35・ジーンという男1(第三者視点)
シルヴァーナ王国の貴族は、由緒正しい血統と同じくらい……いや、それ以上に『美しく生まれつく』ことを重視する。
女神の血を宿し、王国の絶対的支配者として君臨する女王と直系王女。彼女たちの存在あってこそ、シルヴァーナ王国は小国ながら他国の尊崇を集め、大陸の華と謳われ、七百年もの長きにわたり独立を保ってきた。
ゆえに貴族男性には彼女たちの心を射止めるに足る美貌が。貴族女性には美しい息子を産み出せる美貌が求められる。シルヴァーナ王国において権勢を極めるには、女王やその一族に寵愛されるのが一番の早道だから。
美しい者はもてはやされ、そうでない者は常に劣等感に苛まれながら生きる。それがシルヴァーナの貴族社会だった。爵位が上がれば上がるほど、その傾向は強くなる。ましてや王配を輩出する『聖流』の一族ともなれば、醜く生まれた子はひそかに処分してしまうほど。
だからジーンの母親にとって最大の不幸は、間違いなく持って生まれた美貌だった。貧しい平民の両親から平民として生まれたはずなのに、貴族令嬢と言っても通るほど美しく生まれついてしまったのだ。
家計を助けるため、とある貴族家にメイドとして奉公に上がってすぐ、母親はその美貌を見初めた当主によって手込めにされた。しかし妊娠が発覚するや、当主は正妻の悋気を恐れ、妊婦の母親を屋敷から追い出してしまったという。
母親は実家に身を寄せ、どうにかジーンを産んだが、貴族のお手つきになって子まで産んだ母親は恥でしかないからと、ほどなく実家からも追い出されてしまったのである。
乳飲み子を抱えてスラムに流れ着いた母親は、街角に立って春をひさぐ最下級の娼婦に身を落とした。だが人生をねじ曲げた憎い男の息子であるジーンを疎むどころか、心から愛してくれた。
優しい母親を助けたくて、ジーンも物心ついたころには働いていた。ごみ漁りでも物乞いでも屋台の手伝いでも、子どもにでもできる仕事はなんだってやった。母親と二人、身を寄せ合って生きるささやかな幸せを守るために。
だがそんな日々は、ジーンが七歳のころ突然終わりを告げた。
母親と一緒に歩いていたらすぐ横に馬車が停まり、たくましい体格の男が降りてきた。地味だが質の良さそうな服装はスラムの住人ではありえなかったが、厳つい顔には見覚えがあった。半月ほど前、母親を買った客だ。
母親は自宅で『仕事』をするので、その間、ジーンに銅貨を一枚握らせて外に出す。ジーンは屋台で買った軽食を食べたり、あちこちでもらった仕事をこなしながら客が帰るのを待つのだが、半月前の客は明け方近くになっても帰ってくれなかった。
『よっぽどあんたの母さんを気に入ったんだろうさ』
『まだ若くて美人だからねえ。ひょっとして妾にしたいとか言い出すんじゃないのかい?』
『そうなったらスラムを抜け出せるのにねえ。お祭りで女王陛下のお顔を拝めるかもしれないよ』
母親の娼婦仲間はそんなふうに騒いでいたけれど、すっかり夜が明けてからやっと帰っていった客は、その後一度も姿を見せていなかった。ただの気まぐれだったのだと思っていたのに、再び現れた理由は。
『旦那様、この女です』
『きゃっ……!』
客は母親の細腕をねじり上げ、馬車の方へ突き出した。
『母さんになにするんだ! 放せ!』
ジーンは必死に母親を助けようとしたが、舌打ちをした客に蹴り飛ばされ、地べたに尻餅をついてしまった。馬車の奥からねっとりとした声が聞こえてくる。
『ほう……確かに、卑しい平民女とは思えぬ美形だな。これなら我が家にふさわしい、美しい子を産ませられるだろう』
『嫌っ! 放して!』
『決めた。連れて行く』
声の主が告げるや、客は母親を担ぎ上げ、荷物かなにかみたいに馬車へ放り込んだ。ジーンはさっさと乗り込もうとする客の腕にしがみつき、噛みついたが、またもやうっとうしそうに振り払われるだけだった。
『ジーン! ……ジーン!』
『母さん……母さんっ!』
互いに手を伸ばす母子を、無情に閉ざされる馬車の扉が隔てた。
走り去る馬車の窓から一瞬だけ見えた、母親を連れて行くよう命じた男の顔を、ジーンは一生忘れないだろう。端整だが傲慢さがにじみ出た鷲鼻の男……きっと貴族だ。ちらりと見えた耳元には三日月をかたどった黄金の耳飾りをつけていた。あんなものをつけるのは貴族くらいだ。
後に、ジーンは知る。
女王一族の寵愛を望むあまり美しい子を欲する貴族は、少しでも美しい子が生まれる確率を上げるため、『美女狩り』を行うのだと。
平民の美しく若い女をさらってきて、当主の子を産ませるのだ。生まれた子が美しければ女王一族に差し出すための教育を施して駒とし、抜きん出た美貌ならば正妻の子を差し置いて跡継ぎにされることもある一方、醜ければ捨てられる。
さらわれた女の末路はもっと悲惨だ。
体力の続く限り子を産まされ続け、妊娠できなくなれば家臣に下げ渡される……のは、まだましな方。娼館へ売られたり、スラムに捨てられることも珍しくない。
ジーンの母親は『美女狩り』に遭ったのだ。半月前の客はどこかの貴族の家臣で、主人に命令され探していたのだろう。美貌に恵まれた平民の女――突然消えても騒ぎにならない、都合のいい獲物を。
諦めろと、誰もが言った。母親には二度と会えない。死んだものと思い諦めろ、と。シルヴァーナ王国は貴賤の差が激しい。平民が貴族に楯突けば、殺されても文句は言えない。
うわべは納得して引き下がったふりをした。でも忘れられるはずがなかった。目の前で母親を奪われた怒りを、悲しみを、無力感を。
(貴族だ……)
母親の人生を狂わせたのも、ジーンから母親を奪ったのも貴族だった。……許せない。貴族が。平民をゴミクズみたいに平然と踏みにじる貴族が。
だがジーンが一番許せないのは、自分の身体にもそんな貴族の血が流れていることだった。
忌まわしい貴族の血。
それこそがジーンに、新たな運命をもたらすのだが――。
しばらくジーンの過去編が続きます。
この時代の女王はまだクローディアではなく、五姉妹の母親ブリジット女王です。




