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18・『エラー修正』(第三者視点)

『転生ものぐさ王女よ、食っちゃ寝ライフを目指せ!』投稿数200話を突破しました。お読み下さる皆さま、ありがとうございます。感謝をこめて今日は2話同時に更新させて頂きます。

こちらは1話目です。最新話からご覧になる方はご注意ください。

「シルヴァーナにいたころは、あまりに昔のことだから伝わっていないだけだと思っていたの。……と言うか、食っちゃ寝するのに夢中で、他のことは考えていなかっただけなんだけど」



 ヴォルフラムがそっと離れると、ガートルードはかぶせられた上着をまくり上げた。あらわになった碧眼は涙に洗われ、理知の光を宿している。



「でも前世では、千年以上前の歴史だって伝わっていたし、学校でも習ったわよね。なのにこちらの世界で崇拝されていて、しかも実在する女神の記録が、七百年分しか存在しないっていうのは……」

「……確かに、不自然だね」



 前世のヴォルフラムたちが生きていた時代より七百年前は、鎌倉時代の末期に当たる。千年前なら平安時代。藤原氏による摂関政治が続いていた時代であり、判明していないことも多いが、ガートルードの言う通り大まかな歴史上の出来事は現代にも伝わっている。



 文字を持たない民族が侵略や災害などの要因によって数を減らされ、散り散りになってしまい、口伝によって受け継がれてきた歴史と文化を失うことは前世でもあった。今生にもそうした民族はいるだろう。



 だが女神に関するすべての記録が綺麗さっぱり消え失せる、というのは、ガートルードも推察する通りあまりに不自然だ。



 七百年前を境に、傍観から積極的な干渉――それも人の世に混沌をもたらす行動ばかり――へ転じた女神シルヴァーナ。

 それほどに『始まりの乙女』が魅力的だったのだろうか。いや、乙女を救うために降臨したのならば、乙女を天上に召し上げて以降は地上に干渉する必要などなかったはずだ。



「……まるで、別人みたいだな」

「っ……!?」



 なにげなく漏らしたつぶやきだったのに、ガートルードは弾かれたように顔を上げた。



「神部くん、……今、なんて?」

「え? いや、だから……七百年前『始まりの乙女』のもとに降臨した女神シルヴァーナと、それより過去の女神シルヴァーナは、まるで別人みたいだなって……思ったんだけど……」



 声がだんだん弱々しくなったのは、ガートルードの眉間にしわが寄っていったからだ。



「わたし……わたしね、おかしいかもしれないけど、女神シルヴァーナ様はひどい神様じゃないって思うの。ううん、思いたいの」

「それは……どうして?」

「わからない。でも、心のどこかでずっと思ってた。初代皇帝をそそのかしたのも、カイレンをひどい目に遭わせたのも女神シルヴァーナ様だって、わかってるはずなのに」



 かぶった上着から銀の髪がこぼれ、まだらに黄金の散った碧眼が揺れる。

 今やレシェフモートとガートルード、そしてフローラしか持たないこの色彩を授けたのは女神シルヴァーナだ。女神の血はガートルードにも流れている。



 シルヴァーナの直系王女にとって、女神の色彩は誇りでありアイデンティティにも等しい。だがガートルードがただ直系王女として己の血筋の拠り所である女神に執着しているわけではないことは、澄んだ瞳から伝わってくる。



 初代皇帝をそそのかし、ブリュンヒルデ皇女を呪具とし、カイレンを封じ、ガートルードたちを転生させ、ヴォルフラムに魔獣の核を埋め込み、オズワルドに女王を殺させた女神シルヴァーナ。

 ガートルードに慕われる女神シルヴァーナ。



 七百年前を境に、別人のように成り果てた女神……。



「……二人?」



 暗雲から覗く太陽のように、ある考えがヴォルフラムの脳内を照らした。ぴくりとガートルードの頬が震える。



 そうだ、『別人のように』ではない。

同じ女神が突然変わったのではなく。



「二人、いる……?」



 人々に混沌と争乱をもたらす邪悪な女神と、ガートルードに慕われる女神。

 どちらも、女神シルヴァーナと呼ばれる存在なのだとしたら。



「女神シルヴァーナは――」



 二人いる。



 断言しようとした時、ダァァーン……ッ、と晩鐘にも似た深い音が響いた。

 ガートルードと一緒に振り向いた先、アップライトピアノの鍵盤が不可視の指にからめとられ、覚えのある曲を奏で始める。



 前世において三大ピアノソナタの一つに数えられ、『月光』のタイトルを献上された名曲。

 その第三楽章。

 繊細な第一楽章、軽やかな第二楽章とは打って変わった、衝動に突き動かされるがまま破滅への階段を駆けのぼっていくような狂おしい旋律。てっぺんまでたどり着いてしまったら、その勢いのまま奈落の底へ身を躍らせるような。

 どこまでもどこまでも、果てのない闇へ堕ちてゆくような……沈みゆくさなか、最期の走馬灯に胸を高鳴らせるような。



「……っ……、櫻井さん!」



 聞き惚れそうになり、とっさにガートルードの腕を掴んで引き寄せる。音楽室の床に大きな亀裂が入ったのは、その直後だった。

 アップライトピアノを中心に、亀裂はどんどん広がってゆく。床に、壁に、天井に。

 ヴォルフラムは直感した。夢の世界が崩壊しつつあるのだと。



「ごめん、しっかり掴まっていて!」

「きゃ……っ!」



 言うが早いか、ヴォルフラムはガートルードを横向きに抱き上げ、走り出した。ぼろぼろと崩れゆく床を跳躍し、スライドドアを蹴り飛ばす。



「い、……長……!」



 廊下に出ようとした瞬間、ガートルードが腕の中から手を伸ばした。奏者なき演奏を続けるピアノに向かって。



 応える者はいないはずだった。



 だが、ヴォルフラムには見えた。きっとガートルードにも。スツールに腰かけ、白く長い指を鍵盤に走らせる麗人を。



 古代の神話の神々のような古風な白いローブに、ヴォルフラムがまとうのと同じ学生服が重なる。

 どん、と心臓が強く脈打ち、内側からヴォルフラムの胸を叩いた。ガートルードと同じ銀の髪が黒髪なら。まだらに金の粒が散った碧眼が黒瞳なら――。



松ヶ瀬(まつがせ)……」



 ダァーンッ!



 とどろいたのが長い指に打ち付けられたピアノなのか、窓の外にいつの間にか立ち込めていた暗雲から落ちた稲妻なのか、ヴォルフラムにはわからなかった。いや、判断する余裕すらなかった。無機質な声が脳内を埋め尽くしていくせいで。



『エラー:松ヶXXのデータXXは禁じられています』

『エラー:X部薫にXXの権限はありません』

『エラーの修正を開始します』

『修正率:1%……9%……23%……』



(エラー? ……修正? なにを言ってるんだ……)



 まばたきをし、ヴォルフラムは愕然とした。



(あれは、誰だ?)



 鍵盤を叩き続ける麗人に再び目をやった瞬間、そう思ってしまった。誰だって? ついさっき思い出したばかりじゃないか。彼は、いや、あいつは、……、……。



(思い、出せない?)



 記憶の奥底から引きずり出したはずの記憶が、確かにあったはずのものがまばたき一つの間に消え失せてしまっている。



『32%……37%……』



 無機質な声が進捗を告げるにつれ、記憶はどんどん抜け落ちていく。……違う、確かにそこにあるはずの記憶にモザイクがかけられ、読み取れなくなっていく。



 否応なしにヴォルフラムは悟った。無機質な声の言う『エラー』と『修正』の意味を。



(この声は、あいつの記憶を現実世界に持ち出させないようにしている)



 かの麗人の記憶、姿さえも、頭の中に留めておけるのはこの夢の中だけ――いや、麗人が作り出した、この神域の中だけ。

 なぜなら、正しくないから。麗人は、いてはならない存在イレギュラーだから。



『月光』は三大ソナタの中では一番難易度が低いかと思いますが(私の体感では)、演奏していて一番精神的にしんどくなるのはこの曲だと思います。

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