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24・世界の法則から外れた者(第三者視点)

 ぱたぱた、ぱたた……っ……。



 近づいてくる小さな羽音を、狼と蜘蛛、そして大蛇おろちと竜の混ざり合った影の主たちは聞き逃さなかった。雷雲を粉砕してからも上空に待機させていた影を操り、飛来したソレを捕らえ、本体のもとへ……眠る幼い女神の寝室へ引きずり寄せる。



「おやおや。これはこれは」



 大蛇と竜の影をまとわりつかせながら、カイレンが小袿の袖で嘲笑にゆがむ唇を覆い隠した。



「なんとも珍妙な生き物が釣れたものだ」



 狼と蜘蛛の影を従えたレシェフモートは、蜘蛛の糸にがんじからめにされ、床でじたばたともがく小さな生き物……ヴォルフラムの執務室から飛び立っていった小鳥を見下ろす。

 奇しくもジークフリートと同じ表現を用いつつも、そこには温もりのかけらもない。金色の双眸に宿るのは嗜虐と、かすかな焦燥だけ。



「珍妙……まことに珍妙な」



 吟ずるようにつぶやき、カイレンは毛布からはみ出たガートルードの小さな手に己のそれを重ねた。万が一にも幼い女神が目覚めてしまわぬよう、卵の殻のような魔力で包み込む。



けだものの姿に本性を秘めるとは。わたくしたち魔獣の王と反対ではありませぬか」



 レシェフモートやカイレン――魔獣の王が人の姿を取るのは、どうしようもなく惹かれてしまった人間の愛を勝ち取るためであり、本性はあくまで獣だ。

 対して小鳥、いや、小鳥に見せかけているこの生き物は。



「人でありながら獣と偽り、女神の気配まで漂わせる『男』……貴様、何者だ?」



 レシェフモートが金の瞳を不穏に光らせると、蜘蛛の糸に囚われた小鳥が宙に浮かび上がった。

 痛々しいその姿は、再び金の瞳がまたたくや、みるみる変化していく。てのひらに載るサイズの愛玩動物から、学生服をまとった黒髪黒瞳の少年に。



 年頃は急成長を遂げたヴォルフラムと同じくらいか。長く伸ばした前髪から覗く白皙の面は月夜の松原を吹き抜ける風のような涼やかさと、大人でも子どもでもない者独特のなまめかしさが溶け合っている。レシェフモートやカイレンと並んでも、決して見劣りはしないだろう。



「……っ……、これ、は……?」



 蜘蛛の糸に拘束された少年はかすれた声を漏らし、びくっと全身を震わせた。まるで自分の声に、いや、声が出たことに驚いたように。



 哀れをもよおしたのか、はたまた更なる困惑に追い込んでやろうとしたのか、カイレンがすっと少年を指差した。すると少年の目の前に水の球が出現し、またたく間に楕円形の鏡へ変化する。



 曇りひとつない鏡面に映し出された己の姿に、少年は愕然と目を見開いた。



「どうして……」

「私の中の女神の血と、貴様に残された女神の残滓を共鳴させ、増幅させたからだ」



 淡々と告げるレシェフモートの声音には、隠しきれない苛立ちがにじんでいる。



 少年が獣の姿を借りて現れる前から――その気配が皇宮に生じた時から、レシェフモートは嗅ぎ取っていた。最も忌まわしく呪わしい女と同じ気配を、その片鱗を。



 ガートルードを自力では目覚められぬ深い眠りに落としてでも、この手で捕らえに行ってやろうと思っていた。わざわざあちらから出向いてくれたのなら、逃しはしない。ガートルードの前では秘め続けてきた獣性が、レシェフモートの金の双眸を妖しくぎらつかせる。



「答えろ。……貴様は、何者だ?」



 ぎり、と蜘蛛の糸が少年を締め上げる。



「偽りは許さぬ。く答えろ。女神シルヴァーナ……あの忌まわしい女の気配を漂わせながら、あの女ではない貴様は何者だ?」



 歴戦の猛者すら生きた心地がしないだろう殺気を浴びてもなお、少年は怯まない。息苦しさに喘ぎもしない。カイレンすらひそかに感心するほどの肝の据わりようで、金の瞳を見つめ返す。



「――答えられない」

「そうか。では死ね」



 レシェフモートの下肢から一本の蜘蛛脚が出現し、唸りを上げながら少年に襲いかかる。刃よりも研ぎ澄まされたそれは痛みを感じさせる間も与えず、少年の首を切断した。



 直後。



「……はあ」



 物憂げな息を吐いたのは、床に転がった少年の生首だった。さらされた切断面からも、蜘蛛糸に囚われたままの胴体からも、一滴の血もしたたってはいない。



「無駄だよ」



 また嘆息した生首がふわりと浮き上がった。切断面に載ったとたん、一筋の痕すら残さず傷口はふさがる。



「何度やったって同じだ。俺は誰にも殺せない」

「貴様……」

「その理由も俺の口からは言えないが、……あんたたちなら察しはつくんじゃないか?」



 挑発的な視線を受け止め、レシェフモートはカイレンと顔を見合わせた。静謐な表情からカイレンが自分と同じ考えだと悟り、少年に向き直る。



「殺せない……正確に言えば、『死ぬことができない』のか?」

「さすがだな。一度で理解してもらえるとは思わなかった」



 少年はぱちぱちと黒い瞳をしばたたいた。見る者を不安にさせる麗しい顔に、年相応の幼さが漂う。



「そう、俺はこの世界の法則から外れた存在だ。心残りが強すぎて往生際悪くしがみついていたけど、その心残りもなくなって……なくなったと思って消えかけたら、お人好しのおかげでまたしがみつけた」

「お人好し……」



 レシェフモートの頭にヴォルフラムが浮かんだのは、あの皇帝がガートルードと同じ世界から転生してきた人物だからだ。

 獣を偽る目の前の少年からは、ヴォルフラムと……認めるのは業腹だが、ガートルードとも同じ気配を感じる。



 ガートルード、ヴォルフラム、少年。

 世界を越えても断ち切れない絆が、三人をつないでいる。



「以前の俺と比べたら、ミジンコみたいなものだけどな。だからこそかろうじてしがみつけた」



 レシェフモートが焼きつくような嫉妬を噛み締めているとも知らず、少年はつぶやいた。



「……とは言え、貴様がこの世界の法則から外れた存在であることに変わりはない」

「ゆえに、この世界の法則のもとに生きる者には、お前を死なせることができない。そういうわけですね」



 レシェフモートにカイレンが続け、眉をひそめた。きっとカイレンも気づいたのだろう。己が世界の法則から外れた存在だと……魔獣の王二人がかりでも殺せないのだと実証するため、敢えてレシェフモートの攻撃を受けたのだと。



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