27・転生ものぐさ王女と共犯者たち
春の青空にも似たつぶらな瞳にじっと見つめられた瞬間、ガートルードの脳裏に桜の大木が浮かび上がる。馴染んだ薄紅色ではなく、墨染色の花を咲かせた……。
「……貴方は……」
「ちゅん」
「貴方、……は……」
「ちゅん、ちゅん」
知っている。ガートルードはこの小鳥を、小さな身体に宿る存在を知っている。
でも、思い出せない。
大切な人なのに。
やっと会えた、……なのに……!
「我が女神」
「妾の姫御子」
歯噛みするガートルードの寝台のかたわらに、レシェフモートとカイレンがひざまずいた。
「お目覚めをお待ちしておりました。ご気分はいかがでしょうか? なにか召し上がりたいものはありませんか?」
「まだお顔の色が優れませんね。おかわいそうに……やはり妾の懐でもう少しお休みになった方が良いのでは……」
レシェフモートの周囲にありとあらゆる料理やデザートの皿が浮かび、カイレンが小袿の袖にガートルードを包もうとする。小鳥のことなどまるで気にかけない、いや、そこにいるのが当然とばかりの態度にガートルードは面食らう。
「……ちょっと待って、二人とも。ご飯や休息よりも、わたしはこの子の方が気になるんだけど」
「ちゅん」
もっともだ、と相槌を打つように鳴く小鳥の賢さと愛らしさにガートルードの胸はときめいた。前世は可愛い愛玩動物と一緒に暮らしてみたかったが、あの両親が許してくれるわけもなかったし、愛玩動物を受け入れられるような環境でもなかったのだ。
「……、…………皇帝と我が女神の夢の通い路から、我が女神を追いかけてきたそうです」
「え? 夢の通い路?」
レシェフモートに言われて思い出す。ジーンとの対面から皇妃の宮殿に戻り、泣き疲れて眠ってしまった後に見た、不思議な夢のことを。
懐かしい前世の中学校の音楽室でセーラー服をまとい、ピアノを弾いていた。すると制服姿のヴォルフラムが現れ、胸に渦巻いていた鬱屈をぶちまけ、女神シルヴァーナにまつわる疑問を話し合って……。
そこまで順調に思い出し、ガートルードはかあっと赤面する。
(わ、わたし、神部くんの前で子どもみたいに泣きわめいちゃった……)
いや、この身体は正真正銘六歳の子どもなのだが、中身は三十三歳のいい歳をした大人なのだ。それはヴォルフラムだって知っている。
お姉様に会いたい、と泣きじゃくる三十三歳をヴォルフラムは優しく慰めてくれた。帝国へ輿入れしたのはガートルードの望みであり、食っちゃ寝ライフしか眼中になかったと吐露したのに、呆れるどころか人間なら当たり前だと受け止めてくれた。
『君にしてみれば、なんでもないことをしただけたんだろうね。でも僕はあの時の君に救われた。聖女でも女神でも王女でもない、ただの櫻井佳那が僕を救ってくれた』
ただの、櫻井佳那が。
そう言ってくれた時の懐かしさと情熱の入り交じった表情を、この胸の高鳴りを、ガートルードは覚えている。夢の中であっても、あれは確かに現実だった。
(嬉しかった)
『櫻井佳那』に感謝してくれた人は、前世にもいなかった。弟妹たちは佳那が母親代わりを務めるのは当然だと思っていた。佳那の死を悲しんだかもしれないが、その後は何事もなかったように自分の生活に戻っていっただろう。
いや、腹の中の赤ん坊と義母の介護の押し付け先を失った母が彼らのもとへ『お前が介護しながら育てろ!』と順番に押しかけていっただろうから、どうして死んだんだと恨まれたかもしれない。母が真っ先に押しかけたのは、一番上の妹の佐那だろうが……。
……その後、七百年前を境に一変してしまった女神シルヴァーナは、同一人物ではなく別の人間、否、神ではないかと結論がつきかけたところで、ピアノが狂おしい旋律を奏で始めて。
そうしたら頭がくらくらして……崩れ落ちる校舎からヴォルフラムが救い出してくれて……それから、それから……。
(……墨染の、桜……)
ざああ、と舞い上がる花びらのカーテンの向こうに、懐かしい人の面影を見つけた。
手を伸ばした。指先が触れ合った。
そのまま掴んだと思った。
思った、のに――。
「我が女神」
「妾の姫御子」
ぐらりと揺らいだ肩を、レシェフモートとカイレンが左右からそっと支えてくれた。力の抜けかけた指先から小鳥がガートルードの膝に降り、つぶらな瞳で見上げる。大丈夫? と案じるように。
「……ありがとう。わたしは大丈夫よ」
「ちゅん」
「レシェもカイレンもありがとう。……ちょっと、頭がぼんやりしてるみたい」
見つめ合うガートルードと小鳥を複雑そうに眺めていた二人の魔獣の王は、金のタンザナイトの瞳をそれぞれ甘く細めた。
「無理もありません。我が女神はずいぶんうなされておいででしたから」
「眠っていらしたのは数時間程度でしたが、もっと眠り続けられるようなら妾の懐にお迎えしようかと思っていたのですよ」
今目覚めて良かった、とガートルードは心から思った。カイレンの懐に抱えられたら、何日も眠り続けさせられてしまいそうだ。
(それにしても、数時間?)
もっと長い間眠っていたように感じるのは、あの夢があまりに濃厚だったからだろうか。生きた小鳥が抜け出してきてしまうほどに……。
ふと疑問が浮かび、ガートルードは首を傾げた。真似をして首をこてんと傾げる小鳥が可愛らしい。
「……ねえ、この子がわたしと神部くんの夢の通い路からわたしを追いかけてきたって、教えてくれたのは神部くん……よね?」
「はい、おっしゃる通りです。あの者が先ほどひそかにここを訪ね、コレを託していきました」
レシェフモートの説明で、疑問はますます強くなる。
「じゃあ神部くんは、今どこに? ……なにかあったの?」
あのヴォルフラムがここまで来たのに、小鳥だけを託して行ってしまうのは不自然な気がする。レシェフモートの様子では、手紙や伝言のたぐいもなさそうだ。
「…………」
レシェフモートとカイレン、そしてなぜか小鳥までもが顔を見合わせる。
柳眉を下げ、口を開いたのはカイレンだった。
「……皇帝は光雷の被害調査と、……おみ足隊の暗黒の儀式から負け犬を救出しに向かいました」
お忘れの方も多いと思いますので補足しますと、前世のガートルード(佳那)の母親は、佳那が亡くなる直前に妊娠していました。佳那の一番下の妹とも一回り以上年下、佳那とは三十歳下のきょうだいですね。




