34・さよならの光
あけましておめでとうございます。
本日より2月10日の『転生ものぐさ王女よ、食っちゃ寝ライフを目指せ!』第2巻発売まで、毎日更新していく予定です。
お付き合い頂ければ嬉しいです。
『貴方に伝えたいことはもっとたくさんあるけど……もう、時間のようね』
ガートルードのまぶたにかざしていた手を引き、エメラインは哀しく微笑んだ。目を閉ざしていてさえ感じ取れた存在感が、どんどん薄らいでいく。
(……待って! 駄目よ……いかないで! ずっと……ずっとここにいて!)
たとえ世界の理に逆らってでも、ここに――!
身勝手な願いを抱いた時、美しかったエメラインの姿がみるまに腐り落ち、象牙にも似た白骨と化した。
ひっ、と息を呑んだ直後、エメラインは元の馴染み深い姿を取り戻す。けれど、悟ってしまった。さっきのあの姿こそが現実……エメラインはすでに冥府へ降ってしまった。もはやガートルードとは住む世界が違う。
誰も……たとえ神でも、エメラインを現世に留めることはできない。生者と死者が言葉を交わすこの瞬間こそ奇跡なのだ。
『私の研究成果はすべてジーンに預けたわ。どんな道を選ぶにせよ、彼はきっと貴方の役に立ってくれる』
ガートルードと同じ色彩の瞳がジーンを見下ろした。家族に向けられるのとは違う、ほのかな熱のこもった眼差しは、ガートルードにある予感を抱かせる。
もしかして。
もしかしてエメラインにとってジーンは、ただの配下ではなかった……?
『だから……ジーンを助けてあげて。それが私の、最期の願い……』
(お姉様……エメラインお姉様……)
『思う通りに生きて、ガートルード。クローディアお姉様やドローレスお姉様、……亡きお母様やお父様も、きっとそう願っていらっしゃるはずだから』
(お姉様ぁぁ……っ……!)
ぱちりと開いた瞳に、つかの間、淡くまたたく光が映った。蛍の光みたいだと思った。さよならの光だ。
エメラインと今生で会えるのは、これが最後。
『思う通りに生きて』
(だったら、わたしは……)
ガートルードは泣きそうにゆがんでいた顔を引き締め、すっと顎を引いた。ただそれだけだったのに、左右から抱きかかえんばかりに手を掴んでいたレシェフモートとカイレンが静かに離れ、足元にひざまずく。小さな身体からにじみ出る気高き覇気ゆえに。
空中でホバリングしていたライが肩にとまった。ヴォルフラムが気圧されたように後ずさった。ジーンの苦しげな呼吸がかすかに和らいだ。
周囲の状況が手に取るようにわかるのは、目覚めた魔力が無数のセンサー代わりを務めているから。
「……エメライン・シルヴァーナ。汝を大地と天の果てへ送る」
大地と天の果て。太陽と大地が溶け合う地平線の彼方を思い浮かべながらガートルードは光に手を伸ばす。覚醒したばかりの魔力が溢れ出る。
もしもジーンの意識があったなら、驚嘆しただろう。ガートルードが発動させようとしているのは、破邪魔法『澡葬』。死せる魂の門出を言祝ぎ、大地と天の果て――冥府へ送る大魔法だから。
この魔法によって送り出された魂は生前に受けたあらゆる苦痛も呪いも浄化され、冥府で安らかな眠りを得るという。
本来は神々の領域である魂に干渉するこの魔法は、シルヴァーナの直系王女さえほとんどが発動させられない。ガートルードの四人の姉たちにも不可能だった。最も優秀な魔法使いだったエメラインすら。
歴史上、発動に成功したのは初代女王――『始まりの乙女』だけ。
書物が語るだけの魔法を、ガートルードは紡ぎ上げる。苦しみの中で死んだ姉に、せめて安らかに眠ってもらうために。
ガートルードの願いを受けた魔力は光へ、そして白い光をまとう無数の蝶へ変化した。前世では人の魂そのもの、復活の象徴とされていた蝶が、エメラインの魂を包み込む。
『ガートルード……』
刹那、エメラインの魂が生前の姿を取ったのは、ガートルードの魔力ゆえか、エメラインが最後の力を振り絞ったのか。
『……幸せに……』
エメラインは深く腰をかがめ、首を差し出すように頭を垂れる。それは王族女性が女王に対してのみ行う最高礼だ。
顔を上げたエメラインに、ガートルードは笑いかける。……泣いちゃ駄目だ。最後は、最後くらいは、笑顔で送り出したい。
「……汝が旅路に、……幸多からんことを……」
淡い光に戻ったエメラインを無数の蝶が包み、飛び立っていく。生者は決してたどり着けない、大地と天の果てへ。
「……、……っ……」
漏れそうになった嗚咽を、ガートルードは呑み込んだ。
(悲しむ必要なんてない)
エメラインがいったのは、ガートルードもいつかいく場所だ。生きとし生けるものは必ずそこへたどり着く。それが遅いか早いかの違いだけ。
……そう、信じていたのだ。この時は。
ひざまずいたレシェフモートとカイレンの美貌を彩る妖しい笑みは、見えなかったから。
その意味を知ることになるのは、ずっと、ずっと後だけれど……。
(さようなら、エメラインお姉様……)
また、会う日まで。
蝶の群れが彼方へ飛び去った後、ガートルードは床に落ちそうになったエメラインの指輪を受け止め、ヴォルフラムに向き直った。
「ヴォルフラム陛下」
「……!」
人目を気にしなくていい状況で、神部くんではなく陛下と呼んだ。それだけで、聡明なヴォルフラムは察したようだった。
ガートルードの心の内を。
「ジーンの……わたしの国の民のためにご尽力くださり、ありがとうございました。ジーンの治療はわたしが責任を持って行わせて頂こうと思いますが、よろしいでしょうか」
「……もちろんです。ガートルード殿下」
ガートルードが一礼すると、レシェフモートとカイレンが魔力を振るい、ジーンをソファに横たえた。全員に見下ろされても、ジーンはぴくりとも反応しない。精神の侵食はさらに悪化したのか。
でも、大丈夫。まだ間に合う。
「戻ってきなさい、ジーン。……貴方がいくべきなのは、そっちじゃないわ」
ガートルードはジーンの額に小さな手をかざし、破邪の魔力を発動させた。
蛍の光に別れを感じるのは、日本人独特の感性なのかなと思います。
『澡』には『洗う、すすぐ、清める』という意味があります。




