28・転生ものぐさ王女と皇宮の異変
光雷。
初めて聞く言葉とおみ足隊の所業に、ガートルードはぱちぱちと目をしばたたいた。
「我が女神が目覚められる二時間ほど前のことですが――」
そう前置きし、レシェフモートは説明してくれた。
皇宮上空に目がくらむほどの閃光が弾け、皇宮は混乱に陥ったそうだ。自然現象、敵対関係にある諸国からの魔法攻撃など、様々な原因が考えられ、正確な調査には時間がかかるそうだが、今のところ人的被害は強い光をうっかり直視してしまった者の視力が一時的に低下する程度らしい。
ヴォルフラムはその現象に『光雷』と仮の名を付け、この小鳥を託しがてら皇妃の宮殿を訪れた。そしてガートルードの無事を確認するや、小鳥を置いて次の懸念事項を片付けに行ったそうである。
「……それが、おみ足隊の暗黒の儀式からジーンを助けること?」
「はい。なんでもかの負け犬は、無数の赤いろうそくが灯された中、目出し帽と黒いローブ姿のおみ足隊に取り囲まれ、ぐるぐる回られながら謎の呪文を唱えられているとか」
「なにその暗黒の儀式」
前世の因習深い山奥の村で繰り広げられていそうな、怪しい光景を想像してしまい、ガートルードは震えた。その『謎の呪文』が村に伝わるわらべ歌だったり、それになぞらえた殺人事件が起きたりすれば完璧なのだが、幸いジーンはひたすら謎の呪文を唱えられ続けているだけらしい。
(……いや、『だけ』じゃないわね。そんな状況、わたしだったら絶対に嫌。心が折れそう)
思わず口をへの字にしてしまったガートルードに同意するように、小鳥が『ちゅん』と鳴く。
「おみ足隊は光雷の発生前から儀式を執り行っており、最初は皇宮警備隊が、次は近衛騎士団長が、さらに皇帝の侍従が説得に当たりましたが、おみ足隊は受け入れず儀式を続行。とうとう皇帝が駆り出されることになりました」
だんだん説得役がランクアップしている。
近衛騎士団長はリュディガー、皇帝の侍従はヨナタンだろう。公的な地位はなにもない、元奴隷のおみ足隊よりもずっと高位の存在だ。なのにおみ足隊を説得できず、皇帝を投入とは。
「……モルガンはなにをしているの?」
おみ足隊はガートルードをおみ足の女神と崇め奉っているが、統率するのはモルガンだ。彼が一言命じれば、おみ足隊は暗黒の儀式とやらをすぐさまやめるだろうに。
「昏睡しております」
「……えっ?」
予想外の答えに困惑していると、今度はカイレンが教えてくれる。
「疾病のたぐいではなく、単なる魔力の枯渇です。数日眠れば回復するでしょう」
「モルガンが、魔力枯渇……?」
まだ魔法を習っていないガートルードには経験がないが、体内の魔力を使いすぎるとすさまじい倦怠感に襲われるそうだ。そこでやめれば一晩ゆっくり寝て起きる程度で回復する。
しかし無理を重ねて魔力を完全に使いきった状態――魔力枯渇に陥ると昏倒し、しばらく眠り続けてしまうのだ。今のモルガンのように。
(モルガン、いったいなにをしたの……)
魔力枯渇による昏睡は魔法使いにとって致命的なので、優れた経験豊かな魔法使いほど魔力が枯渇しないよう注意深く立ち回る。あの初代皇帝と戦った時だって、モルガンはまだ余裕があるように見えたのに。
「従者の話では、大量の『風』を飛ばしていたそうです」
レシェフモートの言う『風』とは、己の魔力を含ませた風を任意の場所へ飛ばす魔法だ。
魔力が術者の目や耳代わりを務め、周囲を偵察できる。一度に広範囲の偵察が可能な上障害物の影響も受けないため重宝されるが、遣い手は非常に少なく、『風』が使えるだけで軍などでは厚待遇が約束されるという。
「もしかして……シルヴァーナの状況を探るために?」
「おそらくは」
「おみ足が妾の姫御子以外の人間のために、身を削るはずがありません」
レシェフモートとカイレンが同意し、小鳥もこくこくと首を上下させる。可愛らしい仕草だが、ガートルードの心は浮き立たない。
(……モルガン……)
王女たるガートルードが寝ている間に、モルガンは休まず働き続けていたのだ。ブラックモア侯爵家の領地や家臣に災厄が降りかかり、自分自身の身分すら危うい状況で。
モルガンはクローディア女王の使者として帝国を訪れた。大切なもののほとんどは、故国に置いてきてしまっただろうに。
「ちゅん」
小鳥が羽ばたき、ガートルードの肩にとまった。喉を震わせ、極上の笛にも似た音色で琅々(ろうろう)とさえずり始める。
傷ついた真珠をそっとたなごころに載せて包み込むような、つややかなのに優しい旋律だった。詞はなくても、小鳥がガートルードを慰めようとしてくれているのが伝わってくる。
「……ありがとう。貴方は優しいのね」
歌い終えた小鳥の頭を指先で撫でてやれば、小鳥はつぶらな目を嬉しそうに細めた。あのレシェフモートとカイレンが黙って小鳥の好きなようにさせているのだから、彼らも旋律に魅了されたのだろう。
……ガートルードは知らない。自分の死角で二人と一羽が視線を交わし、一羽が得意げに胸を張り、二人が苦虫を噛み潰したような顔をしたことを。
「貴方は……えっと、お名前はなにかしら。神部くんはなにか言っていた?」
ぴく、と翼を震わせる小鳥に、レシェフモートとカイレンはにやにやと笑う。
「そうですね……本決まりではありませんが、候補はあるそうです。『マクロファージ』とか……」
「『タビ』……、とか」
楽しそうに告げる二人だが、小鳥の名前にマクロファージってなんなのだ。前世の細胞が働く漫画で見た記憶があるけれど、小鳥にはちょっと向いていない気がする。
(タビは……可愛いと言えば可愛いかもだけど……)
うーん、と悩むガートルードの髪を小鳥が咥え、くいくいと引っ張った。肩口でぴょんぴょん跳ぶ墨染色の小さな身体からは『断固拒否!』の気配が発散されている。
「どちらも嫌なの?」
「ちゅん! ……ちゅん!」
小鳥は猛烈な勢いで何度も頷くと、またガートルードの髪を引っ張った。訴えかけるような瞳から、ガートルードはなんとなく察する。
「……ひょっとして、わたしに名前をつけて欲しいの?」
「ちゅん!」
そう! と言わんばかりに、小鳥は高く鳴いた。




