13・岐路(第三者視点)
時は少しさかのぼる。
皇宮の兄のもとを去り、婚家であるアッヘンヴァル侯爵家に戻ってきたティアナは、姑のもとへ直行した。ふだんなら絶対に近づきたくない相手だが、今回ばかりは仕方ない。
「お義母様、宝物庫の鍵をお貸しくださいませ」
「……帰宅早々、皇宮で何があったのかも報告せず何を言っているのですか。宝物庫の鍵は当主とその夫人しか所持を許されないのですよ」
ティアナが真剣に頼んでいるというのに、姑――アッヘンヴァル侯爵夫人アーデルハイトは冷ややかな表情を崩さない。規律と秩序が人の姿を取ったような顔とまっすぐ伸びた背筋は、幼いころ大嫌いだったマナーの教師を思い出させる。
「それは承知しております。だからお義母様にお願いしているのです」
「はあ……まずは皇宮で何があったのかを説明しなさい。話はそれからです」
ため息をついたアーデルハイトが命じる。
こんな時の姑には何を言っても無駄だと理解しているティアナは、不承不承、兄とのやりとりを伝えた。冷血女の姑も、さすがに同調してくれるはずだと信じて。
「……ですから、皇妃殿下がヘルマンをお許しくださり、神使様やシルヴァーナの女王陛下をなだめてくだされば、ヘルマンは助かるのです」
「……」
「そのためには皇妃殿下に相応の貢ぎ物を献じてお願いしなければなりません。侯爵家には伝来の宝石や宝飾品がございますでしょう? ヘルマンのためならば、惜しくはありませんわよね?」
ここまで言えばわかるだろうと思ったのに、返されたのは何度目かのため息だった。
「なぜ、皇妃殿下に侯爵家の家宝を献じなければならないのですか?」
「……、ですから、何度も申し上げた通り、皇妃殿下に神使様や女王陛下のお怒りを解いて頂くため……」
「聞き方が悪かったようですね。なぜ、侯爵家の家宝程度で皇妃殿下のご機嫌を取り結べると思ったのですか? 歴史あるシルヴァーナ王国の直系王女に生まれ、女神のご寵愛を受け、皇帝陛下に乞われて皇妃になられたお方の」
アーデルハイトの表情はぴくりとも揺らがない。怒りも失望も侮蔑も、期待すらしない相手には抱きようがない感情だと、ティアナにはまだわからない。
「そ、それ、は……皇妃殿下も幼いとはいえ女性であられるのですから、宝石はいくつあっても喜ばれるかと……」
「ティアナ、貴方は歓迎式典で皇妃殿下のお姿を拝していないからそのような浅慮なことが申せるのです」
歓迎式典でガートルードが身につけていたドレスや宝飾品の素晴らしさを珍しく饒舌に語った後、ほう、とアーデルハイトは息を漏らした。少女のような仕草は、この厳格な姑にはめったに見られない。
「……けれど最も光り輝いていたのは皇妃殿下ご自身です。神の色彩をまとい、たおやかに微笑まれるお姿には
すでに淑女の風格が漂っていました」
ちらりとこちらへ向けられた眼差しから、『貴方と違ってね』とメッセージを読み取ったのはティアナの気のせいではないだろう。
「あれほどのお方に我が侯爵家程度の家宝を差し出せば、かえって無礼をとがめられることになるでしょう。それに皇妃殿下も喜ばれないはずです」
「な、なぜ、そう断言できるのですか?」
宝石を贈られて喜ばない女はいない。少なくともティアナや彼女の周囲の貴婦人はそうだ。
「皇妃殿下は瘴気に苦しむヴォルフラム殿下を救うため、自らお輿入れを決意された崇高なお心の主でいらっしゃいます。宝石に限らず、俗っぽい贈り物など決して喜ばれません」
実際のガートルードは高級チョコレート詰め合わせなどをもらえば大喜びするのだが、それを知る者は帝国人にはいない。
「あのようなお方にはこちらも誠心誠意向き合い、心からお詫びするしかないのです。そしてアッヘンヴァル侯爵家を代表してお詫びできるのは、当主しかおりません」
「っ……、ではお義父様が?」
「ええ、すでにアンドレアス陛下に使者を送り、皇妃殿下の宮殿に参内するお許しを得ました。貴方が兄君のところにいる間にね」
だから使者の話をしっかり聞けと言ったでしょう? 貴方のしたことはすべて無駄だったのよ。
アーデルハイトのため息から声にならない本音が伝わってくる。苛立ちで目の前が真っ赤になった。相手が姑でさえなければ、頬をひっぱたいてやるのに。
「皇妃殿下への謝罪は陛下からのご命令でもありますが。……ティアナ、貴方は当面の間、この屋敷から出ないように。兄君を訪ねることも、里帰りも禁じます」
「なっ、なぜですの!?」
まさに実家の両親に泣きつこうと思っていたティアナは、ぎくりと頬をこわばらせた。
アーデルハイトの眼差しが厳しさを増す。
「貴方が実家のフォルトナー公爵家を頼れば頼るほど、兄君やご両親に迷惑がかかります。特に兄君は近衛第一騎士団の団長であられるのに、ヘルマンの一件でどれほどつらいお立場へ追いやられることか」
「お兄様が……?」
「皇帝陛下を誰よりも近くでお守りすべき第一騎士団団長の甥が、こともあろうに皇妃殿下を害するところだったのですよ。兄君を快く思わない者は、ここぞとばかりに兄君の排斥に出るでしょう」
言われてみればその通りだ。でも。
(お兄様はそのようなこと、何もおっしゃらなかったのに)
「……肉親の情か、言っても無駄だと思われたのか。どちらかしらね」
「え?」
小さなつぶやきが聞こえず聞き返せば、アーデルハイトはあいまいな表情で首を振った。
「何でもありません。私は旦那様の支度がありますから、もう部屋に戻りなさい」
取りつく島もない態度にティアナは食い下がるのを諦め、自室に戻った。
舅の謝罪は受け入れられるのか。受け入れられたとして、ヘルマンの助命は叶うのか。心配に苛立ちが拍車をかける。
(わたくしが皇妃殿下のお姿を拝せなかったのは、お義母様が直前で参列を禁じたからではないの)
ガートルードの歓心を買えれば、貴族子弟としては大きな武器になる。だからティアナは歓迎式典にヘルマンも連れて行こうとしたのだ。ガートルードにあいさつをさせるために。
十歳未満の子どもの参加は禁じられていたけれど、皇帝の身内である自分なら許されると思っていた。
だがティアナのもくろみを知った姑は『帝国においでになったばかりの皇妃殿下を疲れさせるなどもってのほか』と言い放ち、ティアナもヘルマンも置いて行ってしまったのだ。ヘルマンのような容姿にも血筋にも恵まれた貴公子に出会えれば、ガートルードは喜ぶにちがいないのに。
でも、誰よりもティアナを苛立たせるのは姑ではない。
(……あの人、何をしているのよ)
皇宮から使者が訪れてだいぶ経つのに、夫のニクラスはいまだに帰らない。居場所はわかっている。きっとあの女のところだ。ニクラスと結婚するはずだった、あの憎たらしい女。
(仮にもヘルマンの父親なのに……、ヘルマンが死ぬかもしれないと聞いて心配にならないの?)
部屋の扉の前にはアーデルハイトが手配した侍女が控えているから、気軽に外へ出ることもできない。ソファでじりじりしていると、ノックの音が響く。
「貴方っ!?」
「……申し訳ございません。ティアナ様にお手紙が届いております」
ティアナは勢い込んで立ち上がったが、返されたのは気の毒そうな侍女の声だった。
(わたくしに手紙ですって?)
無視しようと思ったが、ティアナは結局侍女から手紙を受け取った。他にやれることもなかったし、こんな時に手紙をよこす相手に興味が湧いたからだ。
侍女が再び扉の向こうに戻ってから確かめた手紙の差出人は、幼いころから親交のある令嬢だった。だが記憶にある彼女の筆跡とは少し違う気がする。
首をひねりながら開封し、ティアナは中の便せんに記された名に目を見開いた。
「ブライトクロイツ公爵ですって……?」
帝国にその名を知らない者はいない。
なぜなら公爵の亡き娘エリーゼはかつてアンドレアスの婚約者であり、息子ジークフリートは妹の死後、公爵家の跡取りでありながら対魔騎士団の騎士となった因縁の家なのだから――。




