the 23rd flight 「黒幕たち」
波の音しか聞こえない静寂だけが、その場を覆っている。
「銀色の弾丸」が、かつての上官の乗機を墜とし、どこかへ消えていく様子を、アヴィゲイルたちは眺めていた。
ここは、島一つない洋上に浮かぶ救命筏。畳み二条分ほどのスペースしかないこの場所で、三人は身を寄せ合うようにして助けを待っていた。
「レディ‐ラナ」はすでに海の底に沈んでいた。一連の事件の証拠品もまた、愛機に殉じた。着水するや浮いている時間は余りに短く、自分たちの脱出だけで精一杯だったのだ。
「助けてくれたんだ。あたし達を……」
放心したように、マグナイトが呟く。
「可哀相に、あいつはお尋ね者ね。統合軍の戦闘機に手を出したんだもの……」と、ランティ。
「……そうでもないかもよ」
二人とは別方向に目を凝らし、アヴィゲイルは言った。脱出の間際にサングラスを失い、透き通るような蒼い瞳で、直に空の一点を見詰めている。
「パラシュート……」
「あいつ……悪運だけは、強いのね」
苦笑とともに嘆息すると、付属のオールで筏を漕ぎ進める。
パラシュートの人影が、着水した。
忌々しい海水を振り解くかのように頭を上げ、アメルは筏まで泳いだ。何が起こるか判らない洋上では、体面などに構ってはいられなかった。
それに、海水を吸って重くなったジャケットには護身用の拳銃を忍ばせてある。今後のためのカードは、未だ自分の懐の中にあった。
筏もまた、波間を割って此方へと向かっている。あれほどの仕打ちを受けてもなお、つまらぬ博愛心に拘るのか……海原を掻い潜るアメルの眼に、嘲弄の色が宿った。
筏の縁に、アメルの手が触れた。もう一方の手をそっと懐に入れ、銃の柄を握った。
「やあ……中尉……!?」
言い掛けて、アメルは我が目を疑った。彼の蒼い眼の先には、陽光を受けて鈍く光る銃口。
「どういうことかな?……中尉」
「あなたは素晴らしい上官でしたわ。テレンス‐ケルヴィム‐アメル中佐」
「待てよ……ちょっと話し合おうじゃないか」
「…………」
アヴィゲイルが、微笑みかけた。
「怒っているのなら……謝る。頼むから、冷静に……」
「懐に入れた手は、何かしら?」
慌てて銃を引き抜き、アメルはそれを放り投げた。カードが失われたことを、彼は悟った。それよりも今の彼には自分の生命の維持が問題だった。
「これでいいだろう。早く助けてくれ」
鼻で笑う声を、アメルは聞いたような気がした。
「小官は別に怒ってはおりません。ただ、お伝えしなければならないのは、あなたがこれまで小官どもに抱いてきた『疑念』は正しかったということです。同志中佐」
「貴様……!」
事態を悟ったアメルは、唖然としてアヴィゲイルを見上げた。彼はこれまでその感性の赴くままにアヴィゲイルを嫌ってはいたが、その「感性」は別の意味で正しかった。アヴィゲイルが使った「同志」という言い回しからそれを悟り、彼は愕然としたのだった。
「……お判りになったようですわね。中佐」
アヴィゲイルが、笑った。そして、拳銃を構え直した。
「やめろ……!」
「バイバイ」
放たれた銃弾は、正確にアメルの眉間を撃ち抜いた。
ゴミのように海底に沈んでいくアメルの亡骸などには、興味など無かった。二人の部下を省みると、アヴィゲイルはまた微笑みかけた。
「少尉、『証拠』はちゃんと押さえてある?」
「少尉」と呼ばれたランティは、先程と一転した真剣な面持で懐のポケットをまさぐった。程なくして差し出されたその手には、小型フィルム。
「州軍本部への侵入は、ちょろいものでした。むしろ昨夜の内にすべてカメラに収めるのに、苦労しましたよ。ただ……通話記録を抑えられなかったのは残念ですが」
と、彼女は笑う。それは仕方のないことだ。だが文書だけでも今後の「闘争」には重要な武器となる……アヴィゲイルはそう考えている。
「中尉、位置はちゃんと打電した?」
「中尉」と言われたマグナイトは、頷いた。
「暗号電で打ちました。統合軍に傍受されても、行動を起こすまでには時間がかかるでしょう。後は、お迎えが来るのを待つだけです」
「……それでいい。上出来よ」
満足気な眼で、アヴィゲイルは二人の部下を見遣った。
やがて、三〇分後。
筏の三人の目の前で、不意に海原が割れ、次の瞬間には潜水艦のどす黒い巨体を浮かび上がらせていた。
ハッチから飛び出した乗組員によって三人は収容され、やがて潜り込むように入った、きついオイル臭の漂う艦内では、艦長らしき痩身の男がアヴィゲイルを敬礼で迎えた。
「任務ご苦労様でした。本艦へようこそ、同志ラスカヤ中佐」
「救助、感謝します。同志艦長」
握手をすると、二人はともに強く抱き合った。間を置かずして乗員の拍手と歓声が、狭い艦内にこだました。
「むさ苦しいところですが、しばらくの間、御辛抱下さい」
「我慢しましょう? 同志艦長」
「それにしても、撃墜されかけたそうですが、災難でしたな」
「少し予定が変わっただけよ。どっちみち、最終的には『行方不明』になるはずだったから……」
と、アヴィゲイルは嘯くように言った。
「それにしても……統合軍というのは、よほどの馬鹿揃いみたい。一番マシなので、あの少佐ぐらいなものね。その少佐も、もういないけど」
嘲弄するような口調。艦長の同意を貰い、腕時計に眼を落としながら再び無線通信機を繋いだ先は、懐かしきロートラグーン飛行場。
「……聞こえますか。同志准尉」
『……こちらホールデン。感明良好』
聞こえてきたのは、女性の声。あっけからんとしたその声に、アヴィゲイルはクスリと笑う。
「そちらの様子はどうかしら?」
『至って平穏。静かですよ。同志中佐。人っ子一人いません』
「……あなたがやったんでしょうに」
無線機の向こうから聞こえてくる何かが燃える音を、アヴィゲイルは聞き逃してはいなかった。かつての根城で、それもたった一人の女破壊工作員によって繰り広げられたであろう破壊と殺戮に、思いを馳せずにはいられないアヴィゲイルだった。
「その島から、出れる?」
『ご心配なく、手段は確保してありますので』
「さすがね、ルナ‐ホールデンもとい、ルナ‐ホルニスカヤ准尉」
無線が切られる間際。乾いた、冷たい笑いをアヴィゲイルは確かに聞いた。
そのとき、艦橋に陣取る見張り員の声がインカムに入ってきた。
『上空、三時方向に機影。此方に接近してくる!』
すかさず、アヴィゲイルがレシーバーを掴んだ。
「機種は?」
『複葉……水上機と思われます!』
アヴィゲイルと艦長は、顔を見合わせた。
「心配ないわ。州軍の救難機よ」
「墜としますか?」と、艦長。アヴィゲイルは笑い掛けた。
「その必要はありません」
艦長は頷き、矢継ぎ早に指示を下した。
「潜航用――――――意っ! メインタンク開け!」
「通報までしてくれたのね。お節介な人……」
自分達を助けてくれた「銀色の弾丸」のことを思い、アヴィゲイルは呟いた。もっとも、喧しいモーター音のせいで、その場の皆には聞こえなかったが……
「機長さーん。あれ!」
エイダが指差した先は、今まさに海原に潜もうとする葉巻状の影。
隙間から吹き込んでくる潮風を感じながら、ジム‐リッターはゆっくりとシーダックを旋回させ、降下させた。
「統合軍の潜水艦かぁ……?」
呟きながら、通信士のアムルが双眼鏡を向ける。その先に映し出された特徴ある艦橋の一点。そこを彩るマークを認めた瞬間。彼は飛び上がらんばかりに驚いた。
「大変だ……!」
「えっ……何、何よ?」
うわ言のようにアムルは「大変だ……大変だ」を連呼した。立ち代り、双眼鏡を覗いたエイダが、驚愕の声を上げた。
エイダが覗いた先に映し出されたのは、槌と鎌、そして赤い星を組み合わせた独特の紋様。
「嘘でしょーーーーー!」
「どうした? 何があった!?」
エイダは、口に出すのもやっとという風に呟いた。
「あれ……『共同体』の潜水艦よ」
「……『共同体』!」
眼下の洋上をを驀進しながら巨体を沈めていく潜水艦へ、ジムはあらためて眼を凝らすのだった。
「何で……こんなところを」
操縦桿を握る手が、震えた。
「――――アメルは成功したようです。ディスラークからの電文傍受により、『レディ‐ラナ』の『遭難』が確認されました。従って、『証拠』は全て抹消されました」
報告と同時に、場の重苦しい雰囲気が、やや和らいだかのようだった。だが、もともとここは重苦しい空気が沈殿しているこの部屋で、空気が軽くなったとはいってもそれはあくまで些細なものだ。
「しかし……彼は未帰還となっております。予定時刻を過ぎてもロートラグーンには戻っておりません」
現地時間では夜にも関わらず、部屋の照明は極端なまでに抑えられている。さらに言えば部屋には窓が一つもなく、円卓を埋める一座の手元を照らし出すための微かな照明と、内壁一面に設けられた、世界統合政府の施政権の及ぶ領域を表示する端末が、仄かな光をその機能の及ぶ精一杯の範囲に投げかけている。したがって、傍目から十数名に及ぶ一座の出席者の容姿、表情を性格に掴むのは難しい。
「十分に報いてやるさ。彼の父上の手前もあるしな。それで彼も満足だろう?」
一座の一人が言った。青い軍服の襟には、将官であることを示す階級章。
「しかし……アメルも存外だらしない。海賊から情報が漏れることを考慮しなかったのは、迂闊としか言いようがないな」
もう一人が苦々しさを隠さずに言う。手元の照明に、同じく将官の階級章が鈍く煌いた。
「まあそう責めることも無い。彼は自分の仕事を成し遂げて死んだのだ。花の一本ぐらいは手向けてやろうではないか。さすがに勲章は出せないが」
ちょっとした冗談に、一座は笑った。将軍の息子であろうが、士官学校の主席であろうが、彼らにとっては目的を達するための駒でしかない。そして、駒の替わりはいくらでもいる。
一人の将官が、話題を変えた。
「で……『親不孝共の環礁』の件だが、どうする?」
「別に何ということも無い、失敗とはいえ今回の件は予行演習だ。ほとぼりが冷めたらいずれ、場を改めてやるさ……それに証拠が無い今、政府もこれ以上追及できまい」
表には出さないものの、彼らには明確な危機感があった。
一見磐石に見える世界統合政府だが、実は内外に数々の問題を抱えている。海賊など、その内的要因の最たるものだが、さらには、中央の行政権に比して大きい州自治権は、下手をすれば統合政府の結束を弱め、瓦解を促すものであるかのように彼らの目には映っていた。
ならば、どうするか?――――彼らの結論は単純で、あまりに過激だった。州の対処能力を大きく越えた争乱を、それも人為的に起こすことで、州自治権の限界を露呈させればいいのである。そうすれば、彼らの方でその自治権の殆どを投げ出し、此方に擦り寄って来るだろう……そのような場合、州の秩序回復の尖兵となるのは、統合軍であるはずだった。
「親不孝共の環礁」は、そのモデルケースになるはずだった。利権を餌に海賊を暴れさせ、州の対処能力が限界に達したところで軍を介入させ、なし崩し的に州の行政権を一手に握る。そして返す刀で海賊を掃滅する。事前の約束? 昔はともかく、「今時の海賊」に、そんなものを重視する奇特な者などいるはずも無い。向こうに約束を守る知性も能力も無いのなら、こちらも守らないまでだ。
……だがその計画は、結局は失敗した。その実行役であったテレンス‐ケルヴィム‐アメルは一応失敗の後始末をして死んだが、彼がやったことといえば、結局はそれだけだ。海賊掃討を名目に空中給油機、そして「口封じに」空母機動部隊まで動員して、このザマである。
その海賊の頭目は、州が雇った「賞金稼ぎ」によって仕留められたという。これでは世間は親不孝共の環礁」の連中が独力で海賊を駆逐したと見做すであろう。そして計画は、相応の建て直しを余儀なくされることだろう……一座がほぼ同時にその考えに思い当たり、再び部屋の空気が澱み始めたそのとき……
足音を立てぬように、一人の将官に歩み寄った士官が、彼に紙切れを渡し耳打ちした。
「何だと……!?」
「どうした? 何があった?」
一斉に、一同が彼に視線を集中させる。
「……『レディ‐ラナ』の遭難海域で、州軍の救難機が『共同体』の潜水艦を目撃したそうです」
「『共同体』……?」
この場の面々にとって、その固有名詞には特別な響きがあった。世界統合政府の意のままにならない数多の独立勢力の、最も強大な一つ……!
「それともう一つ、深刻な事実をお伝えせねばならない」
紙切れを持つ手が、震えていた。
「『レディ‐ラナ』の乗員が、『共同体』のエージェントであることが判明いたしました……!」
「まさか……生きているのか?」
「『共同体』の潜水艦の行動から推定しますと、それは確実と思われます……! おそらく『証拠』は……」
そこまで言って、彼はがっくりと椅子に座り込んだ。
「……『証拠』は、押さえられていると見るべきだろうな」
「いや……未だわからんぞ」
「それともう一つ……」
「まだ何かあるのか……?」
報告した将官は、さらに続けた。
「アメルの隊が展開しているロートラグーン飛行場が、何者かの攻撃を受け炎上中。要員は……要員は……全滅したものと思われます……!」
「『共同体』か……!?」
「その件に関して、現在も調査中です」
「あのばか者め! 死んでからも我等に祟るとは……!」
節くれ立った拳が、円卓を叩いた。だが、過ぎたことはもはやどうしようもない。ボールはあちらこちらに迷走した挙句、今や最も厄介な敵手の元にある。それだけは確かだった。




