでしょうか」
「お偉いさんの親族を鼻にかけた駄目中年……」
うええ、とガートルードは眉を寄せた。前世でスーパーのパートをしていた時、店長の甥とかいうおっさん店員がやたらと威張り散らかしていて、パート一同は迷惑ばかりかけられたものだ。
案外、レヴィン伯爵が解任され、彼の部下は喜んでいるかもしれない。ゆっくりのんびりしたいのに、騒動ばかり巻き起こるガートルードはうんざりしているが。
「……それで、二人は今日も外にいるの?」
レシェフモートの話では、二人はさすがに夜間は立ち去るものの、早朝から夕刻まで宮殿の前で粘っているらしい。
どちらもガートルードに詫びを入れるよう、アンドレアスから命じられたのもあるのだろうが、はっきり言って迷惑な話だ。ガートルードは馬車の件もヘルマンの件も、まるで気にしていないのだから。
そう、唯一気になるのは……。
「はい、今もそちらに。……消しますか?」
「うん、……いやいや、駄目ぇっ!」
今日の晩ごはんの献立を尋ねるような気軽な口調に頷きそうになり、ガートルードは慌てて幼い皇子の面影を脳内から追い出した。
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