23・閃光(第三者視点)
騎士歌人とは、宮廷において高貴な女性への賞賛や愛の叙情詩を歌い上げる騎士のことだ。ヴォルフラムの前世の中世ヨーロッパにも同様の存在はおり、トゥルバドゥールとも呼ばれていた。
歌唱力はもちろん、深い教養や機転、礼儀作法なども要求されるため、高位貴族出身の騎士歌人も珍しくない。帝国の宮廷にも何人か出入りしているし、大陸中の宮廷から引っ張りだこの人気騎士歌人もいる。王妃や貴族夫人に寵愛され、夫公認の愛人におさまるケースもあるらしい。
さすがに公爵子息が騎士歌人になったケースは聞いたためしがないが、ジークフリートの実家ブライトクロイツ公爵家は取り潰されている。対魔騎士団団長の座も退いた今、ジークフリートを縛るものはない。
ヴォルフラムの警護をしてくれているのも、半分は身元保証人になってくれたリュディガーへの義理立て、もう半分は父ブライトクロイツ公爵の罪滅ぼしといったところだろう。ジークフリートは望めばいつなりと、騎士歌人にでも他のなんにでもなれる立場なのだ。
「……ジークフリートが騎士歌人になったら、大陸中の宮廷から声がかかりそうだな」
なんとなくジークフリートの望みを察してしまったヴォルフラムに、ジークフリートは微苦笑した。
「それはありえないでしょう。私が詩を捧げたい貴婦人は、たったお一人だけですから」
「……その貴婦人が望めば、剣も捧げるのか?」
「はい。貴婦人が苦難の中に在られる時こそ、降り注ぐ災厄を防ぐ盾となり、道を切り開く剣でありたいと思います」
「ちゅん」
無言だった小鳥が鳴いた。片方の翼だけを広げた姿は、剣を掲げた騎士のようにも見える。
「ひょっとして……お前も櫻井さ、いや、皇妃殿下の騎士になると言いたいのか?」
「ちゅん、ちゅんっ!」
そうだと猛烈アピールするかのように、小鳥はその場でばさばさと羽ばたいてみせた。ふわふわ毛玉が浮いたり落ちたりする様は勇ましさゼロだが、笑いを誘われてしまう。
「ふっ……」
ジークフリートも同じだったようで、笑い混じりの吐息を漏らした。まとう空気が柔らかくなる。
「陛下。私はこの者を信じて良いと思います。どこの世界からやって来たのかはわかりませんが、貴婦人に対する思いは本物のようですから」
「……そう、だな」
高い眼識を持つジークフリートが断言するのなら、信じてもいいのだろう。……いや。
(僕も、信じたい)
この小鳥はガートルードを守るため、ここまで追いかけてきたのだと――そう、今度こそ……。
「ならばまずは、名前をつけてやらねばなりませんね」
「え? 名前?」
「『陛下のご愛鳥』がいつまでも名無しでは不自然ですし、かわいそうでしょう?」
かわいそう、……かわいそう?
ヴォルフラムはじっと小鳥を観察するが、見返してくる青い瞳はそのつぶらさに反して眼光鋭く、ふてぶてしささえ感じさせる。かわいそうな要素はどこにもない。しかし名無しのままでは不自然、というのはもっともである。
「名付けるのはいいが、誰が考えるんだ?」
「それはもちろん、陛下でしょう。『陛下のご愛鳥』なのですから」
「私が……?」
ヴォルフラムは戸惑った。愛玩動物の名前を飼い主が考えるのは当たり前だが、前世を通じて愛玩動物を飼った経験は皆無。独身のまま事故死したため、我が子に名付けたこともない。
「……名付けって、どうすればいいんだ?」
悩んだ末に助けを求めると、ジークフリートは首をひねった。
「私も経験はありませんが……そうですね、好きなものから取ったり、こうなって欲しいという願望を込めて付けたりすることが多いようです」
「好きなもの、願望……」
真っ先に思い浮かぶのはガートルードだが、もちろん彼女の名を取るわけにはいかない。前世にまで思いを馳せ、うんうん唸った末にヴォルフラムは口を開く。
「マクロファージとか……」
「ちゅんっ!?」
マクロファージはヒトを含む動物の組織内に分布する、アメーバ状の細胞である。体内に侵入してきた細菌やウイルスなどの異物を捕らえ、消化すると同時に、その異物の免疫情報をリンパ球に伝えるという非常に重要な役割を果たす。この小鳥にも、そういう重要な存在になって欲しい。……決して、別名の『貪食細菌』にすさまじい食べっぷりを重ねたわけではない。
「あるいは、タビとか……」
タビ――TAVIはTranscatheter Aortic Valve Implantation、すなわち経カテーテル大動脈留置術の略称である。心臓の大動脈弁狭窄症をカテーテルにより低侵襲で治療する手術法で、前世のヴォルフラムも何度も参加し、重症だった患者が健康を取り戻すところを目の当たりにしてきた。
「ちゅん! ちゅんっ!」
どちらもヴォルフラムの願望あるいは好きなものなのに、小鳥は羽毛を逆立てて抗議する。高い鳴き声を人間の言葉に通訳するなら、『絶対に嫌だ』だろうか。
「本人が嫌がっているのなら、避けるべきなのでは……」
眼差しでジークフリートに助けを求めるが、微妙な表情で顔を逸らされてしまう。ジークフリートには名前の由来がわからないはずなのに、センスのなさをそこはかとなく責められているように感じるのはなぜなのか。
(……どうしろと?)
弱り果てた時だった。凍りついた手にぞろりと撫でられたような感覚が、背中に走ったのは。
「っ……」
「ちゅん……!」
とっさに窓辺へ駆け寄ったのは、直感としか言いようがなかった。開け放った窓からヴォルフラムが身を乗り出すより早く、小鳥が弾丸のような勢いで飛び出していく。
「陛下!」
ジークフリートが窓枠にかけたヴォルフラムの手を掴み、ぐいと引き寄せる。なにをする、と抗議する間もなく、ヴォルフラムは執務机の下に押し倒された。ジークフリートの鍛えられた長身が覆い被さってきた直後、窓の外に閃光が弾ける。
「うっ……!?」
前世の暴動鎮圧に用いられた閃光手榴弾を連想させるほど強烈なそれを直視していたら、網膜を焼かれてしまったかもしれない。
(あれは、雷……?)
しかし遅れてとどろくはずの雷鳴は聞こえてこず、代わりにあちこちから悲鳴や人々の慌てふためく気配が伝わってくる。
突然の閃光により、皇宮は混乱に陥ったらしい。すぐにでも原因と被害を究明し、対応しなければならないのはわかっているが。
「……おい、マクロファージ! どこに行ったんだ!?」
ジークフリートに覆い被さられたまま、開いた窓に向かい、ヴォルフラムは必死に手を伸ばさずにはいられなかった。




