間奏1-1・王妃の憂鬱(フローラ視点)
ここからは番外編。
まずは久しぶりのフローラの登場です。全2話の予定です。
「……おお哀れなるかな、白銀の麗しき姫君。騎士たらん者、王の旗に集え。姫君を餓狼の手からお助けするために……」
「……もういいわ。お下がり」
ベルベットの長椅子にしどけなく横たわったフローラが羽毛扇をうっとうしそうに振ると、得意の歌声を披露していた吟遊詩人は一礼し、王妃の間を去っていった。まったくごねないところを見ると、フローラの不興を買ってしまった前任者たちの末路を知らされているのだろう。
「評判の歌い手だというから召してやったのに、声も竪琴もたいしたことはなかったわね」
「王妃様の仰せの通りですわ」
「しょせん下賤の者ですもの。王妃様には相応しくなかったのですわ」
「王妃様はオズワルド陛下のたった一人のお妃様。いずれはこの大陸の覇王の妃にもなられるお方ですもの」
フローラが不機嫌に吐き捨てると、お付きの侍女たちは耳に心地よい追従をさえずってくれる。
彼女たちはいち早くオズワルドに味方した貴族家から、人質も兼ねて差し出された令嬢だ。フローラのやることなすこと、すべてを肯定し、決して逆らわない。フローラが気に入らなかったのが退出していった吟遊詩人の歌声でも容姿でもなく、詩であったことが明らかでも、一切触れない。
『貴方はご自分よりガートルード殿下が注目されることが気に入らないのでしょう?』
亡き姉クローディアが付けてくれた中年の侍女なら、クローディアに長く仕えた彼女なら、迷わずそう指摘しただろう。そして香草茶を淹れてくれたはずだ。
だが、彼女はいない。あの日――『ルナフレアの悲劇』の夜、押し入ってきたオズワルドの手勢からフローラを逃がそうとして殺されてしまった。フローラの目の前で。
(……そうよ。気に入らない)
ガートルードを讃える詩も、従順なだけの侍女も、膨らんで重くなった腹も、むくんだ手足も、ちっともよくならない悪阻も。
「さあ王妃様、お薬湯を」
「オズワルド陛下がおん自ら薬師に命じ、調合させたのですわよね」
「本当に王妃様は愛されておいでですわ。うらやましい」
差し出された薬湯の水面には、緩く編んだ銀髪に真珠のピンをちりばめ、サファイアの耳飾りをつけた自分が映っている。妊娠によるむくみは巧みな化粧で隠され、妊娠前と変わらぬ美貌が輝いている。
妊婦用のゆったりしたドレスも極上の絹を用い、精緻なレースと薔薇の刺繍が施された豪奢なもの。ほんの少し前までの自分とはかけ離れた姿だ。
『ルナフレアの悲劇』と呼ばれる、あの夜。
目の前で侍女を殺された衝撃も覚めやらぬまま、フローラはオズワルドのもとに連行された。その時はまだオズワルドがなにをしでかしたのか知らなかったが、とんでもない事態が起きたのだとすぐにわかった。
『選べ』
フローラに突きつけられた剣もオズワルドの衣服も、血に汚れていた。
『俺の妃になるか、腹の子もろとも殺されるか』
血筋にも家柄にも恵まれない、誠実さだけが取り柄の男。それがオズワルドの印象のすべてだった。男爵家の次男なんかを義兄と呼ばなければならないなんて嫌すぎる。わたくしなら最低でも侯爵家以上、そう、ブラックモア侯爵モルガンあたりなら素直にお義兄様と呼べたのに。
そう、思っていた。
『俺の妃になれば、女として最高の位と何不自由ない暮らしを約束する。拒むなら姉たちの後を追わせる』
残酷な選択を迫るオズワルドは、フローラの知るオズワルドではなかった。触れれば切れてしまいそうなまがまがしい殺気をまとう覇王だった。
オズワルドがクローディア女王、ドローレス王太女、エメライン王女……三人の姉を殺したと教えられた時は、世界が崩壊したような衝撃に襲われた。
身勝手極まりない申し出を毅然とはねのけ、姉たちの後を追う。それが誇り高い王女として在るべき姿だということはわかっていた。
でも、ささやいたのだ――フローラの中の悪魔が。
『わたくしはもう、誇り高い王女などではなかったでしょう?』
そうだ、フローラは実質上王女の身分をはく奪されている。王宮にいられるのは出産までだ。腹の子が生まれれば修道院へ押し込められ、厳しい戒律のもとで暮らすことを強いられる。
自業自得だ。
フローラは帝国へ輿入れしたくないあまり、取り巻きと通じて身ごもった。願いは叶ったが、代わりにたった六歳の妹を身代わりにしてしまった。その報いを受けただけだ。ガートルードにだって、悪いことをしたと思っている。
『でも、あの子はそれで幸せになったじゃないの』
また悪魔がささやいた。
『あのフォルトナー卿に剣を捧げられ、神使を与えられ、帝国では皇后よりも尊重されて、皇禍の後は新皇帝に恩人とまで呼ばれて……本当なら、わたくしがそうなるはずだったのに』
ガートルードの帝国での待遇や評判は、フローラのもとにまで漏れ聞こえていた。
フローラが聞きたいと思ったわけではない。周囲が寄ると触るとガートルードの噂話ばかりするものだから、嫌でも耳に入ってしまうのだ。




