41・ジーンという男7(第三者視点)
『……決定的だったのは、天秤に触れた時の感覚です』
喰えない王女様に、ジーンは説明を続ける。
『強い水魔法の気配を感じました。直系王女にしか使えないはずの破邪魔法なら、ありえませんよね。……もっとも、殿下は敢えてそうなさったのだろうと思いますが』
エメラインほど魔力操作に長けた魔法使いなら、水魔法の気配を完全に消すこともできたはずだ。わざと残しておいたとしか思えない。
『あら、なぜそう思うの?』
『……試すため、でしょうか』
いくら混乱の極みにあったからといっても、じかにあの天秤に触れていれば、ヘレナも元魔法院長もわかったはずだ。エメラインが発動させたのは破邪魔法などではないと。
ジーンが盗作などしていないことを、最もよく知るのはヘレナだ。
その上で、女神の目さえ欺いてみせるという度胸を発揮し、天秤に触れてみせたなら――あるいは天秤が水魔法によって造り出されたものだと看破したのなら、エメラインはヘレナを評価したのではないだろうか。
『……ふふっ。やっぱり貴方は鋭いのね』
花びらのような唇から軽やかな笑い声が漏れた。
『でも、勘違いはしないで。たとえヘレナに水魔法を看破されたとしても、彼女の言い分を聞き入れるつもりはなかったわ』
『……なぜ?』
『言ったでしょう? 貴方の破邪魔法の素質についての論文を読んだと。もちろん問題になった認定用の論文や、ヘレナが過去に書いた論文も読みました。だからわかるわ。あの論文はヘレナには書けないと』
どくん、と心臓が高鳴った。
エメラインが――この国で女王の次に尊い直系王女が、ジーンの論文を読んでくれた。……評価してくれた。持って生まれた美貌ではなく、血のにじむような努力で身につけた知識を。
『素直に言うわ。私はあの時、貴方を私の研究所に誘うために魔法院長の部屋へ行ったの』
『……俺、を……?』
驚きのあまり口調が乱れても、エメラインは咎めなかった。
『貴方が盗作の濡れ衣を着せられてしまったら、私の研究所には誘えなくなってしまう。……だからあんな真似をしたの。貴方をヘレナに盗られないように』
自己嫌悪にかられているらしいお姫様は、きっと気づいていない。自分が今、どれだけ目の前の男の心を騒がせているのか。
『どうして……そこまで、俺を……』
『貴方が論文で、シルヴァーナ王家の直系王子について触れたから』
意外な言葉だった。
『始まりの乙女』から七百年、シルヴァーナ王国の玉座には女王が君臨し、直系王女たちが統治を支えてきた。王族の系譜に連なるのはほとんどが王女……女性だ。当代女王ブリジットもエメラインを含め五人の子がいるが、全員王女である。
しかし、シルヴァーナ王家に男子が生まれなかったわけではない。
一番最近でも二百年近く前だが、王子は存在した。さらにその前には、数十年に一人ほどのペースではあっても、王子は生まれてきていたのだ。
記録によれば、王子たちは一人の例外もなく破邪の力を持たず、魔力も低かった。れっきとした女王と王配の間に生まれた子なのに、だ。
破邪の力を持つ王女と、なんの力も持たずに生まれてくる王子。
『王子は女神に疎まれた存在だから破邪の力を授からない、というのが通説ですが……』
『そんな説にはなんの根拠もない。王子と王女の間には明確な違いがあり、それは破邪魔法使いのほとんどが女性である理由にもつながるはずだ――貴方はそう書いていましたね』
エメラインはすらすらとジーンの論文の内容を諳じてみせた。本当に読んでくれたのだ。何度も何度も、脳に刻み込まれるまで。
『……ジーン。私はお母様に破邪魔法の手ほどきを受けた時から、ずっと考えていたの。もしも王家に王女が生まれなくなったら……王子しか生まれなくなったら、シルヴァーナ王国はどうなるのかと』
『っ……!?』
『だって、多少の偏りはあっても、基本的に男女の出生比率は一対一よ。それがシルヴァーナ王家に限って九割以上の確率で女児が生まれる……それが七百年もの間ずっと続いているなんて、どう考えてもおかしいわ』
エメラインと同じことを、ジーンも考えた。だからエメラインが読んでくれたというあの論文を書いたのだ。
だがあの論文は、これまでほとんど注目も評価もされなかった。『女神の加護を受けた王家に、人間の常識が当てはまるわけがないだろう』と一蹴されておしまいだった。
それがまさか、当の女神の血筋の王女に評価されるとは……。
『お母様は五人の王女に恵まれた。だから次の女王に立たれるクローディアお姉様も、絶対に王女を産む。皆、そう信じて疑わないことが……私は恐ろしかった』
『エメライン殿下……』
『だから私と同じ疑問を抱く人が、しかも破邪魔法使いがいると知った時はとても嬉しかった』
エメラインは微笑み、ジーンに白い手を差し出す。
『お願いします、ジーン。私の研究所に入ってください。貴方のその深い洞察力と知識と魔法技術を、私に貸して欲しいの。いつか王家に王女が生まれなくなるかもしれない、その日に備えるために』
スラムの男娼が王女に請われ、王女の研究所所属の魔法使いになる。
夢のような成功譚だ。エメラインの手を取らない人間などいないだろう。これ以上の栄達など望めない。
ジーンの生涯最大最高の幸運。
『……本当に、私などでいいのですか?』
わかっていても――ジーンは問わずにはいられなかった。




