20・おみ足隊と暗黒の儀式(第三者視点)
「……様。ヴォルフラム様」
遠慮がちに肩を揺さぶられ、ヴォルフラムは勢いよく身を起こした。きょろきょろとあたりを見回す。馴染んだ執務室だ。間違いない。
そして自分が突っ伏して眠り込んでいたのは、書類が山積みになった重厚な執務机。嫌になるくらい、いつもの光景だ。墨染の桜もガートルードも、……も、いない……。
「ちゅん」
「……っ!?」
耳元で聞こえた愛らしい鳴き声に思考を中断され、ヴォルフラムは椅子から跳び上がりそうになった。とん、と肩からなにかが飛び立つ。
「……はっ……?」
ぱたぱたと羽音をたて、執務机に舞い降りたのは小鳥だ。サイズは前世のセキセイインコくらいか。墨染色の羽毛に丸みを帯びたフォルム、桜色のくちばし、つぶらな青い瞳が愛らしい。可愛いものに目がない令嬢なら、飼いたいと両親にねだるだろうが――。
「……なんだ、コレは?」
ヴォルフラムは見覚えのない生き物を凝視する。皇帝の執務室、皇宮で最も厳しく警備された空間には、蟻一匹入り込む隙もないはずなのに。
「『なんだ』って、ヴォルフラム様のご愛鳥ではありませんか」
起こしてくれたヨナタンが呆れた表情で言い、白磁のコーヒーカップをヴォルフラムの前に置いた。ソーサーにはバタークッキーが二枚添えられている。ヴォルフラムの好みに合わせ、少し硬めに焼かれたものだ。
「は? ……ぼ、……私の愛鳥?」
愛鳥、つまりは愛玩動物である。犬や猫に並び、小鳥は貴族の愛玩動物としては珍しくない。けれどヴォルフラムにはこんな小鳥を飼った覚えなどないし、それに。
(これが愛玩動物だって?)
確かに見た目だけは可愛らしい。
だがつぶらな瞳に宿る熟練の猟師すら欺きそうな知性と狡猾さは愛玩動物ではなく、猛禽のそれだ。
加えて……なぜだろう。小鳥を見ていると胸が不穏にざわめく。美しいのに悲しい光景が浮かんでくる。
果てのない荒野。桜の大木。舞い散る墨染の花びら。その向こうで微笑むのは、……微笑むのは……。
「……っ……」
「ヴォルフラム様? 大丈夫ですか?」
ずきんと鈍く痛んだ頭をとっさに押さえると、ヨナタンが心配そうに覗き込んできた。洒落者の彼は首元に毎日違うスカーフを結ぶが、今日のスカーフは寝落ちしてしまう前に見たのと同じだ。窓の外の太陽の位置もほぼ変わらない。
(ということは、やはりあれは夢……)
ヴォルフラムは前髪をかき上げ、夢の記憶をたどった。
……懐かしい前世の中学校。ピアノの音色。制服姿のガートルードと自分。彼女が吐き出した本音と慟哭。オズワルドへの怒り。
女神シルヴァーナに対する疑問。七百年前を境に一変した行動……。
「『女神シルヴァーナは二人いる』……」
ぽつりと漏れたつぶやきが、記憶の扉をノックした。
(……そうだ、あの時……ピアノが……)
ヴォルフラムとガートルード以外誰もいないはずだったのに、ピアノが勝手に演奏を始めた。狂おしい旋律に混じり、無機質な声が聞こえてきて……崩壊し始めた校舎から脱出したら、墨染の桜の大木にたどり着いて、そうしたら夢が覚めて……?
『お人好しめ』
……違う!
いたのだ。彼は、確かにそこにいた。彼の存在をかき消そうとする無機質な声に抗い、ヴォルフラムは彼の名前を思い出した。ただ彼女を悲しませたくない一心で……いや、そんなお綺麗な理由だけじゃない。半分以上はもう意地だった。絶対に逃がすものかと必死だった。
だって、だって彼は。
……あいつ、……は……。
「くそ……っ!」
思い出せたはずの、ついさっき口にしたはずの名前がどうしても出てこない。一心不乱にピアノを弾いていた姿にも濃い靄がかかり、たぐり寄せようとすればするほど遠ざかっていく。
(……これが『エラー修正』なのか?)
あの理不尽な力に、ヴォルフラムは屈したのか。残り1%の可能性を逃してしまった?
「ヴォルフラム様?」
「っ……、大丈夫だ」
ヨナタンにまた心配そうな声をかけられ、ヴォルフラムは絡みつく思考を振り切った。姉ニーナの不始末で心を痛めている従兄に、よけいなストレスを与えたくない。
心を落ち着かせようと、ヴォルフラムはコーヒーを飲んだ。ついでにつまもうとしたバタークッキーを、素早く動いた小鳥がくちばしに咥えて奪い取る。
「あっ」
ヴォルフラムが呆然とする間に、クッキーは小鳥の口の中に消えていった。ばりぼりと豪快な音は、もしやクッキーを噛み砕いているのだろうか。鳥類に歯は存在せず、基本的に餌を丸飲みにしてから腹の中ですり潰すものなのだが。
(やっぱりこいつ、小鳥なんかじゃないのでは?)
疑惑を強めたヴォルフラムが口の中を覗いてやろうとしたら、小鳥はすかさず飛び上がり、ヨナタンの肩にとまった。もう一枚のバタークッキーをしっかり咥えて。
ばりぼり、ばりぼり。
「ははは、ご愛鳥様は今日も可愛らしいですねえ」
ちっとも可愛らしくない音をたてる小鳥にヨナタンは目を細め、『お腹が空いていらっしゃるようなので、お代わりを取って参ります』と部屋を出て行った。その肩から小鳥が再び執務机に舞い降りる。
軽いめまいを覚えつつもヴォルフラムは控えの侍従たちを呼び、この小鳥を知っているかどうか問うたが、皆不思議そうな顔で『陛下のご愛鳥ですよね……?』と答えるばかり。突然現れたはずの小鳥がヴォルフラムの愛玩動物だと、信じて疑わないありさまだった。そのくせ小鳥の名前は一人も答えられない不自然さ。
『……1%……』
頭の奥で無機質な声が響き、ずきんと頭が痛んだ。
(そうだ……『エラー修正』は完了していない。1%残っている……)
「『1%でも可能性があるのなら、それは』……」
「失礼します」
ノックの音の直後に入ってきたのは、ジークフリートだった。なぜか焼き菓子が山ほど盛られた皿を手にしているが、もちろん給仕は騎士の仕事ではない。
「ジークフリート? どうしたんだ、それは」
「ちょうどそこで侍従どのと行き合ったのです。陛下にお菓子をお持ちしなければならないのだが、緊急の用件ができてしまったと言うので、私が代わりに」
元対魔騎士団団長で野営に馴染んでいるだけあり、ジークフリートは慣れた手つきで皿を執務机に置いた。ガートルードが居合わせたなら、『騎士喫茶もアリかも……』と唸ったかもしれないが、ヴォルフラムが気になったのは別のことだ。
「緊急の用件とは?」
「なんでも、おみ足隊がジーンどのを生け贄に捧げて暗黒の儀式を執り行っているとか……うん?」
ジークフリートが小鳥を見下ろし、眉を寄せた。オパールの瞳に疑念がにじむ。
「なんですか、この珍妙な生き物は」
「……えっ?」
「魔獣……ではないな、瘴気がない。だが見た目通りの小鳥でもない……膨大な魔力を感じる……」
淡々と分析するジークフリートに、ヴォルフラムは目を見張る。ジークフリートは小鳥がヴォルフラムの愛玩動物だと言わなかった――小鳥の存在を正しく認識しているのだ。
(待て、それよりおみ足隊がジーンを生け贄に捧げて暗黒の儀式、ってなんなんだよ。暗黒神でも召喚しようとしてるの? 世界をおみ足で染め上げるために?)
重要な情報が脳内で錯綜しまくり、ヴォルフラムは叫んだ。
「ジーンがおみ足隊で珍妙な生き物が暗黒の儀式を執り行ってるってどういうことなんだ!?」
委員長は 委員鳥に クラスチェンジ した!




